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スプーン一杯のビールっこ。

秋田の11月は、寒い。
飛行機を降りると、東京とは違うことを空気が教えてくれる。思えば、この時期に秋田を訪れるのは初めてだった。外を見ると、重たい雲が限界を迎えて雪を吐き出し、あっという間に景色を変えていくーー。

住んだことはないが、私は秋田のことが大好きだ。母の出身地である秋田には、子供の頃から何度となく遊びに行っている。私と兄のことを、めんこいめんこいと甘やかしてくれる「秋田のおじいちゃん」と「秋田のおばちゃん」が、住んでいるのだ。

正確に言うなら、住んでいた、だろうか。

東京生まれ、東京育ちの父は、秋田出身の母と結婚して「田舎ができた」ことが嬉しかったようで、長期の休みになると決まって家族を秋田に連れていってくれた。

車で、新幹線で、飛行機で。いつだって、秋田に向かう道中は大はしゃぎだ。夏は海に花火。冬はスキーに温泉。食卓には、筋子に赤飯、ハタハタにきりたんぽ。いつも食べきれないほどの料理と、大人用にたくさんのお酒、子供用に普段は飲めないようなジュースが並ぶ。

秋田に行けば、おじいちゃんとおばあちゃんに会えて、ワクワクして楽しいことが起こるんだ!ということが、私の身体に染み込んでいた。

だからこそ、その年の11月。秋田へ向かう飛行機の中で、私はどうしようもなくなってしまった。「おじいちゃんが、危篤なの」。秋田の実家で看病をしていた母から連絡をもらい、すぐに飛行機を手配した。こんなに悲しい気持ちで秋田に向かうのは、初めてだった。


私は昔から、秋田のおじいちゃんの若い頃の逸話を聞くのが大好きだった。主に母が教えてくれた内容なので、本人は「なんも、そんなこと!覚えてねぇ」と、照れながら否定するかもしれないが。

秋田のおじいちゃんは、豪快な人だ。

母がまだ少女だった頃の話。歯が痛いと言ったら「よしわかった、乗れ!」と言って、母をバイクの後ろに乗せた。しかもナナハンのバイク。秋田の山道をビュンビュンものすごいスピードで駆けまわったため、歯医者に着いた頃には歯の痛みがどこかに飛んでいっちゃったわよ、とか。

幼い母とおばあちゃんが歩いていたら、見知らぬ車に突然ズサーッと横づけされたことがあった。黒くてビカビカに光る新車。誘拐される!と思ったが、中にはおじいちゃんが乗っていて「かあさん、この車買うことにしたから、払っといてけれ!」といって、そのままザーッと走り去っていった、とか。そんな逸話が、山ほどある。

秋田のおじいちゃんは、成し遂げる人だ。

私にとっては優しいおじいちゃんだが、現役時代は眼光鋭く、厳しい人だった。鉱山の仕事に長年携わり、会社ではなかなか出世したそうだ。政治の世界にも少し関わった、とか。見識が広く、兄と私が就いたナウな横文字職業にも興味を持ち、しかも、仕事内容をとてもよく理解してくれていた。

あるとき、「誰もやらねぇもんさ」と文句を言いつつ、地域の老人クラブの会長になったことがあった。そのわずか2年後、具体的なことは知らないが、きっと抜本的な改革でも成し遂げたのだろう。秋田県で唯一の全国老人クラブ連合会長表彰を受け、おばあちゃんと一緒に副賞の有馬温泉旅行を楽しんでいた。

秋田のおじいちゃんは、集中の人だ。

コレ!と決めたら、寝ても覚めてもそればかり。ゴルフからカラオケまで、幅広い趣味の世界を、それぞれとことんまで突き詰める。囲碁を始めたときの話は秀逸。ごろんと寝転がった天井がちょうど格子状になっていたがために、夜通し頭の中で囲碁を打ち続け「なんも眠れねかったぁ」とつぶやいていた。

一時が万事。何をやるにも一生懸命で、大きな声で本音しか言わない。人が好きで情に厚く、自然と人が集まってくるので、客間での宴会は日常茶飯事。おばあちゃんは、飲み物とおつまみを切らさないようにしていた。

ナニクソ負けてなるものか、という気持ちが強く、その激しい想いが内側に収まりきらないのか、涼しい秋田で滝のような汗をダクダクかいていたのを思い出す。

そんなおじいちゃんが、何の前触れもなく車を売り、免許を返納。ゴルフを辞めて、家の書類を片付けて・・・と、まるで人生を終えることを決めたかのような行動を取り始めた。するとすぐに大病が見つかり、「もう治療はしない」と言い切ったのだった。


私の乗った飛行機が秋田空港に着陸すると、待ってましたとばかりに、雪が降り始めた。「お迎えはいらないからね」と連絡しておいたので、初めて一人で、タクシーに乗っておじいちゃんの家へ向かう。

まみちゃん!遠いところ、よぐ遊びに来てくれた!

いつもの豪快な挨拶を聞くことができなかった私は、静かな家に入り、居間と寝室の間にドカンと置かれた大きなベッドで寝ているおじいちゃんの元へ急ぐ。

「おじいちゃん、まみちゃんが来てくれたよ。聞こえる?わかる?」

すると、ずっと寝たきりだったはずのおじいちゃんがモゾモゾと動き出し、「え?何?どうしたいの?」という周囲の驚きをグンと押し戻す勢いで、母と伯母に寄りかかりながらも、立ち上がったのだ。

聞こえてる。わかってる。

孫が遊びに来てくれたんだ。ナニクソ、だ。

しかしそこはさすがに無理というもので、やせ細った身体を再びベッドへ戻される。すると今度は、何かをしきりに伝え始めた。耳を近づけると、こう言っていた。

「ビールっこ」

東京からはるばる、遊びにきてくれたんだから。

一杯やらないわけには、いかない。

お酒が大好きで、お酒の席が大好きなおじいちゃん。私が大人になってからは、ビールだ、焼酎だ、日本酒だ、何でも飲んでけれ!と、一緒にお酒を楽しんできた。私にも、秋田の酒好きの血がしっかり流れている。そんな私に、お酒を出さないわけにはいかなかったのだろう。

「もう、父さんってば。こんなときにビールだなんて」と、泣き笑いの母。冷蔵庫で冷やされたまま、飲まれることを半分諦めていた缶ビールを持ってくる。

おじいちゃんには、スプーン一杯のビールっこ。
私たち家族は、コップ一杯のビールっこ。

「おじいちゃん、ありがとう!乾杯!」


涙と笑いに溢れた最期の乾杯の後、おじいちゃんは驚異的に回復して・・・とは、残念ながらいかなかったが。医師も驚くほどしっかりした意識を保ち、数日後の母の誕生日まで生き抜き、その翌日に息を引き取った。

娘の誕生日に死ねるか。ナニクソ、だ。


時が流れ、私には二人の子供が生まれ、現在カリフォルニアで自分の家族と暮らしている。
ひ孫に会わせてあげられなかったことは、悔やまれる。が、子供たちは二人とも意志が強い汗っかきで、ぎらぎらとした生命力に溢れている。

子供なんて、だいたいそんなものかもしれない。でも、もしかしたらおじいちゃんの生まれ変わりかも?と想像すると、楽しい。

二人がお酒を飲めるようになるのは、あと十何年後か。
そのときには、ビールっこで、また乾杯しようね。

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