人に傷つけられてきたけど私を救ってくれたのも人だったと思う
心を傷つけたり、裏切ったり、裏切られたり
無視をしたり、されたり、
つらい記憶には人が関わってると思いますが。。
それを癒してくれるのもまた人ではありませんか?
この気持ちは愛着の不安型のひと
いつもなぜかマウント取られる側
いつもなぜか捨てられる側
いつもなぜか粗末にされてしまう側の人たちは
感じていることのような気がします。
急に距離を詰めてくる人
自己愛の強い人
支配欲のある人など
摂取してばかりのテイカー。。
人に関わるとほんとろくなことにならないし
傷つけられてしまうし
粗末に扱われてしまう
どんなに我慢しても
どんなに寄り添おうとしても
相手の攻撃は止むこともなく
まるで私を人だと認識できてるかも怪しいほどの邪険を飛ばされたりとか。。
トラウマ級の傷を負わされることがあると思うんですけど。。
その傷を癒してくれるのはまた
人だったりしませんか?
私は自身で向き合うことも大切ですし
自分もそのあたりはしっかり向き合って自分の状態を知ろうとしてきましたが
私の心に癒しをくれたのは
他人の優しさや思いやりでした。
その優しさや思いやり、尊重のある環境に身を置くことは
不安型のとくにアダルトチルドレンで言ったら
イネイブラーなど『聞き役』『尽くし役』に当てはまる人は
とても大事だと思います
あなた自身は本当に人を思いやれて大切にできると思うので
自分自身を傷つけないで済む環境、
安心できる人がいる場所を
しっかりと見定めることですかね。
この辺は私も訓練中です
すぐに上辺の優しさなどを丸ごと信じてしまい
たちまち騙されてしまうので笑
小さな違和感。。
これ、すごく大事なんですけど
小さな違和感を逃さないことです。
ちょっとした否定。
ちょっとした不機嫌。
ちょっとしたマウント。
身近な人が豹変して見える全ての攻撃には
準備運動のような小さな違和感が必ずあるので、
ん?機嫌が悪いのかな?とか
ん?具合悪いのかな?とか
ん?たまたまかな?
っていい方に考えてしまうところの違和感を
しっかり見てください。
その違和感は高確率で悪い方に化けますから。。
本当にわずかな違和感です。
そうですね。。私の経験なら
ギャンブル依存症の旦那さんとの初デート。
先に待ち合わせに着いたのは旦那さんの方でした
場所はどこだったのか
何をして過ごしたのか全く記憶にないのですが
その時旦那さんはアプリのゲームをしていたのですが、
パズルとかのゲームではなく
スロットマシン🎰のクルクル回っている画面を
ひたすら押しては回して、押してはまわすだけの
アプリを開いていて
その時私はパズルで完成とか
何かをクリアするゲームとかではなく
ただクルクルを止めていく動作を指でリズムをとってる姿に違和感があって
『楽しいの?』と聞いたんですよね。
答えは『いいや?別に?』でした。。
ほんとそのぐらい些細なんです。
ふーん。そっか。で済んでしまうぐらいの。
これを少しずつエスカレートしていって
財布からお金を盗られるように
なっていくまで1年もかからなかったと思います。
後はそうですね。別の人ですが、
電話をしている時、やはり私は家事や育児をしながら対応するので
電話に全集中することはあまりなかった時、
少し不機嫌な声で(これポイントです。少し不機嫌)
『忙しいなら切るけど?』と言われた時。。
それは明らかに私への配慮で
後ででもいいよ!みたいな感じではなく
こっちに集中してくれ!みたいな雰囲気の
『忙しいなら切るけど?』は
のちに『どっち優先なの?』『どっちを選ぶの?』のお試し行為に発展して
それもエスカレートするので身動きが取れなくなるほどの束縛に繋がったりしてきました。
そしてどっちも、
不安型の人が悪者になりますからね。
支配力の強い人や回避の傾向のある人は
頭の回転も早いので
人のせいにしますから。
大きな傷をつけられてしまう前に、
小さな違和感に気がついて
自分の気持ちを信じてみるのは大切だと思います。
おかしいな?って私ならそんなことしないな?って疑問を考える人は
大体、私を傷つける人でしたから。。
早めに違和感に気がついて
違和感を感じない、自分を尊重してもらえて
共感してもらえる場に身を置いてください。
そうすると少しずつ傷が癒えるんです。
あなたの話を聞いてもらえて
共感をしてもらえるだけで
心は癒やされていくと思いますから。
傷つける人間も確かにいます。
そしてそれは自分が望んでいなくても
急激に距離を詰めて混乱させてくると思います。
でも傷が深いからと言って
人を避けたり、人を嫌いになるのは
もったいないと思います。
私たちのような人を傷つける人も間違えなくいますが。。
私たちのような人に寄り添ってくれるのも
また人だったりしますから。
私は過去に親を含め、そのまわり、
自分ので会う人たちにも
傷つけられて、粗末にされながら生きてきましたが、
その中でも私のことを対等に見てくれる人たちに救われました。
しっかりと私を1人の人間として尊重してくれた人たちに救われたので
どんなに傷ついても、
ひとりぼっちにはなかなかならないとおもいます。。
傷つきすぎると何も信じられなくなりますが
そんな時こそ
それでもそばにいてくれる人に目を向けてみたら、自分の中で何か温かい心をキャッチするチャンスになるかもしれませんね。
どんなに傷ついていても
受け取る余裕だけは心のどこかに
しっかり持っておきたいな。。って思います。
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