育児を支える、言葉たち。

子供は産むのも大変ですが、育てるのも大変。

特に乳児期と呼ばれる最初の1年は、昼も夜もなく、授乳と寝かしつけ、おむつ替えと抱っこのエンドレス・ルーチン。体力的な話だけでなく、命を預かる責任とプレッシャーが、時に親を追い詰めていきます。

この「大変だぁ」度合は、親の性格、赤ちゃんの性格によって大きく異なりますし、楽々育児をこなせる人もいるとは思いますが。私にとっては、戸惑うばかりの365日(×2人分)でございました。

そんな日々を支えた、3つの言葉をご紹介したい。

時には呪文のように、時には自分を鼓舞するために、私はそれらの言葉を唱えました。そうして、産後の脆く、荒立つ心の寄り所にしていたのです。

「赤ちゃんの時期は、あっという間よ!」とか。「半年もすれば、○○できるようになるわよ!」などは、育児経験者特有の時空を歪めてしまうという不思議現象なので、どうぞ聞き流してください。

私を支えたのは、今をやり切る、今日を生き抜くための言葉たちです。

いつかは絶対に寝る。

睡眠問題は、育児がもたらす悩みNo.1ではないでしょうか。

赤子が起きている時間は、どちらかの親は寝られないわけですから。夜間授乳で2~3時間しか寝てくれない時期などは、いかにスムーズに寝かしつけするかが、親の睡眠時間に直結するのです。

抱っこしてトントンして、すんなり寝てくれる日もありますが、何をしても、てんでダメなときだって、もちろんあります。あの手この手を試すほど、逆に赤子を起こしているのかな?と疑うことも。

私も可能な限り夜間育児を頑張りました!が、もう限界・・・本当に無理です・・・というときは、夫にバトンタッチ。二人三脚で、いくつもの眠れぬ夜を乗り越えてきました。

そんな時間を支えたのが、「いつかは絶対に寝る」という呪文です。

大泣きしてても、「大丈夫。いつかは絶対に寝る」。お目目がかわいくパッチリ開いた夜中2時でも、「大丈夫。いつかは絶対に寝る」。おもちゃで遊び始めちゃった明け方4時でも、「大丈夫。いつかは絶対に寝る」。

夫婦で交代しながら抱っこで寝かしつけ、やっとベッドに降ろしたある夜のこと。夫が「本当に寝たのかな?」とほっぺをツンツンしてみたら、モロー反射でバザッ!と娘が両手を広げたことがあります。

そのあまりに滑稽な様子に、夫婦で静かに大爆笑。
眠れぬ夜がもたらした、楽しい思い出のワンシーンです。

お腹がすいたら飲む。

授乳真っ只中のときは、赤子にしっかりとミルクを提供することが、母親の至上命令のように感じていました。

いま考えると、そんなに追い詰められなくても・・・と思えるのですが。母乳があまり出ないおっぱいだったせいか、なおのこと、おっぱい・オブセッション(強迫観念)が凄かった。

ご存知、おっぱいには目盛りなど付いていませんから。どれだけ母乳が出たのかは、赤子のみぞ知るブラックボックス。「只今○○ml、いただきました~!」とは、誰も教えてくれないのです。

だから「ミルクが足りないのではないか」「お腹がすいていたら可哀想だ」という想いが強く、飲んで欲しいときに赤ちゃんが飲んでくれないと、気が気じゃなかった。

寝る前にたっぷり投入する「夜のミルク」を、飲まずに寝てしまったときなど、もう心配で、心配で。腹ペコで寝るなんて、可哀想だ。餓死したらどうしよう・・・と、寝入る赤子の様子をずっとチェックしていたものです。

そんなピリピリとしたオブセッションを感じたのでしょうか。長女が赤ちゃんだったときは、哺乳瓶の好みも激しくて、ありとあらゆる哺乳瓶とちくびを買い揃えたものです。

血眼になって乳やミルクを与えていたら、ある日、母に「大丈夫よ。お腹がすいたら飲むわよ」と言われたことがあります。

その言葉で、悪い魔法から覚めたように、ふっと気が楽になった。

そりゃそうだよなぁ。

お腹がすいたら、飲むわなぁ。

もしかしたら、日本で育児している方には、おっぱいに関わるアレコレで追い込まれている人が、少なくないのではないでしょうか。日本とアメリカの両方で産み、育てて思うのは、日本の指導はちょー厳し~ぃ!ということ。

日本の産院で言われた「授乳の時間・排泄の時間・睡眠の時間をすべて記録せよ」というのは、けっこうクレイジーな沙汰ですよ。

「赤ちゃんが○ヶ月になったら、授乳時間は○時と○時と○時と○時・・・」なんていう授乳指導も、マイクロマネジメント過ぎませんかね。


手をかければ、かけた分だけ・・・。

睡眠の悩み ⇒ 「いつかは絶対に寝る」。

授乳の悩み ⇒ 「お腹がすいたら飲む」。

その他の事案に関して、だいたいを網羅しれくれる魔法の言葉が「手をかければ、かけた分だけ・・・」です。

これも母親に言われた言葉なのですが、意味としては「例え大変でも、今たくさん手間をかけてやれば、しっかりとその子の身になって、後々いいことがある」といったところでしょうか。

本をたくさん読み聞かせてあげれば、その分だけ、言葉への興味関心を育てることができる。結果、あとでラクになる。

遊んで欲しがっているときに、たっぷりと時間をとって遊んであげたら、子供の心が満たされる。結果、あとでラクになる。

食べ物を手でぐちゃぐちゃに食べていても、食べることへの興味関心を育てることができる。結果、あとでラクになる。

ミソとしては、この「あとで」は果たしていつなのか。「ラクになる」は、誰がどのようにラクになるのかは、あまり深く考えないこと!

むむむ、大変だな。げげげ、面倒だな。

そんな気持ちが沸いてきたら「いやいや、手をかければ、かけた分だけ・・・」という呪文を唱えて、いつの日かやってくる将来へ、何らかのハッピーネスを先送りするのです。


つい先ほど、お風呂から出てきた娘が「まるまるメロン食べたい!」と言い出しました。まるまるメロンとは、スプーンでメロンを球状にくり抜く、というオシャレなアレです。

むむむ。

げげげ。

手をかければ、かけた分だけ・・・。

手をかければ、かけた分だけ・・・?

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