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ふるさと納税の恐怖/逢坂誠二 7905回

昨朝は街頭に立った後、朝市で挨拶回りを行ない上京しました。

日の出前の都内、薄雲が広がっています。気温は、既に27度です。昼頃から晴れ間も広がり、34度程度まで上がる見込みです。

午後に帰函しますが、函館は曇りから夕方には雨になる見込みです。予想最高気温は30度です。

1)ふるさと納税の恐怖
私たちが日常使うお金は、1000円支払えば、1000円分の物やサービスを手にすることができます。200円のコーヒーが欲しくて、1000円を払えば、800円のお釣りと一緒にコーヒーを手にすることができます。

私が欲しいコーヒーを手に入れるために、200円という対価が発生し、私もコーヒー店もお互いが納得の上で、200円という対価を支払います。

ここが一般的に、私たちが使うお金のイメージです。

騙されない限り、自分が納得していない売買にお金を払うことはありませんし、寄附などを除いて、見返りのない事柄に、一般的にはお金を払うことはありません。

何かモノやサービスをやり取りする際には対価が生ずる、つまり対価性があるのです。

ところが税というお金には対価性がありません。

100万円税金を納めても、100万円分の物やサービスが直接届くわけではありません。逆に1円も税を納めていなくても、生活保護のようなサービスが行われる場合もあります。

ここが一般的なお金と税の大きな違いです。つまり対価性がない(非対価性)、これが税の特徴の一つです。税の本質だとも私はみています。

私は3年間、税の賦課徴収の仕事をしました。滞納された税金の徴収も行いましたが、その際に、「この税を払ったら何をくれる」等の反対給付を求められることはありませんでした。多くの皆さんは、それが税だと受け止めているからです。

2000円の税負担によって、納税額の最大30%の返礼品のあるふるさと納税は、この税の本質とは全く違う物です。正当な対価どころか、負担した2000円以上に価値が増幅されて返礼されますので、税の本質とは異質なものに私には見えます。

多くの国民の皆さんは、税は直接的な見返りがない(非対価性)ものだと、理解してくれていると思います。

しかし今、1千万人もの方が1兆円以上のふるさと納税を行うようになっています。こんな状態が長く続き、今以上に、ふるさと納税が国民に浸透するようになると、「見返りがない税は払いたくない」、そんなことを思う方が出てくるのではないかと、私は懸念しています。

ふるさと納税には税体系を壊しかねない恐怖が潜んでいます。しかしここまで社会に組み込まれたふるさと納税を否定するのは簡単なことではありませんが、徐々に是正する必要があります。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
【24年8月23日 その6208『逢坂誠二の徒然日記』7905回】

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