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なぜ人は生まれてきたのか?
なぜ生きるのか?
人生の目的は人それぞれなんじゃないの?とおっしゃるかもしれません。しかし、みんな結局、

「幸せになるため」に生きている

のではないでしょうか?

学ぶのも、働くのも、貯金するのも、全て幸せになるため。
では、「幸せ」とは何でしょうか?頑張って勉強して、いい会社に就職して、人より稼いで貯金すれば、「幸せ」になれるのでしょうか?

経済学者であるグレゴリー・クラークは、「10万年の世界経済史」の中で、「人々は狩猟採集時代の先祖よりもほとんど幸せになっていない」と言及しています。人生の満点度を7点満点だとしたら、あなたの人生は何点ですか?と聞いたところ、

アフリカ マサイ族 平均5.4点
フォーブズに載る大富豪 平均5.8点

と点数にほとんど差がありませんでした。生活水準には明らかな差があるのに、なぜこのような結果が出たのでしょうか?それは、「幸せ」とは、他人と比較する相対的なものであり、共通のものさしがないからです。では、「相対的な幸福」以外に、「本当の幸福」というものがあるのでしょうか?

絶対の幸福

お金や財産、地位、名誉など、欲しいものをいくら手に入れても、心配や不安はなくなりません。むしろ、手に入れれば入れるほど、さらにもっと欲しくなります。つまり、欲しいものを手に入れようといくら頑張っても、キリがなく、本当の幸福にはなれないのです。お金や名誉などは、有れば有ったで「無くなったらどうしよう?」と不安の種になり、無ければ無いことに苦しむので、

有無同然うむどうぜん (有っても無くても同じ)

である、とお釈迦様はおっしゃっています。

では、本当の幸せとは何か?仏教では、有無同然の相対的な幸福ではなく、生きる上で最大の問題である、

「人は必ず死ぬ」
=「死んだらどうなるのか?死ぬのが怖い!」
後生ごしょうの一大事」

を解決することこそが、本当の幸福、すなわち「絶対の幸福」なのだと教えられています。

後生の一大事

後生ごしょうとは、死んだ後の世界、つまり「来世、来生」のことです。人は生まれた瞬間から、「死」に向かって近づいていきます。どんなに遥か先のことだと思っていても、必ずやってきます。そしてそれがいつなのかは誰にもわかりません

絶対やってくる未来なのに、どうして誰も死んだ後の世界のことを教えてくれないのでしょうか?

それは、

後生の一大事について明らかにされているものは、仏教しかない

からなのです。

出息入息しゅっそくにゅうそく 不待命終ふたいみょうじゅう

(釈尊)

(現代語訳)
出る息は、入る息を待たずして、命終わる。
息を吐いたあと、息を吸うことができなければ、命が終わり、そこから先は後生となる。

後生は、特別なことでも、遠い未来のことでもなく、誰にも等しく必ずやってくる未来です。「死は、吸う息、吐く息にふれあっている。生と死は常に隣り合わせなんですよ。」と仏教では教えられています。これを、

生死一如しょうじいちにょ

とも言います。そして、今生きている間に、「後生の一大事」を解決できなかったら、いくらお釈迦様でも助けることはできない、

「縁なき衆生しゅじょうがたし」

(ひとたび死んでしまったら、仏様といえども、どうにもならない)

ともおっしゃっています。

死ねば仏様が助けてくれる。
お経を唱えていれば成仏できる。

そのようなよこしまな考えで追善供養を行っても、仏教を聞こうとしない者には、手を差し伸べることができない、とはっきりお釈迦様はおっしゃっているのです。

今、生きている間に、仏教を聞いて、後生の一大事を解決することが、人間にしかできない絶対の幸福になる事ではないでしょうか?

終活って、ひとりでやろうとすると、途中で挫折したりします。趣味:終活って言ってる終活プロデューサー(終活P)の私を頼ってください!多分お役に立てると思います。