子供受け入れの1ヶ月が過ぎて、言いたいこと

激動の3月がそろそろ終わり、熾烈な4月に突入しようとしている。

2月27日の安部首相による「小中高全校休業要請」の影響もあり、私の冒険研究所では翌2月28日から行き場のない子供たちが過ごせるように、場所の開放を呼びかけた。

それから1ヶ月が過ぎ、世間的には通常の春休み期間にそろそろ入り、冒険研究所での子供の受け入れも一応ひと段落したところだ。まだ来ている子はいるが、だいぶ減っている。リクエストがあれば、全くこれまで通りに受け入れますので、もしお困りの方がいればご連絡ください。

さて、この1ヶ月弱、子供達の受け入れを行って感じたことなどを、今後のためにも記録しておこうと思う。それから、言いたいことも言わせてもらう。

何を行なったか?

まず、初めてこれを読んでいただいている方もいると思うので、概要を説明すると、学校の休業要請があったことで行き場に困った子供たちを、私が運営している「冒険研究所」という名前をつけている私の事務所(神奈川県大和市)を開放して、お父さんお母さんが仕事の間に時間を過ごせる場所として開放しますよ、ということをこの1ヶ月実施した。それは、単純に困る人がいるはずだと思い、お金を取るわけでもなく、あくまでも「預かる」わけではなくて「場所の開放」ということだ。

休業要請の翌日、このように呼びかけを行った↓

この呼びかけを見て、主に大和市内のご家庭から連絡を受け、3月2日の月曜日から子供受け入れを開始した。

この1ヶ月、新聞やラジオなどのメディアの取材もあった。コロナの影響で学校が休みになり、学童保育に急には入れず行き場に困った子たちを受け入れしたことを報道してもらい、それを見て困ったご家庭が相談に来て子供たちがやって来ている例も多くある。

そんな取材の中で、結構聞かれるのが「子供を受け入れする前の予想と、実際に行ってみてどうでしたか?」というのがある。その答えは「何にも予想もできなかったので、その質問には答えることができない」という感じだ。

こんなこと、初めてやるし、そもそも冒険研究所は子供の預かり入れ施設でもないので、予想も予測もないままに、必要としている人がいるかどうかは分からないが「必要としている人がいるかもしれない」から呼びかけを行った。

まだ正確な集計を行なっていないが、結果的には平日には必ず毎日子供達がきていた。少ない日は2名、多い日は11名。平均すると5〜6名が毎日来ていたはずである。

そして、取材でも必ず言われるのが「他にこのように子供達の受け入れをやっているところがあまりないので、助かっている家庭も多いと思います」というもの。私はそう言われるたびに、どうにも憤懣やり場のないモヤモヤ感に襲われる。え!?なんで他ではあまりやってないの!?と。

私のスタンスを言わせていただくと「良い事やろう」なんて思いたくない。「良い事やっている」とも、思いたくない。これは私の願望でしかないが。

私は、善意でやっているが(だが自分で善意というほど疑わしいものはない)善意ではなく極めて合理的に無償での場所開放を行ったつもりだ。

ちょうど今日、とある人に「子供達を受け入れるのに、お金取っても良いんじゃないか?」と言われた。確かにそうだと思う。その方からは「だって、親御さんにしてみれば、困った時はお金払ってでも解決できれば、それで大助かりなんだから、それでその家庭が経済活動できているのなら、経済の理論としてお金を取るのは悪いことでもなんでもない」と言っていただいた。とてもありがたい言葉である。

でも、私は、私がそこでお金を取ることにはあまり合理性がないと思っている。

なぜか。

まず、受け入れした冒険研究所は私の私的な事務所でしかなく、預け入れ施設でもなんでもない。そこでお金を取って子供が利用するとなると、営業やら保育やら学童やら、色々と法律の壁が出てくるだろうことが予測された。

もし、お金を取って子供を「預かる」となれば、それを実施するための調整が必要になるだろうし、もし調整が必要になれば安部首相の要請翌日にすぐに呼びかけをすることは不可能だっただろうと思う。あそこで早めに呼びかけを行ったことで、金曜日の呼びかけに反応して週明け月曜日からは数名の子供達がやってきた。

スピード感を持って実施するには、無料で場所を開放する、というやり方が誰にも文句を言われず、雑音に惑わされずに実施できる方法だと思った。これが合理的な第一の要素。

お金を取って子どもを預かるとなれば、もしかしたら「子供の預け入れを有料でやってるらしいが、それは行政に申請や許可を受けてやっているのか?」と変なツッコミを受ける可能性があるので、その可能性を断ちたかった。そこでツッコミが入り、行政指導かなんかがきて、明日以降は開放は実施できません、子供達明日からは来ないでね、なんてことになれば、困る人が続出する。私一人が子供受け入れを経済活動として捉えたとしたら、それによって困る家庭が続出して、その家庭の経済活動が止まるとすれば、私一人の経済活動を止めることで多くの経済活動を支えることができた方が、社会的には合理的であるはずだ。これが合理的な第二の要素。

さらに、場所を開放してそこに子供達が勝手に来て、勝手に帰るだけなので、なんの経済的負担をこちらが負っているわけでもないので、お金を取る合理性がない、というのが第三の要素。実際には手間と時間は我々は負っているけど、それも楽しんでやっているので、そう思えばトントンだ。

そうやって考えていると、同じようにできる場所やできる人はいるはずなのに、同じように受け入れを行なっているところを聞かないのはなぜなんだろう?というのが、単純な疑問でもある。

ちなみに、私の周囲では、清澄白河にある「チーズのこえ」という北海道産チーズを専門に扱うお店の、今野さんが預け入れを行なっていた。それから、東海道の旧品川宿、駅で言うと新馬場駅あたりになるが、その商店街でKAIDOブックスさんという古本屋兼カフェが中心になっての受け入れなど行なっていた。私もそれらの活動には刺激を受けながら、実施した経緯もある。

誰の心配をしているのか

色々な人とこの話をしてると「いや、やっぱりそうやって子どもを受け入れるのは勇気がいりますよ。だって、何かあったらと思うと、二の足踏まざるを得ないですし」と言われる。

「何かあったら」の「何」って、それが何なの???子供が怪我したらどうする?そこでコロナが感染したらどうする?そういうことなのか??でも、何か起きないように万全は尽くして、それでも何かあったらその時は謝る以外にないと思う。

冒険研究所では、子供達がやってきたら必ず手洗いをして、手指の消毒をして、体温を検温して、誰がいつ入所したか記録をとって、人が触るところは定期的に次亜塩素酸の消毒液で消毒し、換気も行い、手洗いした時のタオルは持参してもらって必ず他の子と使い回しをしないように配慮し、ということは行った。その上でも、何か起きたらもう謝るしかない。で、やめるしかない。

「何かあったらどうする」の心配主体は誰なのか?「子供達」であるのか「子供を預かったことによって発生したトラブルに晒される我々」であるのか。多くの場合は後者である気がする。だから、二の足を踏むしかない。その気持ちはわかる。そりゃそうだ。でも、全員がそう思っていたら、困る人を放置するしかない。街で困っている障害者を見つけても、関わったら自分に面倒が及ぶかもしれないから、見なかったことにしておこう、という思考と変わりない。別に全員に強制することもないし、私だって急いでいる時には困っていそうな人を見過ごしたこともある。でも、その後の気持ち悪さも覚えている。

子供の受け入れ前には、どんな反応が来るか、果たして必要としている人がいるのかどうかも分からないままに始めた。結果的には、多くのご家庭で困っている人がいた。両親共働きでどうしても仕事を休めない家庭、自営で食堂を営んでいるために、店を開けるにはどうしても子供の預け先が必要、介護士で自分が仕事を休むと困る人が多くいるので休めない、そんな方がたくさんいることを知った。

自分にとっては、大きな勉強をさせてもらった。だからこそ、お金なんて取れない。

言いたいことがある

自分がやったから大きな顔して言っている、という立場で自分がものを言っているとしたら、誰か私の横っ面を殴ってもらいたいのだが、どうしても言いたいことがある。

それは、今回の子供達の行き場に困っている現状に関して、受け入れするべき場所や組織などは様々あったはずだが、その中でも私が期待していたのは「宗教関連施設」である。寺や教会や、それらだ。実施しているところもあるはずだし、私の耳に届いていないところも多くあるはずだが、それに増して実施すらしていない宗教施設のなんと多いことか。

宗教の機能って、何なんだろう。世間が困った時に手を差し伸べる機能ではないのだろうか。「いや、そうじゃないよ」と言われるかもしれないが、なら仕方ない。お寺とか、広いじゃん。お堂も、けっこう広いじゃん。衝立たてて、区分けすれば参拝者と分けることもできるところたくさんあるじゃん。

寡聞にして、私は宗教施設でそうやって受け入れしているところを今月は見聞きしなかった。必ずあるはずだ。というか、もし仮に日本中でどこの宗教施設でも実施していなかったら、鎌倉時代以上に末法だ。

できる人ができることを最大限やればいいと思うし、強制する必要はないのだが、もうちょっとやれるんじゃないかと思ってしまうのも、正直なところだ。

各駅前に、一箇所ずつ子供の受け入れできる施設があれば、それだけでどれだけ助かる人がいるか。私の私的な事務所で呼びかけただけで、1ヶ月でのべ100人ほどが利用していると思えば、広大な日本の中にどれだけ困っている人がいるかは容易に想像できてしまう。

まだまだ混沌とした状況は続く。私は私で、できることをやろうと思う。ただ、それだけだ。


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