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誰かにギフトを贈るのは、自分のため

昔から誰かにプレゼントをするのが好きだ。誕生日や送別会でギフトを贈ったり、お祝いをしたり。

もちろん喜んでくれたら嬉しいという気持ちもある。ただ、プレゼントのその先には全く興味がない。元々自分のモノではないから、相手がぞんざいに扱おうが売ろうが、何でもいいのだ。

だから贈っただけで満足で、リターンなどは全く求めないし、もらうことにはそこまで興味がない。(もちろんプレゼントをもらったらめちゃ嬉しい。)

別れた昔のパートナーからもらったものを、捨てるか置いておくかという議論がある。わたしはモノに罪はないというスタンスで、元彼からもらったものも、自分がお気に入りだったら、別れてからもガンガン使う。彼からもらったという思い入れは全くなく、モノ自体好きか使えるかで判断する。モノをみて元彼を思い出すなんて、まずない。

贈り贈られる一瞬のその時の気持ちがプレゼントであって、その行為から離れた時に、贈り物から普通のモノに私のなかで変わる。

たぶん、相手のために贈っているのではなく、プレゼントを贈る自分が楽しくてワクワクしているだけなのだ。


こういうと少し冷たいのかなと、今までは思っていた。でも、最近は結構いいマインドなのではと、思い直している。

誰かのためと思ってプレゼントをすると、相手に対して無意識に期待してしまう。例えばリアクションとかリターンとか。そして相手が自分の期待と違う時、落胆してしまう。お互いを思い合うからこそ気を使ってしまったり、深読みしてしまったり、そんなこともある。

それに対して、自分が好きだからという理由でギフトをすると、相手に対して特に何も求めない。相手がもし嬉しければこちらもハッピーだけど、あくまで付け足しだ。むしろ『こちらこそ楽しい気持ちにさせてくれてありがとう』という思いになる。


そしてこれはモノとしての贈り物のみならず、気持ちの面でも同様ではないだろうか。

少し前にこんな記事を書いた。

見返りを求めない優しさを受け取って、自分も他の人に繋げたいと思った。ただ、今考えると、彼らも私の為ではなく、ギフトを贈ること自体が楽しかったのかもしれない。

そう思うとギフトを贈ること・優しくすることへのハードルが低くなって、すごく良いなと思う。誰かのためにと変に気を張るのではなく、自分が楽しいから贈る、自分が嬉しいから相手にも優しくなる。結果的に相手も喜んでくれたら、もっと嬉しい。

もちろん思いやる心は大切にしないといけない。でも相手に期待しすぎたり気を使うくらいなら、まずは自分が楽しいからギフトを贈る、そういうのもアリかなと思っている。

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