見出し画像

分かりやすさの危うさ(逢坂誠二の徒然日記)

【24年10月7日 『逢坂誠二の徒然日記』7950回】
夜明け前の函館は空全体を雲が覆っています。17度程度です。日中も雲が多く、22度程度になる見込みです。

森町長選挙で、岡嶋康輔さんが、2期目の当選を果たしました。昨夜、事務所にお邪魔し、支持者の皆さんとともにお祝いさせて頂きました。今後のさらなる活躍を祈念しております。

1)分かりやすさの危うさ
「おい地獄さ行ぐんだで!」

小林多喜二の『蟹工船』の冒頭です。知っている方も多いと思います。

はじめて読んだのは中学生ときだったと思います。みぞおちのあたりが痛くなるような重苦しい衝撃を受け、その後、しばらくこの本から遠ざかっていました。30歳を過ぎてから、時折、この本の幾つかのシーンが気になって、パラパラと文庫本をめくることもありました。15年ほど前には、若山弦蔵さんが朗読する『蟹工船』も通しで聞きました。とにかく重たく様々な問題提起のある作品でした。

先日、現代語・新訳『蟹工船』という本があることを初めて知りました。小林多喜二のもともとの『蟹工船』は、それほど難しい言葉で書いているわけではありません。なぜわざわざ現代語に置き換えるのか、新訳などをするのか、若干訝しく感じましたが、気になったので、新訳『蟹工船』を手にしてみました。

「これから大変な仕事が待ってるぞ!」

有名な冒頭がこれに変わっています。「おい地獄さ行ぐんだで!」が、何でこんなにも浅薄な文章に転換できるのでしょうか。驚くというか、ショックというか言葉がありません。その後の文書もあまりに軽く、原作独特の行間から漂うすえたような臭いを感ずることはできません。

どのような目的で、この現代語・新訳が生まれたのか分かりませんが、この様に物事を単純化し、削ぎ落とすのが今の社会の一面なのかもしれません。色々なことを削ぎ落とし単純化して輪郭をクリアにして、分かりやすい言葉で伝えることが重要な場面も多々あります。しかし今回の新訳は、『蟹工船』の毒を完全に抜いてしまったと感じます。

毒を抜いて柔らかな言葉で伝えること、これが今の社会の一面なのかもしれませんが、分かりやすさには、多様さを失わせ価値観を固定化させる危うさもはらんでいます。

私も注意しながら対応したいと思います。

【24年10月7日 その6253『逢坂誠二の徒然日記』7950回】
==逢坂誠二への個人献金はこちらです。==


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?