人生で配られたカードってなんだ?(軽めの考察)

スヌーピー「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」
(配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。)

皆さん、Peanutsのことはご存知ですか?あのスヌーピーが登場する漫画のタイトルです。時々哲学的な言葉を読者に届けてくれる素敵な漫画です。

そんな作品の中でスヌーピーが発するこのセリフをご存知ですか?このセリフは「よく犬なんてやってられるわね」と言われた時のセリフです。怒りもせず、ただありのままを受け止めていることが伝わります。そして作者はこの内容を読者にも伝えたい想いがあったことは容易に想像できますね。

では「配られたカード」とは何だろう。
この作品の場合だと「犬」というカードを配られたスヌーピーが「人」というカードを狙うのは努力などでは不可能だ。ということですよね。確かに、私も時々「お金持ちに飼われる猫になりたいな〜」と思うことがありますが、そんなカードは渡されてないので不可能です。しかしそれが不可能なことは容易に想像できるため、本気で諦めていない人はいないと思います。外見的な差異というのは自身で確認しやすいこともあり、このように自身がどのようなカードを配られているかが容易に理解できます。

では、内面的な差異に関するカードについて我々はどのような理解をしているのでしょうか。まず前提として人間は基本的に謎の自信を持って生きています。とある研究では、人は9割以上の人が努力もしていない状態で与えられた課題に対して「なんとかなる」と考える人が多いみたいです。が実際にその課題と向き合うとその課題の難しさに気づき、「なんとかなる」という考えは激減するそうです。それくらい内面というものについて我々は理解をしていないものです。ではそれは何故なのか。

「努力」という言葉のせいなのではないか。と私は考えます。何故なら「努力」とは、人が成長するための手段だからです。外見に関しても一部、化粧などはこのような部類に当てはまるのかもしれないですね。しかし内面に関する努力はいつ開花するかもわからないため、カードを実は持っていなくても私たちは気づいていない、もしくは今後手に入るかもしれないと考えてしまうのではないでしょうか。おそらくそれは間違いです。例外はいくつもあるとは思います。しかし努力はカードを増やす手段では無く、人生を豊かにする手段に過ぎないと考えるべきなのではないでしょうか。例えば、今私が中国語を勉強するという「努力」をしています。これにより何か新しいカードは生まれません。ただ中国に行った時に現地で中国語を生かして面白い旅を経験することは可能かもしれません。

そう、人は他者にもそうですが自分にも期待しすぎです。スヌーピーの言葉は苦しんでいる人に対して現実をまず直視してみることから始めよう。と言った意味合いが強いように感じますね。その後に自分がそのカードをどう活かすか。それを考えることで幸せを得られるのではないかと考えられます。

この内面のカードを確認する時に一番気になるのが「他者の存在」です。意識的か無意識的か現代の人の多くが評価の基準に他人の評価を導入しています。実際に、今まで絵を描くことが好きだったのに、新しい友達が私より絵がすごく上手で、気がつけば自分が描くことは嫌いになっていた。みたいな経験はありませんか。

その時の評価は間違いなく、相対評価です。相手と合わせた上での自身の評価です。新しい友達ができる前もおそらくその人は周囲と比べて自分が優れているという評価を下していたのでしょう。ここからわかるのは、このような思考は他者の存在により左右されるということです。スヌーピーのセリフを思い出してください。カードは既に「配られている」のです。人や環境により自分の持っているカードは変わったりしません。

今一度、人生で大切なことが何かを考えるのであれば、自分とこれからどれだけ向き合えるか。私を含め、他人と比べてしまうのであればより一層それが大切な気がします。社会に出てその差が広がって潰れてしまわないために。

そして私が思うにそういう他人と比べたがりの人は、自分しかしないことをたくさんするといいんじゃないでしょうか。誰も行ったことないところにいってみたり、特別な趣味を持ってみたり。そこではあなたは比べられることなくナンバーワンです。そしてその趣味を持つことができるのもあなたに配られたカードの力なのかもしれません。以上が疑問とそれに対する考察でした。

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