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「給食が食べられない…」完食指導って必要でしょか?

こんにちは めめ です!

皆さんは 「給食」は 好きでしたか?
私は 保育園・小学校・中学校と 給食を食べて 育ちました
どちらも学校で作る 自校給食だったので とてもおいしく
男子に交じって おかわりの列に並んでいたほどでした

今日はその「給食」について 書いていきます

「完食カード」ってなんじゃろか?

次男が幼稚園に通うようになって 初めてその存在を知ったのだが
この世に「完食カード」というものがあるのを ご存じだろうか?

長男は保育園育ちだったので
次男が通う幼稚園では 初めて経験することが多かった
大変お世話になっているものの 「はて?」と思うことも...

幼稚園入園から 1年ほどが経過したある日
次男が「完食カード」と いうものを持ち帰ってきた
給食を完食した日に もらえる カードだった

それには 可愛らしいシールが貼られ
「○○くん 完食しました!おめでとう」 と書かれている
なんじゃこりゃ??

どうやら 完食した時に 担任から配られるカードらしい
次男には発達凸凹がある

その次男は 偏食が激しく 給食を完食できることはほどんどない
なので 入園1年経過し初めて 完食カードを持ち帰ったらしかった・・・

だがその後も 完食カードの登場率は 数ヶ月に1度見かけたかどうか
そんなものだった

給食を食べてくれません!

ある日 次男を迎えに 幼稚園を訪れた時だった
担任の先生が 私の姿を見つけると 小走りに駆け寄って来た

「お母さん 相談があって...
次男君なんですけど やっぱり給食が食べられなくてね
最近は 白米だけ食べて その後は 机に突っ伏して寝てしまうんです」

担任からは これまで面談などを通して
「給食で食べられないものが多いので
家でも苦手な野菜をチャレンジしてくださいね」と 声を掛けられていた

この手の話は 慣れっこだった
長男も 好き嫌いが多かったのだ 
だが 長男は成長に伴って 食べられるものも 少しずつ増えた
次男もそのうちに 食べられるものも増えるだろうと 気長に捉えていた

だが 担任の話を聞いていくと・・・
周囲が「完食カード」を 貰えるようになる一方で
偏食の次男は 完食カードを貰えない日々だったらしい

唯一口の付けられる白米は 頑張って食べるものの 
それ以外は「どうせ食べられない」と 
やる気をなくしてしまっているという話だった

「お母さん、お弁当を持参してくれますか?」

担任は 一通り事情を話すと
「お母さん… 大変だとは思うんですが
できる日は お弁当を持参してくれないですか?」と 持ち掛けられた

次男にとって 給食の時間が 辛いものになっていると感じた私は
次の日から 毎日 弁当を作ることにした
弁当の内容は ほぼ同じメニューである

からあげ、卵焼き、ウィンナーといった 定番メニューである
加工食品・冷凍食品が多めの ラインナップだが
発達凸凹があり 偏食の次男は・・・
「混ぜたもの」や「味に変動のあるもの」には ほぼ手を付けないのだ

お弁当を作ることに決めた理由

私には 次男の他にも 不登校の長男がいる
そのため 不登校の長男にも弁当を作っている 

なので正直 この話があった時は
長男に加え 次男まで「給食の恩恵」に預かる事ができなくなり
なんだこのやろ~! と叫びたくなった

だが 私が弁当を作ることにしたのには理由がある

・「栄養面」が心配であること
・「給食の時間」を楽しく過ごして欲しい

偏食の次男 
家ではうどん、納豆、お餅、魚、シリアル、ハム、チーズ、フルーツ等
食べられるものが これでも増えたが

弁当食材として持っていけるものは ごくわずかな加工食品ばかり
栄養満点とはいかないが 白米オンリーよりは 加工食品であっても 
私の作る 弁当の方が良いだろうと思った

そして 給食中に机につっぷしている次男は
そのうち 長男と同じように 給食が大嫌いになってしまうと思った
長男は学校が嫌になる理由の一つは 給食だったように思うのだ

苦痛な時間が増えれば 次男も幼稚園に行く事さえ・・・
そうなったら 困る!
もうこれは弁当を作るしかなかった

ちなみに 補足すると・・・
次男の幼稚園の給食は 業者から配達される 弁当だ
お世辞にも「美味しそう」とは言えない メニューなのだ

幼稚園の給食の写真を見た 私と夫は
「こりゃ次男は食べないわ 大人も毎日は食べたくないもん…」と一致した

「完食指導」は必要か?

給食の時間を通して 新しい食材に触れて
チャレンジしてみることは ある意味大事だと思う
それがきっかけで 食べられるものが増えたこともある

だが 時代的に「完食指導」は 時代遅れじゃないだろうか

SDGSの観点からも
「自分が食べられるものを 食べられるだけ配膳する」
そんな風に変わってきている時代に
なぜ 次男の幼稚園は いまだに「完食」を目指しているのだろうか

誰しも 好き嫌いはある
感覚過敏があり 偏食がひどい子もいる
アレルギーがある子もいる
なのになんで 完食を目指しているの?

子どもなんて 単純だから
完食カードなるものの おかげで・・・
「完食カードが欲しい」と 頑張れる子もいれば
「カードが貰えない僕って カッコ悪い…」と自信を無くす子もいる

そう思うのに・・・
日頃から 手の掛かる次男のことで
お願いばかりの私は 何も言い出せずに
今日も 黙々と 弁当を作っているのである

大人にも「完食カード」必要でしょか?

次男は (嫌いな食材ほぼゼロの)弁当に 切り替えたことで
完食カードを ちょくちょく持ち帰るようになった

「ママ~見て~♪ ぴっかりーんだよ~♪」
と空っぽになった お弁当を 見せてくれる

つまり次男は 
条件付きで 完食カードをゲットすることができたわけだが

給食の目標は 果たして「完食」なのだろうか?

「苦手な食材に ひとくち口を付けたね!」 とか
「立ち歩かないで 食べられたね!」 とか
「手洗いが 上手にできたね!」 とか 
そんな風に 褒めて貰えるくらいで 私はいいと思う
大人だって 嫌いなものは残したり 量を減らすでしょう

毎日 食事を作ってくれる家族や レストランの店員から
「完食できましたね! はい、完食カードどうぞ」 
って言われたら なんか変だよね??

大人が「はて??」と思うことを 子どもに強制していないか
そういう視点を 忘れないでいたい

「甘い」と言われるかもしれないけど 
学校に行かなくなった長男がいるおかげで
「苦しくなるまで頑張る」という美学を 私は必要としていない

ただでさえ 小さな身体で頑張っている集団生活 
給食くらい 楽しい時間であってほしい 

ねえ そうだろ〜?(by FUNKY MONKEY BABYS )

ではまた♪

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