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さよなら原発パレード2024

2011年の東日本大震災とそれに伴う原発事故、明日で13年。今日(2024.03.10)は13時から鹿児島中央駅東口の広場で集会があり、そのあとパレードがあった。毎年、自分への戒めとして参加している。実行委員会や政治団体には入ったことはないが、縁があってずっとポスターを担当している。

今年は辰年なので、川内原発の近くで龍が怒っている様子を描いてみた。


川内原発とドラゴン

今朝方、鹿児島の歴史に詳しい先達とFacebookメッセージのやり取りをしている際「火縄銃の登場が戦国時代を終わらせた」ということを聞いた。すぐさま「それは原爆によって第二次大戦が終わったことにつながりますね」と返事をした。
時代も規模も意味も異なる二つの事象だけど、政治ではなくテクノロジーで世界は変わっていくのだと思う。
福島の原発事故の際「私たちは第二の敗戦の中で生きている」という様な言葉が広まっていたが、これは原爆投下とイメージを重ねていたのだと解釈していた。
だとすれば、13年経った今、原発が次々と再稼働されているのは(鹿児島は震災後、最初に原発が再稼働された場所である)、敗戦ムードを延長しているのだろうか。
それとも、逆に、敗戦ムードを払拭したくて原発のテクノロジーを信じようとする流れなのだろうか。
どちらにしても納得できるものではない。

原発の反対運動をしていて、メッセージがなかなか届かないことに悔しい思いをしている。昨年は原発運転延長是非を問う県民投票の直前まで漕ぎ着けたが、政治は県民投票を却下したのである。今日の集会でも「この国では本当に民主主義が機能しているのだろうか」という弁護団の話もあった。
機能しているとは到底思えない

(自民党の裏金作り問題などもあり)政治に絶望している現在、火縄銃や原爆のように「歴史を塗り替えるテクノロジー」の登場を待つしかないというのが、自分の未来像となってしまった。
ただし、そのテクノロジーというのは武器ではなく、人を傷つけることのない、もっと賢いものでなくてはならない。ハードではなくソフトウェアの可能性の方が高い。(あるいは、自然環境自らが答えを出してしまうのか)

そのテクノロジーが登場した時には、原発推進派の方々は沈黙せざるを得ない状況に一瞬でなるのだろう。
反対し続けてきた同志たちも、狐に摘まれたような感覚を覚えるかも知れないが、反対運動は無駄ではなかったと、ホッと胸を撫で下ろすのである。

そういう未来が、生きているうちに訪れてほしい。



追記;

九州管内で言えば、実に原発5基分に相当するエネルギーが太陽光で作られているそうだが、その多くは無駄になっているという。原発推進派からすれば、この事実は全く意味を持たないのだろう。代替エネルギーとしては説得材料になっていないのだ、不思議で仕方がない。





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