おばんですの力
数日前にプチ衝突してからほとんど口をきいていない母が、夕食どきになっても起き上がってこず、さっき頭痛いって言ってたからそのせいか、家事も放置気味だったけど今日あたりからまた夕飯の支度をするか、と台所に立つと家の電話が鳴った。
普段なら母が出るのだけれど寝入っているので仕方なく私が出る。
「はい」と素っ気なく応じると、受話器の向こうで聞き慣れない男性の声がたどたどしく「お、おばんです」と言った。母の故郷・秋田のおじさんだった。「おばんです」は北国での「こんばんは」だ。
拍子抜けして途端に吹き出してしまった。急に耳に飛び込んできた100%北国訛りの「おばんです」は得も言われず強烈で、ふいを突かれた。関東にいると「おばんです」への耐性がない。
「あ、お……おばん……です」
まったく言い慣れない「おばんです」を、でもそうするのが相手への礼儀だと思ってなんとか返した。ちょっと照れた。「おばんです」、いざ口にしてみるとなんかイイ。
「きりたんぽ。なんか、返って悪がっだね」
おじさんが申し訳無さそうに言う。
「え、なんでですか?」
と訊き返すと、
「お返しさ、いだだいちゃっで」
ここまできて電話の理由がわかった。
数日前に、おじさんが母宛てに立派な〈きりたんぽ鍋セット〉を送ってくれたのだけれど、その返礼品を母が父に頼んだかしてきっと送り、それが先方へと届き、その御礼におじさんは今電話を掛けてきてくれているのだろう。
「いえ、きりたんぽ。とてもおいしくいただきました。ありがとうございました。母、頭痛いって寝てるんです」
「あら、お大事にね」
「お電話いただいたこと伝えておきますね」
「皆さんよいお年をね。状況さ良ぐなっだら、秋田さ来でね」
ひさしぶりに話したおじさん。穏やかな次男坊。
それにしても──母が秋田出身なんだから、親戚だって当然秋田の人たちなわけで、訛ってて当然だ。
それなのに、普段は私なんぞは親戚づきあいなどしないから、急に電話口で北国と繋がるとびっくりする。
何度目かわからない母との“小競り合いのち口きくもんか期間”を過ごして息が詰まる日々を過ごしていたところに、なんの迷いもなく満ちみちとふくよかに訛った「おばんです」はでも、私にまったく違う世界を瞬時に接続してくれた。吹きすさぶ雪と日本海がザッパーン。さっぶ!! でも家ン中はあっだげんだあ。
そんなちょっとしたトリップ感の余韻に包まれながら台所へ戻り夕飯をつくっていると、母が起き上がってきた。
おじさんからきりたんぽの御礼の御礼の電話があったことを母に伝える。
「おばんですって急に言われてびっくりしちゃったよ」
数日ぶりに母と口をきいた。母娘を繋いだ、おばんです。
まぁ、というか、今回の小競り合いはそもそも、おじさんのきりたんぽが実は原因だったりする。
届いたきりたんぽ鍋セットににんじんも入れよう〜といちょう切りにして、下茹で代わりにレンジでチンっとしたところで母が、「にんじん入れるの?」。イヤな予感がした。
「にんじん合わないよ?」
やっぱりだ……。
「合う!」
突っぱねようとした。でも、
「にんじんの匂いが移るのよ」
……追い込まれた。
そこでぱーーんとなった私は、
「うるさいなぁ! 勝手にして!」
とすべてを放り出し台所から退去した。
あはれきりたんぽ。
確かに、にんじんはきりたんぽに合わないのかもしれない。
そもそもきりたんぽ鍋セットに入っていなかったわけだし、秋田の人間である母が言うのだからそうなのだろう。
でも……入れる人だっているよね? と部屋に戻ってきりたんぽ鍋の画像検索をしまくった。あはれ画像検索。たまに、彩り程度に花型に飾り切りされたにんじんが入っているものもあるにはあった。
けれど、私にも感覚的にわかるものがある。せりの根を楽しむきりたんぽ鍋に、他の根菜は余計だと。だからやっぱり、私が余計なことをしようとしたのだ。
だけどなんか、だってなんか……!!
そう、それ以来、母とは絶交状態の数日を過ごしていた。
だからおじさん、
「きりたんぽ。なんか、返って悪がっだね」
って言われたとき、私ドキッとしたんだあ。
だっでほんど、おじさんのきりたんぽがきっかけで小競り合いゲンカしたんだもの。
いや、おじさんのせいじゃあ、ねっけどさ?
でもさ、おじさん。
んだども結局、おじさんの「おばんです」が母娘の会話を再開させてくれたんだから、助かっだ。
ありがどね、おじさん。
また高級きりたんぽ鍋セット、送ってね。
今度はにんじん入れようとなんてしないから。
へば。
「おばんです」
これからは積極的に使ってみたい。
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