良い母親とは。(エッセイ)
※この文章は、息子が1歳だった2021年頃、初めての育児で悩んでいた頃に書いた物(後日少し編集)です。当時の私は「良い母親像」という自分で勝手に形作ったプレッシャーに押しつぶされそうになりとても悩んでいて、心療内科に通ったほどでした。当時から2年たった今(息子4歳、娘0歳)でも、当時同様子育てなどで悩むことはありますが、大分肩の力を抜いて自分らしく、日々を楽しめるようになりました。この文章が、当時の私と同じような新米親御さんなどのお役に立つかわかりませんが、もし立てば幸いです。※
今でもよく覚えている。
私は息子を妊娠中のある日、久しぶりに会った学生時代からの友人とお茶をしながら、こう言った。
「私、良いお母さんになりたい」と。
当時すでに3人の子の母親だった私の友人は、きっと「最初は誰でも、そう思うんだよねぇ」と、心の中でそっと感じていたに違いない。
それでも彼女は私に「〇〇は、良いお母さんになれると思うよ」と、優しく答えてくれたのだった。
何をどうしたら良い母親になれるか、そもそも子どもにとってどんな母親が良い母親なのか?
明確な答えは、きっと誰にもわからないのに。
そうして母親になった私には、ちょっとしたコンプレックスがある。
子どもが泣くと、どうやって接したらいいのか分からない時があることだ。
それは「あやし方を知らない」と言うよりは、「自分があやす姿を即座にイメージできないから、実行に移せない」と言ったほうが正しい気がする。
家族3人で過ごしているとき、夫はいつも、息子の前でユーモアいっぱいに動き、3分に1回は不機嫌になりかける彼を笑わせることができる。
顔をしわくちゃにして変な顔をしてみせたり、家具の後ろに隠れてはおどけて出てきてみせたり。
私はそんな夫を心から尊敬している。
今の私には、なかなかできないことだから。
子どもが泣いたとき、私は自分の頭が真っ白になっていくのを周囲に悟られないように、とっさにお菓子を差し出したり動画を見せたりしてしまう。
「あなたのその子育ては間違っている」と、いつ誰に言われるかビクビクしながら。
先日私は「今の自分は何かがおかしい。これは一度、専門の人に相談した方が良いのではないか」と感じ、心療内科のカウンセリングに駆け込んだ。
自分の心の中にある問題を一通り吐き出した私に、カウンセラーのかたがこう問いかけてきた。
「あなたは、息子さんを他の誰かと比べたりしますか?」
私は迷うことなく、こう答えた。
「いいえ。息子には、『自分は存在しているだけで素晴らしい』と思ってほしいです。私自身、息子は唯一無二の素晴らしい存在だと思っています」
すると、カウンセラーさんがこう続けたのである。
「それじゃあ、あなた自身も、『自分は存在しているだけで素晴らしい』と思っているべきだし、そういう姿を息子さんに見せるべきではないですか?」
と。
ハッとした。
私は、日に日に大きくなる息子を無条件に愛でながらも、自分に対してはまったく「オッケー」を出せていなかったということに、初めて気がついたのだった。
何かにつけて「ちゃんとしなくちゃ」と、焦らなくても良いのだと思う。
出来る範囲で、少しずつ自分のキャパシティーを広げながら、息子と一緒に成長していく。
そして日々親として、それ以前にひとりの人間として、自分のことも周囲のことも、大切にする。
そんな考え方が良いのではないか、と最近は思っている。
難しい顔をした私の方に、保育園での1日を終えた息子がうれしそうに駆け寄ってくる。
有り難いことに息子はこんな私のことを、とても好いてくれているようだ。
私も自分をもっと好きになろう。
きっと、そこからなのだと思う。
息子1歳半、私も母親1歳半。
妊娠中からずっと考え続けてきた「良い母親とは」という問いに対する答えを探す私は、もういなかった。
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