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1本のサーブに込めた想い

小学生の頃、3年間バレーボールクラブに入っていた。背が低かったわたしは、バレーボールをすれば背が高くなるかもしれない、そう思って入部した。期待とは裏腹に、悲しいかな遺伝には勝てず、6年生になっても身長は前から2番目。それでもバレーボールは楽しかった。背が低いので、アタッカーでは起用されないと考えたわたしは、レシーブとサーブを誰よりも練習した。

当時はレシーブ専門のリベロというポジションはなく、全員サーブを練習した。サーブが唯一、わたしが敵チームに攻撃できるスキルだった。

コーチ達は色々な練習を考えてくれた。特に楽しかったのが椅子当てゲームだ。ラインギリギリの所にパイプ椅子が置かれ、サーブで椅子を狙う。当てたり倒すことができれば、ポイントがもらえた。ボーリングのようなものだ。


そんな楽しかったバレーボールが、できない時があった。小学校5年生の秋、陸上や運動会の練習でいつの間にか怪我をしていたのだ。足を引きずりながら走るわたしを見た友達のお母さんに、病院に行くことを勧められる。よくよく見ると太腿に痣がある。整形外科を受診、全治1ヶ月の肉離れと診断された。

今でこそ1ヶ月はあっという間に過ぎるけど、小学生の1ヶ月は長い。かけっこして遊ぶこと、そしてバレーボールを封じられ、人並みにショックを受けた。


その時にあった試合は、スタメンから外されベンチで応援した。ただ、この日はみんなの士気が低く、1セット目は惨敗。私達のチームは、1点も取ることができなかった。チームの雰囲気はどんよりしていて、悲壮感が漂っている。

2セット目、これで負けると終わりだ。流れが少し変わろうとした時、コーチがわたしを起用した。サーブを買われ、ワンポイントサーバーで出場したのだ。

プレッシャーは正直あった。何もできずにまたベンチに戻るかもしれない。でも、この時わたしは、今までの自分を信じた。怪我をしてもずっと、サーブだけは練習した。これだけは誰にも負けない自負のようなものがあった。

結果、サーブは見事に決まり、得点を取ることができた。みんながワッとわたしに駆け寄る。嬉しかった。少し貢献できた。期待に応えることができた。このままみんな頑張れ!またベンチに戻り、精一杯応援した。

その後は、1セット目よりも雰囲気が良いことは確かだった。1点しか取れずに試合は終わったけど、みんな清々しい顔をしていた。

試合後、それぞれのチームでMVPを決めることになった。唯一取った1点がわたしだったので、チームのMVPに選ばれた。試合に出たみんなに申し訳ない気持ちはあったけど、でも嬉しかった。


怪我をして悔しい思いをした。でも、1本のサーブに込めた想いが伝わった、そう思った。サーブを自分の武器として、今まで練習して良かった。日々の努力が自信と結果に結びついた、そんな経験だった。

MVPに選ばれた時に貰った小さなタテは、今でも実家に飾られている。賞とは無縁の凡人なわたしが、唯一もらった努力の結晶だと思っている。

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