【読書】OPEN(オープン): 「開く」ことができる人・組織・国家だけが生き残る
はじめに
こんにちは、Kenです。
今回は、「OPEN(オープン): 「開く」ことができる人・組織・国家だけが生き残る」を読んだ所感や考えた事などを書いていこうかなと思います。
個人的な主観入りまくりの、バイアスかかりまくりになるかもしれませんが直球に書いていきたいと思います。
オープンとは発展と繁栄
まず、これを読んで感じたことは成長や未来を望むのであれば「オープン」になるべきだということです。
本を読んでいけば、歴史になぞってローマ帝国やその他の各時代を代表する国がどうして大きくなることができたのかが書かれています。そこに共通しているのは多種多様な思想や技術、果ては宗教まで制限をかけることなく取り入れていたことです。つまり門戸が広かった。宗教に関して取り入れると表現すると少し語弊がありますが、信仰の自由は制限しなかったと言えると思います。
よく名前の出てくるあのナポレオンですら、侵略した地域には自国の宗教は強要せずに、その地域に根付いている信仰を続けさせていました。
フランス民法典というものがあり、フランスの私法の一般法を定めた法典になります。ナポレオン・ボナパルトが制定に深く関わっている経緯から、俗に「ナポレオン法典」とも呼ばれています。
そこにはこう書かれています。
当時としては、かなり広い範囲で自由や権利などが認められていました。画期的であることに疑いはなく、その自由こそがヨーロッパ随一の国に発展していく大きな要因と言えると思います。
今ほど統計的にわかっていることも前例も乏しい中で制定していたのですから、もしかしたら、肌感覚で制限をかけることは統治や繁栄の邪魔になると感じていたのかもしれませんね。
非オープン化による没落
しかし、ローマ帝国も他の大国も衰退していきました。その原因となっていたのが、せっかく維持していた自由を取り上げ始めたからです。
以下の記事を引用させてもらうと、
根拠のない不安や既得権益を守るがために、豊かさをもたらしてきた外の風を、新しい考え方や技術を排除しにかかったのです。すごく簡単に言うと自滅していったと言えます。
そうするとその国では排除の対象になる考えや技術で生きていくことが困難になり、諸外国へ逃げ込むことになります。
新しい考え方や技術がなければどうなってしまうのか?
1つは画期的なアイデアが生まれません。
アイデアとは既存のもの同士の掛け合わせで生まれることが多く、あらゆる方向からのアプローチが必要になります。そのアプローチの絶対数が減るのですから、良いアイデアが出てくることがかなり少なくなります。
2つ目として、新しい技術とは生活を豊かにしていくものであり、より高効率化されたものでもあります。その技術を放棄すれば国の進歩は止まったも同然になり、新しい技術を否定したとしても、周りはそれ許さずにどんどんと進化してきます。その状態が続けば決して埋めることのできない絶望的な差ができることになります。これはちょうど江戸時代の鎖国と似ているのかもしれません。
今がより豊かになってきたのは、新しいことやものが生まれ続けたからです。それを生み出し続けるにはありとあらゆる思考や考え方が必要になり、それを実現させていく技術が必要になってきます。
殻に閉じこもっていてもいいことはほとんどありません。
自らが止まったとしても周りは関係なく進んでいるのです。
現代においての「オープン」とは
インターネット
現代のオープンとはインターネットがその一つと言えると思います。大きな障壁もなくあらゆる情報にアクセスすることができ、日本海外問わずに情報を発信収集することができます。
娯楽や学習、趣味などあらゆることがネットに繋がり、コミュニケーションやコミュニティなど今まではオフラインでしかできなかった出会いや可能性が大きく開いていると思います。
インターネットそのものが最初から開かれたものであることを考えると、ようやくそこに技術が追いついてきたのかもしれません。
しかし、そのネットも今は周りを見渡せば嫉妬や批判誹謗中傷で溢れ、本来オープンであったものがどんどんとクローズ状態になっています。
根拠のない疑わしいと感じるものに感情的に反応し、自らの欲を満たしたいがために人を平気で陥れようとすることが散見されるようにもなってきました。
するとどうなるのか?
表で話しても仕方がないとなれば、公開される場所がどんどん狭くクローズになってきます。そしてそこに再びアクセスしにいくためにはサブスクなどでハードルが上がっていきます。
アイデアや技術の掛け合わせによる進歩の可能性が広がったのに、せっかく開かれていたものが、個人のその場限りの行動で狭くなっていくのは本当に勿体無いとしか言いようがありません。
自分で自分の首をしてめいることにどこかで気づいてほしいところです。
移民
また、移民についてもオープンと密接に関わっています。この本でも多数触れられていますが、進歩していくには移民を受け入れることも大きな可能性を秘めています。
ただ、移民について良いイメージを持っている人は決して多くないです。野蛮で常識の通じない人たちだと思っている人も多いでしょう。
しかし、僕個人の意見を言わせてもらうなら、上記のイメージはあまり持っていないので、どちらかと言うと受け入れには賛成です。
新しい考え方やアイデアをもたらしてくれることもありますし、グローバル化が謳われる昨今では必要なことでもあると思います。
ただ、課題がないかと言われるとそんなことはないので、受け入れるにしても日本で生きていくための基礎的な知識などは知っておいてほしいとは思います。個人や自治体だけだと難しいと思うので、国の政策としても支援が必要ではないかと考えています。
ただ、そこにコストがかかるとしても、それ以上に得るメリットはあると思います。人材不足や国際化の課題を解決していくためには、かなり有効な後方であるとも思います。
最後に
これは最後の雑感にも書いていたのですが、自分も知らないうちにクローズドになっているのかもしれないということです。
これはかなり気をつけなければならないと思いました。
自分の好きなものやことであれば、おそらく大抵のことは許すし、そういうのもあるよねと流せることが多くなります。しかし、自分の価値観から外れるもの、また興味の範囲から外れるものに関しても同様の対処ができているでしょうか?
例えば、もしその中に過激な性に関する表現や描写があった時に、同じように寛容でいられるでしょうか。もしかしたら教育上良くないと思い規制すべきだと行動を起こすかもしれません。公開するなと声を上げるのかもしれません。
そのような状況になったときに本当に「オープンである」と言えるかどうかは難しいところです。オープンとはあらゆるものを受け入れることになるのではないかと思います。それを主観で規制してしまえば受け入れるではなく、反対にクローズドになる。
ここはほんとに難しいところで、全く規制がないというのも無法地帯になりかねないので最低限何かしらの規制が必要なのかもしれません。が、その規制は限りなく自由に近いものでないと意味がないと思います。
そうやって意識はなくとも、視点を変えればオープン性を排除してしまっていることはあるなと思いました。
あらゆるものを受け入れていくことは大切ですが、どれを自分の中に取り込んでいくかの取捨選択はより重要です。メディアや空気に流されるのではなく、自分の判断軸をもとに選択していきたいところです。
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