2023.4.16 エブエブ視聴とMBTIテスト、同じタイプでも人生は違う 手放しで信じていいもの?


1

ミニストップの名前の由来が「ちょっと立ち寄ってみませんか」なのは考えるまでもなくわかるけど、渋谷という街はいくら考えても理解できない。待ち合わせ場所はハチ公前が定番かと思って、今回の同行者、同期の天才キッズバンドたか、と、大陸一派奥村にそこを提案したんだけど(今回に限り「定番待ち合わせスポット」を「待ち合わせ場所」に指定する俺のセンスは見逃してくれ)彼らは待ち合わせ時間ちょうどに「直接パルコ行っていい?」「俺も!」とメッセージを送ってきた。だったら最初からパルコで待ち合わせでいいじゃん、もう俺に渋谷絡みのスケジューリングを任せないでくれ、と思いつつ、京王井の頭線のエスカレーターを下っていた。俺も待ち合わせ時間に間に合っていなかった。パルコへの直接集合は移動距離をショートカットできるのでありがたかった。

2

俺たち3人と顔合わせできなくてハチ公はまったく悲しくないだろうけれど、俺は久しぶりにお前の顔を見たかったよ?お前のところには中々行く機会がないからね。なあ、犬って人間の嗅覚の数千倍くらい敏感らしいけれど、体に傷とかできちゃったら自分の体内に流れる血液の鉄の匂いを感じとったりするのかな。だとしたらハチ公お前は銅でできているが、お前に血が流れているとしたら、お前は鉄と銅、どっちの匂いで頭を支配されるんだ?

3

渋谷駅前の全ての信号が青になったとたん無秩序と化す横断歩道。その途中で半袖の外国人2人が内カメラで写真を撮っていて「まだ外国人が記念撮影している時間帯か」と思う。

4

初めて入った渋谷のパルコは特になんてことのないパルコだった。吉祥寺のパルコとなんら変わりない。商業施設は地域によって色を出せないなんて思ったが、この時の俺はまだ地下1階の飲食街の存在を知らなかった…。

5

8階にあるWHITE CINE QUINTOというミニシアターに到着した。他の2人はまだ来ていない。券売機でチケットを発行する。「everything everywhere all at once」俺がこの映画を見たいと言ったのでなんとなく責任を感じてチケットの予約をしたけど、家にWi-Fiがないせいでかなりの時間を費やした。席を選んで確定ボタンを押しても中々画面が移動せず、やっと画面が変わったと思ったら、エラーが発生しましたと表示される。また選ぼうとしたら席が選べなくなっている。俺のスマホがのろのろしているうちに他の誰かに席を取られた。それが何度も繰り返されていつのまにか1時間経っていた。Wi-Fiなき子に人権なし。福祉を充実させる前にフリーWi-Fiを。フリーWi-Fiを公約に掲げる政党に俺は投票する。うそうそ。

6

遅れてやってきた2人はポップコーンを注文した。そのうちの1人は奇をてらいポタージュ味にしていたけど、美味しそうな顔では食べてなかった。上映10分前になり、いざ、映画館の中に出航。映像の海に溺れて感情の荒波に揉まれようじゃないか。

7

everything everywhere all at onceはマルチバースが題材の映画で、コインランドリーを経営している冴えないおばさんが別の宇宙では英雄扱いされていて、他の宇宙から来たやつに全ての宇宙を救ってほしいと頼まれるという物語だった。他の宇宙では、カンフーやら料理人やら映画のスターをやっている自分がいて、その宇宙での自分の能力を自分に降ろすことができて、様々な自分を使い分けながら敵と闘っていくんだけど、ただのアクションストーリーではなく、もうそこには「宇宙か!」ってツッコみたくなるくらい人生の全てが織り込まれていて、しかもそれが人体の構造くらい緻密にハイクオリティで展開されていく。その分、内容が複雑だったので絶対に振り落とされないよういつにもまして集中して見ていて、もちろん感想は「めちゃくちゃ良かった」んだけど、なんていうかそれは、自分の感性が入る隙もなく「面白かった」と言わざるを得ないという感覚で、常に良質で細部までこだわればどんな内容だろうと面白かったとしか言えないし、見ても損した気持ちにならないから、満足した気分にさせられている、そんな映画だった。

2つ、言いがかりをつけるなら、作り手が面白いと思ってやってるところだけはセンスがなくてほとんど笑えなかった。別の宇宙の自分の能力を使えるということは、いわばなんでもありの状態だから、少なからずハードルが上がっている。にも関わらず、そこまで捻られてないものを面白いと思ってやっているのが、まあなんていうか、逆に、逆に、笑えばよかったのかな。全体的に、常に物語に「見せつけられている」という状態だったけれど、コメディ要素に関しては「見せつけられている」という感覚がなかった。「これが私たちの今考えられるコメディの全力です、どうですか!」なのか「私たちにはこれくらいしか思いつきません」なのか「やりすぎたらまずいから、バランスとって妥協してんのよ」のどれだったんだろう。

もう1つ。この映画は圧倒的にオリジナリティに溢れているんだけど、なんていうかそれは今まである映画を丁寧に、複雑に、完璧に織り混ぜた「組み合わせのオリジナリティ」であるということが隠しきれてない。あふれでちゃっている。そこが気になって、物語の最後がどうなるかはわりと序盤で予想がつくけど、それを裏切ってほしかった。一緒に見ていた人(さあどっちでしょう?)は「ベタな終わり方でも、その過程を楽しめればいいんじゃない」と言っていた。それは製作側の怠惰じゃない?ネタの最後にはオチをつけると決まっているからオチっぽいことを言って終わらせる漫才師みたいなさ。結局は「面白かった」と言わせられているし、めちゃくちゃ良いので、みなさんにも見てもらいたい。今 u-nextで配信されているけれど、映画でしかできない演出や映像表現を最大限まで突き詰めた映画なので映画館で見た方がいいです。

8

俺たちは映画の感想会を地下1階の飲食街で開くことにした。ここで「やっぱり渋谷ってすごいすわ!国際的で最先端いってますわ!」と思わされる。

エレベーターから出てきてすぐに外国人と日本人が英語で談笑しながらこちら向かって歩いてきた。そんな光景に目を奪われる一方で、鼻は四川料理の辛くてスパイシーな匂いを否応なく受け取る。アメリカむき出しのハンバーガー屋があれば、見るだけでここは日本だったと思い出させる寿司屋もある。この地下街には国境線がない。国境線は地上にしか引かれていないと思わせるようなところだった。さらに、ゲテモノ料理屋、ミュージックバーとカルチャー要素も網羅している。この地下街は「カオスキッチン」という名前らしい。安易なネーミングだけど、そうとしか言いよいがない場所だった。

9

店を決めるときに、自分の気持ちを優先するのではなく、3人の意志を一番尊重できる世界最高の妥協方法、消去法を使っていたというのが、のちに伏線になるとは思いもしなかった。

20個くらいの料理が並んでいるパネルの前で話し合い、ミュージックバー、串カツが最後の候補に残った。2つのうちどちらかを「せーの!」で言う。俺にとってミュージックバーは未開の地だったので、本当は足を踏み入れたかったけど、料理の値段が高いのと朝から何も食べていないこともあって「串カツ!」と言った。ミュージックバー1、串カツ2で、串カツに決定。時間が遅かったのもあって、入った時点でラストオーダ。畳み掛けるように、怒涛の注文ラッシュ。店員が注文を受けていたらパニックになっていただろうけど、今はタッチパネルがあるから大丈夫。酒がテーブルに着陸して、飲もうとしたら「乾杯コールやりますか?」と店員が聞いてきた。そんなサービスは受けたことがないので面白いなと思ってお願いしたら、棒読みでコールされて、申し訳ないなと思った。わざわざ聞かなくて良かったのに。

10

3人で感想を話すけど、俺だけがべちゃくちゃ喋っているだけで、他の二人は聞いてもほとんど感想を言ってくれない。「自分が思ってることはありきたりだし、間違ってるかもしれないから」と言われて、いや俺は、その人がその人なりに感じた自己中心的な解釈を聞きたいんだよ、なにを恥ずかしがっているんだ、常に正解を導こうとするな、と思う反面、俺には引き出す能力がないんだなとちょっぴり落ち込んだ。別の宇宙の自分はもうちょっと会話がうまかったらいいな。それから外に出て、1時間ほど渋谷の街をぶらぶらした。

11

半年前くらいからMBTIという数十個の質問で16個のパーソナリティーに振り分ける性格診断テストにハマっている。なぜなら結果があまりにも自分と一致していたし、1回しか会ったことがない人でも、性格診断の結果を聞けば、まさにその通りだなと感じられたからだ。性格診断のアルファベット4文字さえ聞けば他人のことは大体わかると思っていた。2人にMBTIをやったことがあるか聞いた。2人ともINFPだったらしい。そして俺もINFPだった(今はINTP)。確かに消去法で店を選んだ時のように、相手の気持ちを尊重するというINFPならではの特徴は現れていたし、それぞれが独特の世界観を持っていないわけではないけれど、全然違う種類の人間だと思ってたから驚いた。この時点で、俺のMBTI神話は崩れかけ、俺はしばらく、放心状態になっていた。俺が自分の性質のせいにして獲得しえなかったものを2人はたくさん持っている。タイプは同じはずなのに。

高校の化学でならった同位体を思い出す。同じ原子番号でも持っている中性子数は違うというものだ。俺の中性子数は0だけど、みんなは1とか2とか、それ以上かもしれない。別の宇宙では他の2人のように賢く生きている自分がいるんだろうか。俺にも彼らみたいな人生はあったんだろうか。もしかするとなるかもしれなかった自分を見るように彼らの人生を追っていきたい。

12

2人との会話は別の宇宙の自分と実際に会って話せているのだと思うことにした。この解釈を拡大すれば全ての人間を自分の同位体だと見なすことができる。自分がなるかも知れなかった自分だと置き換えることができる。つまり、全ての人間が枝分かれした自分のもう1つのルートなんだ。自分主体の考え方すぎて図書館でクスクス笑ってしまった。そうすれば他人を蹴落とすような考え方には至らなくなる。なぜなら、この世界にいる人はみんな、もしかするとなるはずだった自分だからだ。応援したくなる。みんなのことは俺が歩むかも知れなかった人生を歩んでいる別の宇宙から来た俺だと捉える。みんなを応援するということは自分を応援していることになる。みんなという名の俺、頑張れ!全ての人間に対して自己同一化を図るという非常に危険な思想が生まれた4月の中旬の出来事の振り返りであった。


(AIにタイトル任せた。AIがんばれ!)



この記事が参加している募集

#おすすめ名作映画

8,178件

#映画感想文

67,103件

銭ズラ