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葬式仏教の歴史

日本の葬儀の9割が仏式で行われています。近年、無宗教葬に憧れる人は増えてきていますが、それでも実際には仏式葬儀が多いのです。日頃から仏教への信心を感じさせる行為をする日本人は少ないのに、亡くなるとき僧侶の読経を選ぶというのは、不思議なことですね。「葬式仏教」はいつ生まれ、どのように発展していったのでしょうか。葬式仏教の歴史について解説します。

平安後期まで――公務員だった僧侶は葬儀に関わらなかった

日本に仏教が伝わったのは6世紀の頃ですが、平安後期になるまで、僧侶は基本的に死者と関わることがありませんでした。むしろ、今とは対照的に死のけがれを避ける傾向がありました。

なぜかといえば、死のけがれをその身に受けてしまえば、職務が滞ってしまう恐れがあったためです。当時、正式な僧侶としての資格を与えるのは朝廷の役割でした。「官僧」である僧侶の役割は、国家鎮護のために祈りを捧げることにありました。葬儀に関わり、何日か忌み日として家に謹慎していれば、その間は仕事ができません。そのため、官僧が葬儀と関わるのは皇族の葬儀のときだけだったといわれています。

平安末期――浄土への強い憧れが葬儀と仏教を引き寄せる

平安末期には、「釈迦から続いた正しい仏教の時代が終わり、成仏できない時代が来る」という「末法思想」が流行します。すると「死後、浄土へ行って悟りを開こう」という考えが広まり、浄土へ赴くための臨終作法が行なわれるようになりました。死にゆくまさにその時、病人の枕元で念仏を唱え、阿弥陀像を飾って浄土へ導くのです。

このような臨終作法は貴族など権力者を中心に流行し、次第に臨終時ではなく、亡くなった後に葬送儀式として行なわれるようになります。このため、浄土信仰が日本人と仏教を結びつけた要因の一つであるとされています。

ただし、平安期の時点では、臨終における僧侶の役割はやはり読経や祈りにとどまっていました。まだまだ、僧侶が死のけがれを避けていた時代です。

鎌倉時代――遁世僧が葬儀を一手に引き受ける

鎌倉時代になると、一部の僧侶の間に「身内の葬送で困っている人を助けることは慈悲であり、お釈迦様の教えと相反しない」という考え方が広まります。こういった考えを持つ僧侶たちは官僧をやめ、死のけがれを避けず、積極的に民衆の葬送へ関わっていきました。その背景には、亡くなった後にただうち捨てられる死者の存在と、それをなすすべなく見つめるしかない悲しい身内たちの姿がありました。

葬送を手がける僧侶たちは、今も行われる「法事」の整備に取り組み、お墓や骨壺の制作も担うようになります。遺体を清めて衣装を改め、棺に入れる納棺の儀式や、亡くなった人に戒名をつける制度を取り入れたのも、この頃の僧侶たちです。

この頃に確立された葬送における仏教的な取り決めは、禅宗寺院の生活指導について著された『禅苑清規』が元になっているとされています。中国の僧侶が書いたものですが、日本の禅宗教団にも伝えられ、そのなかに修行中の僧侶が亡くなったときの葬儀について書かれた項目がありました。

民衆の葬送を担った僧侶たちは、『禅苑清規』を参考に在家の信者も「修行中」とみなしました。そして読経に剃髪儀式を取り入れたり、仏門に入った証として戒名をつけたりして、亡くなった人を悟りへと導く過程を葬送儀式に取り入れたのです。

江戸時代――寺請制度により全日本人がどこかの「檀家」となる

鎌倉時代の僧侶たちの活躍で「亡くなったらお坊さんを頼りにする」という気持ちが日本人の心に宿ったものの、お寺と信者との関係性は薄いままでした。しかし江戸期に入り、キリスト教が禁止されたことで、日本人は皆、特定の寺院の檀家となります。「寺請制度」の始まりです。

寺請制度とは、そのお寺の信徒であるという証明を寺院から請ける制度です。この証明がなければ、キリスト教徒ではないかと疑われてしまいます。よって民衆は証明を書いてくれる特定の寺院を見つけ、檀家とならなければなりません。そして結婚などにより他の土地へ移るときは、檀家を抜け、新しい土地にある寺院と新たに檀家関係を結ばなければなりません。

寺院側は寺請証明を作るとともに、檀家がどんな家族構成であるかを把握しなければなりませんでした。よって出生や死亡があれば、速やかに寺院へ報告することを義務づけます。家族の誰かが亡くなったら檀家になっている寺院に知らせ、そして葬式をしてもらう、という構図が生まれたのが、この江戸時代なのです。

葬送のあり方は、今後どう変わる?

以上のように、日本では長い年月をかけて葬送が僧侶の手に委ねられるようになりました。よって私たち日本人に「葬儀といえば僧侶」というイメージがあるのも、当たり前のことです。もしかしたら、無宗教葬を希望している方々の中にも、「お坊さんがいないと、なんだか落ち着かないから」「親戚が無宗教では寂しいというから」といった理由で、結局は仏式葬儀を選ぶ人がいるかもしれません。こうして、未だに葬儀の9割が仏式となっているのです。

ただ、一方で仏教離れ、檀家離れが起こっているのは事実です。「仏教のことは全く信じていないけれど、葬儀は仏教を選ぶ」という人が増えていけば、葬儀自体が意味を持たなくなる日は近いと思われます。

実際、「形式的な儀式はいらない」という人も増えています。仏教を信じる人からすれば、故人を仏弟子に仕立て上げる仏式葬儀はありがたいものですが、意味を知らず、仏教に興味もなければ、「形式的」に感じるのは無理もないでしょう。

自分や身内の葬儀にあたり、何を大事にするのか。自分はどんな死生観を大事にしているのか。それが分かれば、充実した葬儀が行えるはず。終活において、じっくり考えてみたいテーマです。


【参考文献】
『葬式仏教の誕生』松尾剛次、平凡社
『日本葬制史』勝田至編、吉川弘文館
『日本人の信仰』島田裕巳、扶桑社
『日本人と浄土』山折哲雄、講談社
『お葬式をどうするか』ひろさちや、PHP
『なぜ日本人は戒名をつけるのか』島田裕巳、筑摩書房
『近世三昧聖と葬送文化』木下光生、塙書房


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