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手を挙げなくてもいいんじゃない? ー 小学校の授業にもっと『じっくり考える時間』を

最近、小学校の授業参観に参加して授業を見ていて、「これでいいのかな?」と思うことがありました。手を挙げて発言することや、グループで話し合うことが重視されているようですが、発言が苦手な子や、じっくり考えたい子もいるはず。

この記事では、そんな授業に対する僕の違和感と、「一人で考える時間」の大切さについて、考えてみたいと思います。


最近の小学校の授業、どう思う?

最近、小学校の授業を見ていると、なんだか「手を挙げて発言しなさい!」って強要されているように感じることがあります。

もちろん、発言するのは大事なことかな、とも思います。
自分の意見をしっかり言うことは、これからの社会でも必要なスキルだし、積極的な姿勢を育てることにもつながる。

でも、ちょっと待って?

みんながみんな、同じように手を挙げて発言しなきゃいけないですかね?

実際に、発言することに抵抗がある子もいるんじゃないでしょうか。
そういう子たちも授業に参加しているし、彼らの良さをもっと引き出すような工夫があってもいいんじゃないかと思うんです。

控えめな子もいるよね?

別に、全員が同じように積極的である必要はないと思います。
特に、手を挙げて発言するのが苦手な子って、決して何も考えていないわけじゃない。
むしろ、そういう子たちは静かに周りをよく見て、観察する力がすごくあるかもしれない。

たとえば、昔の同僚に、会議ではほとんど発言しなかったけど、鋭い観察眼で大事なポイントを見逃さない人がいました。
発言しなくても、彼のノートにはみんなが気づかない問題点がたくさん書かれていて、それが後から役に立ったことが何度もあったし、最後に意見を聞いてみたい人でもありました。

だから、全員が目立って手を挙げなくても、それぞれの得意な部分を伸ばす環境が必要だと思ったりするのです。

生徒との対話も大事だけど…

それに、最近よく見かけるのが、先生が生徒と対話形式で授業を進めるスタイル。

これ自体はまぁいいんじゃないかと思う。

先生が一方的に話すだけじゃなくて、生徒も意見を言って、考えを共有し合うのは、活発な授業になるし、みんなが参加している感じがする。

ただし、ちょっと気になるのが、その「対話形式」に頼りすぎて、授業にメリハリがなくなっていること。

対話も大事だけど、全てがその形式だと疲れちゃう子もいると思います。
たまには「静かに自分で考える時間」も必要なんじゃないかと思います。

授業が全部「対話」だと、一人でじっくり考える時間が足りなくなってしまうこともあるので、それらのバランスが大事だと思いますがいかがでしょうか?

じっくり考える時間を増やしてほしい

グループで話し合って意見をまとめる授業もよくありますが、その前に、もう少し「一人でじっくり考える時間」があってもいいんじゃないかなって思います。
考える時間があってこそ、質の高い議論ができる。

たとえば、仕事の場でも、会議前に資料を読み込んで自分なりに考えておかないと、ただ意見を出し合うだけの場になってしまうことがあります。
しっかり考えた上で話し合えば、議論の内容も深くなるし、いいアイデアが出てくる確率も高くなりますよね?

だから、小学校の授業でも、いきなり話し合いじゃなくて、まずは「自分の考えを整理する時間」をもう少し取ってもらえたら、もっと面白い議論ができるんじゃないか。

みんながしっかり考えた上で話し合うから、話し合いの質もぐっと上がるはず。

教育が目指すべきバランス

結局、今の授業って「発言しなさい」とか「対話しなさい」とか、そういうことに偏りすぎてる気がしちゃうんです。
それも大事だけど、静かに自分と向き合う時間、じっくり考える時間も、同じくらい大切だと思います。

これからの教育は、みんなが同じように発言することを求めるんじゃなくて、それぞれの特性を活かせるような仕組みにしていくべきじゃないかなと。
全員が積極的に手を挙げる必要はないし、静かにじっくり考える時間も、もっともっと大事にしてほしいものです。

教育における「発言」と「静かに考える時間」のバランスを取ることが、これからの時代に合った学び方になるんじゃないかなと思いますが、皆さんはどう思われますか?

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