本音で生きる彼女は愛されていました
多くの人が、相手に本音を言えなかったり、自分の気持ちに気付けなかったりという悩みを抱えている中で、私の古い友人は本音を口にする人でした。
友人と私にははっきりした違いがありました。
友人には悩みはあっても、人生を肯定的に生きていました。
友人は恋愛に貪欲な人でしたが、彼女以上に正直に人生を楽しむ人と未だ出会っていません。
彼女は常にお金に恵まれていました。
お金に縛られていない彼女と一緒に遊んでいると、とても楽なんです。
疲れたらすぐにタクシーを拾ってくれます。
彼女には国際電話もコレクトコールでかけられました。
金銭的な余裕がある彼女は愚痴をこぼしませんから、こちらも気が楽です。
彼女はモノに執着しませんでした。
モノで人を喜ばせようとしませんでした。
そして、愛されていました。
時に私は、羨ましすぎて妬みを露わにしました。
ある時、自分の惨めさに耐え切れず彼女に暴言を吐きました。
「いつも私を馬鹿にしてー」と言ってしまったのです。
自分自身の怒りと不満を彼女に当たり散らしたのです。
その時の彼女は真剣に、「あんたのことを馬鹿にしたことなんて一度もない!」と私を叱りました。
その直後に気が緩んだ私は、何も言いませんでした。
なぜなら、彼女が許してくれることを知っていたからです。
彼女は懐の深い、本当に温かい人でした。
本音を口にするから、誰よりも信頼できる人でした。
当時の私は人生を悲観していて、なんでも否定的に捉え、自分はこの世の最も不幸な人たちの一人だと考えて生きていました。
だから本音など口にすることはなかったのです。
私の本音はあまりにも惨めだったからです。
自己分析を始めたのはいいけれど、うまく進まない時期があり、困った私はあることに励みました。
それまで最も苦手としていた作文を書いたのです。
自己分析に役立てたいとノートを始めていましたが、自己分析もそっちのけで作文に没頭していました。
2ヶ月間、ほぼ毎日書きました。
きっかけは、自分の半生を振り返り、回想したいという衝動でした。
事実を捻じ曲げることのないようにできるだけ正確に出来事を記しました。
いくつかの出来事は告白でした。
自分にすら言いたくないと言うと変ですかね。
知らないふりをしたい出来事や感情があります。
それら全てを書き記し、感情も再体験し、俯瞰して感想も残しました。
甲斐あって、生まれて始めて知った感覚に触れました。
安堵感です。
私に許される限界まで惨めさを味わい、妬みや復讐心と汚れたマインドで生き、地獄を見てきた自分へ合格点をあげたい気分になりました。
そして、これで私も正直になれる!と自信を持って生き始めたのです。
こうした書き出し(私の作文)は分析ではありませんが役立ちました。
自分への愛がなければできないことだったからです。
自己分析はもっと奥へ奥へと深く掘っていくものです。
改めて、その入り口を見つけたような感じです。
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