「勉強する理由の答え」をくれた本

私の親は「勉強なんてしなくていい。女に『学』なんか必要ない」と言っていた。今だから分かるのは、親は子供に賢くなってほしくなかったんだと思う。知恵をつけられて、自分たちの好き勝手に子供を扱えないのが嫌だったのかなって。両親の言いつけを守った結果、得たものはどこででも寝られる特技くらい。

旦那さんに出会ってからは、「自分の頭で考えよう」って一緒に考えること、学ぶことの重要性を教えてくれた。何がどう大事なのか、考え方を何回も教えてくれたけど、実はあんまり覚えてない。ごめん、旦那さん。でも彼の影響、自分が興味のあることを学んで思った。

 勉強は、誰かに自分の幸せを奪われないためにする。

私の場合はテストで100点取る勉強よりも、理不尽なことに泣き寝入りをするのはもう嫌だから「自分の頭を使うこと」を学んでいる。

この考えに至ったのは、ある2冊の本の影響が大きい。書かれている言葉がグサグサ心に刺さった。理屈や科学的根拠で書かれた「勉強しなさい」って本よりも説得力があって、私はすんなり受け入れることができた。

・『学問しぃや』

もしも福沢諭吉が関西弁で「学問のすすめ」を書いたら…。馴染みある関西弁と現代の言葉で、学ぶことの大事さ、なぜ学ばないといけないのかを知ることができる。

 知恵がないのが行き過ぎると恥を知らんようになる。自分の無知ゆえに貧乏になって、経済的に追い込まれてんのに、自分の身を反省もせんと、金持ちを恨んだり、ひどくなると、集団で乱暴するていうこともあるんや。

これ、まさしく私の家族。知恵がないのに、自分は賢いと思っている。それでいて、他人を見下し、自分たちに起きる悪いことの全ては他人のせい。だから、我が家は暴力が日常だった。

お金が無くて貧しいよりも、心が貧しい方が惨めやから、心だけは豊かでいたい。

 人に頼るやつは必ずその人を恐れることになる。人を恐れるやつは必ずその人間にへつらようになる。常に人を恐れ、へつらうやつはだんだんとそれに慣れ、面の皮だけがどんどん厚くなって、恥じるべきことを恥じず、論じるべきことを論じず、人を見ればただ卑屈になるばっかりや。

人に頼る、ってのは悪いことじゃないし、むしろ困った時は頼ってもいいのだと思う。自分の頭を使っても上手くいかない、色々行動してみたけど、八方塞がりになった時にね。人に解決してもらうのが楽やから、自分が損したくない気持ちで誰かを頼るのがアカンって意味、だと捉えた。


・『ユダヤ5000年の教え』

人生、恋愛、知識についての名言集に説明を加えた読み物。ユダヤの人たちが学ぶことを大切に思っている理由には、彼らの悲しく過酷な歴史が関係していた。ユダヤ人の著名人には、スティーヴン・スピルバーグ、マーク・ザッカーバーグなどがいる。全部名前を挙げると、電話帳が作れるほどのユダヤの偉人たちがいるそう。

人が生きている限り、奪うことができないものがある。それは、”知識”である。

長い迫害の歴史があったユダヤの人が言うから、重みのある言葉。お金、自分が持っているもの、命も奪われてきた彼ら。だけど知識というか、頭の中は誰にも邪魔されない。それが自分たちの命と子孫を守ることに繋がったのかもしれない。

 体重ははかることができるが、知性ははかることができない。どうしてだろうか。体重には限度があるが、知性には限度がないからである。

「学ぶ」ことも筋トレと同じで、自分で考える特訓をすれば鍛えられる。知性には限度がないから、何歳からでも学べるのではないか。そう考えて、年齢を言い訳にしないように気をつけている。

学べる充分な環境があるのに学ばず、理不尽なことに対して自分ができる処置をとらずに、Twitterとかで文句を並べる人になりたくない。人の言うこと、情報を鵜呑みにするんじゃなくて、自分で考えてから何かを判断する。理不尽なことがあっても、心豊かにいられる方法を知る。

それが私の「学び」であり、自分の幸せを誰かに奪われないようにすること。

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