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傷の数だけ知識を求めた理由


人間関係の中で。。。
どうしてもあるのが意見の食い違いだと思うんですけど、
それはお互い別の人間ですし、
意見が違うのなんかごくごく当たり前のこと。

なのでそのようになったとき、健康な人は
『話し合い』をすることで、お互いの気持ちをわかりあおうとしますし
『話し合う』=『関係を継続したい』ということで、
『話し合い』は寄り添いの形だと思うのですが
この、『話し合い』というのは
立場が対等でないと成り立たないという大きなデメリットがあるんです。。



毒親と呼ばれる人と私など
支配的な関係、上下関係の話し合いというのは
『お互い寄り添うための話し合い』
『相手を知るための話し合い』
『自分を知ってもらうための話し合い』ではなく


【私にわからせるための話し合い】になるので
相手には私の声は届かないのです。。

相手は話し合うことでお互いを知って人間関係を深めたいわけではなく、
私にわからせて服従させたいわけですから。。。

私の意見なんて聞く必要ないのです。。。


こう感じている。
こう思っている。
私はその言葉と態度に傷ついていると伝えても
最終的に言われるのが

『気にしすぎ』『勘違い』『話にならない』
『なに?あんた私を責めてるの?』のような言葉で一方的に切られます。


これは『I メッセージ』『You メッセージ』とも言われることなのですが。。

私がどんなに
『「私」(I)がこう感じている』
『「私」はこう思っている』
『「私」が傷ついている』
と自分の気持ちに対しての言葉を発しても

『「お前(you)の気にしすぎ」』
『「お前の勘違い」』
『「お前が話にならない」』となってしまい


ただ。。『あぁ、あなたはそう感じているのか』と受け止めてもらえて、
『自分はこんなつもりだったよ』と
寄り添えればと思っても。。

人間関係が支配的だとその声は
面白いほど届かないんです。


話し合うということ自体が
難しい上下関係の上と下。。。

私は下になりやすい人なので
常に切って捨てられる側なんですけど
自身が切って捨てられたからと言って
自分の気持ちまでなかったことにできないので、
昔は自分の中でぐるぐると答えのないことを考えてましたが。。

心理学を自分なりに調べたり
勉強することにしてから
自分の気持ちはもちろん、相手の気持ちを理解しようと思うことができたので。

なんというか。。知識をつけることで
わけもわからず傷ついていた心に
『納得』というエッセンスが降りかかるようなイメージにとても救われたのです。

私の知識は独学なのですが。。
その知識の数の分。。
私の心の傷を癒してくれたような気がします

それが絶対の正解ってわけではないんですけど、
直接聞くことも、向き合うことも難しい人に対して寄り添える心を持てる気がして
心理学を学ぶというのは
私自身の心を救ってくれてると思います。


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