♯08 コミュニケーションは知覚である
今回の一言:「無人の山中で木が倒れたとき、音はするか?」
(この号は、約2分で読めます)
ドラッカー氏は「コミュニケーション」に関しても、数多くの至言を残しています。
そして、コミュニケーションの本質を、有名な禅問答に喩えています。
「無人の山中で木が倒れたとき、音はするか?」
・・・答えは「否」。
「音波は発生する。だが、音を感じる者がいなければ、音はない。」
という禅宗の教えを比喩し、以下のように論じます。
とても奥深いですね。
更に、
「コミュニケーションと情報は別物である。ただし、依存関係にある。」
と続きます。
「情報は知覚されて、初めて意味を成す」
まさに金言ですね。
社員に色々と伝えたい私たち経営者の言葉は、往々にして「音波」になってしまいます。
「コミュニケーションの成立には、
その内容が受け手にとって
①“知覚範囲内であること”(知識的に、意味が理解できること)
②“期待しているものであること”」
と、ドラッカー氏は説きます。
例えば、「財務状況が厳しいので、経費削減に努めてくれ」と社員に訴える、経営者の話はどうでしょう?
その際、どれだけ正しく、詳しく財務の話(情報)をしても、会計知識や数値を理解できない社員にとって、その話は「●※△~★」にしか聞こえません。
(なので、彼らにとっては知覚範囲外の話)。
更に、多くの社員にとって、赤字や利益減という数値を実感することがないので、関心の対象ではありません。
その結果、多くの社員にとって、経営者の切実な訴えは「音波」でしかないという、悲しいミス・コミュニケーションが発生してしまいます。
この残念なコミュニケーション、主に整骨院や接骨院を経営されている皆さまと患者さんの間でも、頻繁に起こるのではないでしょうか?
先生は患者様への問診や触診を通じ、多くの情報を得ます。
先生はその情報を理解する技能をお持ちなので、それを元に最善な処置を施します。
医療従事者の場合、的確な処置と同様に重要なのが、患者さんとのコミュニケーション。
先生が何のために何をするかのインフォームドコンセントは、現代社会では必須です。。
では、先生の処置内容を含め、施術後患者さんは的確に「知覚」しているでしょうか?
重要なのは、先生側がしっかり伝えたか否かではなく、患者さんがしっかり知覚したかですね。
素人の顧客に「専門技能」を販売している「師業」「士業」の方は、その道の専門技術だけでなく、「情報」を「知覚」に置換する高いコミュニケーション技能も問われるので、高度な職業ですよね。
~次号の「ゾウの時間とネズミの時間」を読む~
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?