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資源を資産に。

この度、富山県氷見市にある「 氷見温泉郷 くつろぎの宿 うみあかり」の運営会社である「株式会社うみあかり」と共同出資で連結子会社を設立、同社の取締役に就任いたしました。
当該法人における私の役回りとしては、投資戦略および新規事業企画関連業務を所管することとなります。
併せて、日本各地の不動産開発・観光関連業のコンサルティング事業も展開してまいりますので、引き続き全国津々浦々に顔を出させて頂くと思います。

自己紹介はさておき、共同出資者である「うみあかり」について簡単に紹介させて頂くと、前身会社の業歴まで含めれば50年以上の歴史を持つ老舗の旅館であり、そのサービスレベルは各種OTAでも非常に高い評価を受けており、とりわけ楽天トラベルアワード2023では、3年連続で「コールドアワード」と「日本の宿アワード」をW受賞しています。

また、豊かな漁場である富山湾から漁れる新鮮な魚介をふんだんに使った料理があったり、風光明媚な富山湾を望みながら浴槽の水面と富山湾の水平線の境界が融合して見える「インフィニティ風呂」もあったり、本当に素敵なお宿です。

はてさて、そんなこんなで不動産開発・観光分野で事業を立ち上げた訳ですが、今後は事業内容や経営戦略、氷見市や観光業の見通しから観光を軸にした「まちづくり」まで、雑感を交えてレポート代わりに、不定期に更新していければと思います。

新設法人の法人名称は「株式会社 渡津海(わだつみ)」です。

名称の由来とそこに込めた想いは、ざっと以下の通り。

奈良時代、氷見市と高岡市の境に越中国の国府が置かれており、その国守として大伴家持という人が赴任してるのですが、この大伴家持は歌人として非凡な才能があったようで、美しい自然を題材とした優れた歌を詠んでいます。
それらの歌は、日本最古の歌集である万葉集に編纂されており、その万葉集
の中で「綿津見」という言葉が出てきます。
これは、海を支配する神霊、または海そのものの呼称とされており、以降の和歌においては、海を雅やかに、婉曲的に表す表現として用いられてきました。

富山湾を望む氷見市において、豊富な海産資源を産出する海は特別にして大切な存在です。

その富山湾の価値を伝え、守りたい。
そんな想いから「綿津見」という言葉に自分たちなりの考え・意義付けを加える事にしました。

即ち「渡」は、空間軸で価値が渡っていくこと、また時間軸において後世に渡していくという意味を込めています。
「津」の本来の意味は「船着場」や「渡し場」を指していることから、地域外から氷見を訪れるとき、最初に訪れる場所、目的地となって欲しい、という意味を込めています。
「海」は、文字通り美しい富山湾を指しています。

これら三つの文字から、氷見市が船着場の様に地域外から来訪頂く着地点となり、地域価値を次の世代に渡していく起点となる、という意味を込めています。

氷見市と日本社会に関する雑感。

氷見市は、富山県の北西部・能登半島の付け根に位置しており、風光明媚な富山湾( ちょい下に写真を貼ってありますが、海越しに望む富山湾は、それは見事な景観です )に面する地方都市です。

地図です。色付き部分の左上部分が氷見市です。

古くから漁業が盛んで「氷見寒ぶり」や「氷見鰯」などが広辞苑にも載るほど有名な漁港の街なのですが、個人的な推しポイントは、その景観です。
とりわけ『海から程近い商店街』は絶景ポイントが渋滞しています(笑)。

商店街から海側を見た時の写真。「海が聞こえる」距離感。

商店街(南北に2.3KMもあります)の何処からでも、歩いて1分から2分程度で海沿いの道に辿り着けるので、商店街のお店に寄った帰路は海沿いの道を散歩する・ドライブするなんて事が出来てしまうQOL爆上がりのロケーション。
※商店街自体は、地方都市あるあるで、店舗の数が減り、シャッター街となっているのですが、それでも一部エリアには近年新規出店が続いており、昭和と令和の時代が交錯する面白い場所となっています。

商店街から歩いて1-2分で見える景色。絶景でしょ。

実は、私は過去に数年間氷見市で働いていた経緯があり、家族こそ住んでいる訳ではないものの、多くの知人・友人がおり、勝手に故郷のように感じています。

そんな氷見市ですが、能登半島に近い立地であることから、2024年の元日に発生した能登半島地震により大きな被害を受けました。
不幸中の幸いで直接的な人的被害は免れたものの、家屋の全半壊による住居の滅失により住まいや商いの場所を失った方も多く、また道路・上下水道の破損により暫くの間断水が続いたことにより、生活や商売に甚大な被害を被った方が多くいます。
(この震災で、その命を奪われた方に心から哀悼の意を表するとともに、大切な方を亡くされた方、今なお苦難の中にある方々が1日も早く、その悲しみが癒え、心穏やかに暮らすことが出来ますよう、お祈り申し上げます。)

改めて、自然の脅威を感じるとともに、日本で生きている上での防災意識・対策とレジリエンスを問い直す中で、私たちを取り巻く状況は、それだけではない終末的な様相さえ呈してきていると感じています。

それは人口減少による労働力不足であり、産業構造の変化であり、地政学的リスクの増大であり、劇的な為替状況の変化であり、エネルギーや食糧に纏わる問題であり、一つだけではなく様々な問題が複雑に絡み合い、否応なく増大し続ける社会課題の前では、最早一個人の努力ではどうにも解決する事が困難なものとなっています。

日本社会の現状に関する認識。

私は、自分が生きる上での最上位の概念として「次の世代に豊かな社会を渡す、過去から引き継いだ価値を次の世代に繋げていく」という事だと考えています。

やや大言荘語のような気もしますが、私も人生後半戦に入り、これまでを振り返ってみると、目の前の仕事を必死にやってきた自負はあるものの、それが故に何の為・誰の為、という意義を求めるには心許ないものであると感じていました。

昔は、個人の目的や目標が達成できれば、それで満足出来ていたのですが、年齢を重ねて欲深くなったのか、大義に目覚めたのかは判りませんが、ともかく「自分ではない誰かの為」を考えるようになりました。
無論、自己犠牲的に身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、という訳ではなく、あくまで自己実現をする上で他者利益を重要視している、という意味です。

そんな人生の目的について、この数年考え続けていたのですが、その答えを東京以外の地域に見出すことが出来ました。

「東京以外の地域」という表現は、私が「地方」という言い方を好まないから使っているのですが、日本の地理と経済の成り立ちを考える上でも重要であると考えていて、それは「地方」と一括りにすると、課題を一般化・均一化しててまうが故に、地域個々の特性や課題が判らなくなってしまうからです。
とはいえ、文章にすると少し長いので本稿では、便宜的に「地方」と呼称します。

やや脱線しましたが、日本という国は、四方八方を海に囲まれ(海岸線総延長は35,293km)、国土の凡そ70%が山林であるが故に様々な樹種で覆われており、地軸の傾斜と公転による四季の移ろいは豊かな天然資源を創出しています。
そして自然とそれが織りなす風土や歴史・文化・伝統も全国各地に素晴らしいものがたくさんあります。

一方で、例えばエネルギーのほぼ全ては地方で生産され、それを電気に変えて大都市に送る事で高付加価値な産業が成り立っており、食料も国内産のそれは殆どが地方で生産・漁獲されたものが大都市の市場で取引される事により、食糧普及率(≠食料自給率)が維持されているのも現実です。

それらを統合的・体系的に計測するに足る、凡ゆる産業・生活に関する絶対的な指標はありませんが、相対的な指標としてGDPを参考に日本国内の経済構造を調べてみると、日本という国は、実に歪な経済構造をしていることに気付かされます。

例えば、2022年のGDPにおける都道府県割合で言えば凡そ20%が東京、千葉・埼玉・神奈川を加えた一都三県では40%(それ以外の43道府県で60%)となっています。
同時期の都道府県別人口比率を見てみると、日本全体の人口1.251億人に対して、一都三県の人口は3,560万人を超えており、その比率は全体の凡そ28%となります。
人口や人口比率は短期間で変化することは考えにくいこと、またGDPも経済的に成熟している国(とりわけ、日本のような低成長率の国)であれば、数年単位は誤差であると考えられることから、2022年の数値を参照して都道府県別GDPを比較してみると、GDPにおける国内消費の割合は50%超となっており、近年では国内消費自体が減少しつつあるという事実はありつつ、2023年はGDP590兆円のうち、236兆円は一都三県で生産・購買・投資されている計算となります。

しかし、人口比率で単純計算すると、GDP590兆円に対して一都三県の人口比率28%をかけてみると165.2兆円となる訳で、実際のGDP割合は3割高い236兆円となっていることに鑑みると、一都三県の生産力・購買力・投資余力は、それ以外の地域に比べて高いということも言えます。
※これらは、内閣府 経済社会研究所による県民経済計算における2020年〜2023年までの各年における各数値および総務省 統計局による人口推計を元に、私個人が算出していますので、データの抽出方法・計算方法には恣意性が否定できません。

私が、これらの日本国内の経済構造について考えるようになった発端は、2014年に人口戦略会議が発表した、いわゆる「増田レポート」における地方消滅論です。

私自身は、増田レポートに対しては、疑問と反駁を持って受け止めていたのですが、どんなに疑問を持っていようが、反駁しようが、得てして経済というものは、大きな力を持つ政治組織や経済主体が唱えたものが、既成事実として社会に認知され、一定の方向性を持って走り出すという人間の合理性や無謬性が作り出す、一種の共同幻想力学が働くからなのかもしれません。
※地方消滅論のその後は、2024年4月24日に同じく人口戦略会議が発表している『令和6年・地方自治体「持続可能性」分析レポート』に譲ります。

果たせるかな、2014年の増田レポートに対する物議や反論・批判は「地方創生」というビッグワードに結実し、10年間に渡る国策事業となった訳です。

しかし、国策として地方創生事業を推し進めた10年間で、日本の経済構造がどの様に変わったのかを見てみると、実は殆ど変わっていません。
寧ろ、東京一極集中は止まることなく加速しており、「ヒト・モノ・カネ・情報」の資源が過度に集中する事により、新陳代謝ではなく単なるスクラップアンドビルドの社会構造となっている様に思われます。

本法人設立の経緯と動機は。

だいぶ勿体ぶっていますが、日本の豊富な資源を活かし、またそれを後世に残す為には、経済構造の不均衡を是正する必要があり、更には地方創生の逆進性(地方創生を国策として推進しようとすればする程に地方が衰退する)に対するアンチテーゼとして、東京以外の地域で地に足を着けて商売をしたい、という想いを持つに至りました。

では、何故それが富山県氷見市であったのか、何故観光業であったのか?ですが、これは至ってシンプルな動機です。

前者は(冒頭記載もしている通り)、私が氷見市で働いていたことがあるから、です。
文字にすると何とも安直な印象を受けますが、数年間暮らした中で、この街のポテンシャルは、観光業での成長性を強く感じさせるものであり、私自身がそこでチャレンジしたいという想いを強くしていました。

念の為、氷見市のポテンシャルを具体的に書き出すと、何よりも「人」です。

氷見市に居ると友人・知人が、ごく当たり前にやっていることが誰かの幸せを創っているという事に気付かせてもらえます。
東京の様な大規模な経済圏にずっと居ると、誰かの為に働くことを忘れてしまいがちですが、やはり「今だけ、金だけ、自分だけ」の様な卑屈で矮小な価値観では商いは立ち行かなくなるし、また大きな資本・大企業の看板だけでは本質的な仕事は出来ないことを知っている人たちが居ることが、この地域の魅力と活力になっているのです。

氷見市の観光業の今後は。

観光業は、地域の財産を磨き、地域外の人に体験してもらうための機会を創出する機会となるからこそ、地域資源を活かし、その地域を後世まで残していく為の礎となることが出来ると考えています。
また、観光産業の収益は地域外顧客から得て、地域内に資金を流入させる効果が期待できるものであり、とりわけ宿泊事業は従業員の雇用のみならず、食材の調達や旅客運送・周辺地の飲食店、更にはリネンサプライ・設備のメンテナンスなどにも経済波及効果があるため、地方においては基幹産業ともなり得るのではないでしょうか。

翻って、氷見市の観光産業について、経済構造全体を把握するためにRESAS(Regional Economy Society Analyzing System)を使って現状分析を試みてみます。
※RESASは内閣府地方創生推進室ビッグデータチーム、経済産業省地域経済産業調査室が構築・運用している地域経済分析システムです。

RESASの2021年データを抽出・グラフィック化したものです。

(このデータは2021年のものなので少し古いですが、ほぼ全ての産業の付加価値額を総合的・相対的に分析することができるので、こちらを使っていきます。)
これを見ると、氷見市全体の経済のパイとしては、354億5千万円(これ以外の付加価値額として公共支出による付加価値額もありますが、一旦割愛します)となっており、このうち、宿泊を含む観光業の付加価値額は16億9,300万円と市内5番目の産業規模となっています。

マクロ経済学で言うところの消費関数というものがありますが、地域内だけで資金が回流している場合、調達→加工→販売→購入・消費の一連の経済行為における最終消費者は最も付加価値の高いものを購入することになるので、消費者全員が無限に収入が上昇し続けない限り、消費不振からデフレスパイラルに陥り易い構造となってしまいます。
観光業は、その調達→加工→販売→購入・消費のサイクルのうち、販売以降または購入・消費を地域外で行うものである為、流入顧客数を増やすという意味で経済(圏)を拡大する事が出来る産業なのです。

しかし、近年のコストプッシュインフレと人手不足、今後確実視されている政策金利の上昇による借入金利の上昇の蓋然性とも相まって、事業の継続性を担保することが難しくなっていることから、閉業する宿泊施設が増えており、このまま宿泊施設の閉業が続けば、地域外から消費者を呼び込む力は更に落ち、事業関連性の高い他の産業をも食い潰してしまい、その地域の衰退は益々加速していきます。

個別具体の話になりますが、氷見市における観光の要素を以下4点に絞ったとき、朧げながらその戦略の要諦が見えてくる気がします。

〜氷見市における観光の要素〜
⚫️「食」
人間は、普段は食べられないもの(物理的に手に入らない、あっても物流コストが乗った価格となるので高くて買えないもの)を求める傾向にあるので、観光戦略上「食」は地域外の人に最も訴求し易い要素となります。
しかし、食材の総量の減少や調達コストの上昇など、安価に大量に食材を調達できる時代ではなくなっていることから、食材ありきの観光戦略は通用しなくなっています。
※大都市圏と比較すると食材の調達コストは安価であるため、アドバンテージがあることは事実ですが、日常生活における購買と観光事業における調達は目的や商流が異なるので、事業採算ラインに乗るかと問われると、やはりそう簡単なものではありません。

⚫️「文化」
氷見市においても、中心市街地における祇園祭や各地域における獅子舞の奉納など、祭事が多くあり、毎年たくさんの人が地域外から訪れています。
ただし、こうした伝統・文化を観光コンテンツと捉えたとき、当然のことながら一朝一夕に出来上がるものではなく、長い歴史の積み重ねが必要であり、また時期が限定されるため「観光のための集客コンテンツ」となるか否か(また、その様な捉え方をする事が良いのか)は微妙なところです。
やはり、季節要因(シーズナリティ)がある=その時期は儲かる(バブル経済)が、他の時期は儲からない、の様な「アップサイドありきの戦略」となってしまうのは、あまり健全ではないよな、と。

⚫️「アクティビティ」
近年では富山湾のサイクリングや鮒釣りなどのサービス開発が進んでいます。
しかし、雨が多い北陸(「弁当忘れても傘忘れるな」という諺があるほど)にあっては、アウトドアコンテンツはシーズナリティに左右されるものが多くなるため、インドアの観光コンテンツによる新需要の創造と需要補完が必要になるのではないか、と考えています。

⚫️「景観」
これです。氷見市は海と山という豊かな天然資源を有しています。それは棚田のような田園の風景から(「長坂の棚田」)海越しの立山連峰のような、他の地域にはない景観が複数あることから、これら景観価値の開発と保全こそ、氷見市の観光価値を成長させるものであると考えています。

おわりに。

私は、社会に出てから20年以上、不動産の開発やM&Aに携わってきました。
時には、デベロッパーの開発担当者として、時にはホスピタリティサービス領域のブランドマネージャーとして、或いは不動産ファンドマネージャーとして。

そうしたキャリアによるものなのか、様々な不動産或いは地域を見る時には、そのバリューチェーンやバランスシート≒貸借対照表(B/S)に表して見る癖があります。

バリューチェーン分析においては、不動産事業の領域においても「点、線、面、立方体」が重要であり、自ら生み出している価値がどの様なものであるのか(「点、線、面、立方体」のどれに類するものであるのか=定性的評価)、どれだけのものであるのか(定量性的評価)を測る事が重要であると考えています。
定性的評価の部分を考えると、単体の不動産開発は「点」であり、それを幾つもの「点(他のサービスを提供する事業者や施設)」と繋ぎ合わせることで「線」になり、それが幾重にも折り重なることで「面」となる訳ですが、それは街・自治体単位で構築されることでこそ、持続可能な価値へと昇華できるのだと考えています。
逆にいえば「点」での取り組みでは、持続性には限界があり、それが「線」となったとしても、直ぐに断裂してしまう(バリューチェーンのうち、何処かが破断するとサービスが提供できなくなってしまう)ものであるため、観光開発においては「面」が絶対的に必要です。

また別の観点として、その地域の経済・経営状態をきちんと把握するため、地域をB/Sに表した際、多くの地方・地域で見られるのは下図の様な状態です。

企業経営においては、不良債権を圧縮・排除することでROA(Return On Asset)を向上させますが、これを地域における観光開発に置き換えると、特定空き家や廃屋を撤去することで新規事業を生み出す空地を造り、新たな事業を誘致・誘発させることと同義です。

街単位の「面」の取り組みにおいても、不良債権を圧縮していくという意味では、B/S思考も包含されるのかもしれません。

いずれにしても、日本全体の人口が減り続け、また経済も縮退していくと思われる中で、次の時代に何を渡すのか、どの様に日本という国を受け継いでいくのか、最早誰一人としてノーイシューではいられなくなると考えています。
そして、この先の未来に目を向けると、自分たちの時代に清算しきれなかった負債、どうにもならない重荷を次の世代に渡す訳にはいかない。
そんな風に思っています。

最後が重苦しくて後味悪い感じもしますが、氷見市の魅力を余す事なく外部に発信しながら、自分自身も氷見市を盛り上げるプレーヤーになれるよう精一杯、精進してまいります。

これからも、どうぞ宜しくお願いいたします

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