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判断の下し方。希望的観測について

近年、自然災害が発生した時などに「正常性バイアス」という言葉をよく聞く。

これは客観的な情報を見ずに、事態を過小評価したり都合の悪い情報を無視して「自分だけは大丈夫だろう」という無根拠な偏見を拠り所にしてしまう心理作用のことだ。

これと似た言葉として「希望的観測」がある。自分にとって都合の良い、期待感を込めた結果を想定して、その結果になるのではないかという無根拠を妄信して判断を下してしまう行動のことだ。そして、この言葉は昨年の北極行にて、一つの重要なキーワードとなった言葉だった。

昨年、私は12名の若者たちを率いてカナダ北極圏600kmの徒歩遠征に臨んだ。参加メンバーの平均年齢は23歳、女性2名男性10名の学生やフリーター、社会人という混成チームで、全員が冒険どころかアウトドア経験もほぼ皆無の普通の若者たちだった。

1ヶ月間、凍結した海氷上を歩き、谷を越え、装備や食料を搭載したソリを引き続け、全員無事にゴールしたこの旅は、道中に様々なことが起きた。

その一つが、ゴール前日に発生した「リーダー降格事件」だった。

冒険期間中、毎日8時間ほど歩く最中は一列に連なり、先頭がナビゲーションを行いながら、進路を決めていく。スタートから2週間、つまり前半はずっと私(荻田)が先頭を歩き、進路を決めていた。

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行程が半分ほど過ぎたある日のことだ。それまで私の後ろをカルガモの親子が一列に歩くように、追随するだけだった若者たちの間から、私に対してナビゲーションの行い方に関して質問が出るようになった。「どうやって目標物の乏しい海氷上で進路を決めているんですか?」そんな質問を受けたことで、私は「ナビゲーションに関心を持ち始めたな」と感じた。それまで、彼らは漫然と私の後を、言ってみれば「何も考えずに」歩く日々を繰り返してきたが、やっと体だけでなく意識も魂も「北極」に追いついてきたな、という感じがした。その日、私は彼らにナビゲーションの基本を教え、先頭をメンバーたちに交代で体験させてみた。すると、若者たちの間で思いの外やりがいを感じたようで、それを機に私は先頭を若者たちに任せることにした。

その夜、私はテントにリーダーの西郷君を呼んだ。彼は、会社から1ヶ月半の有給休暇を認められて北極行に参加している社会人2年目のサラリーマン。器用になんでもこなすタイプで、積極的な姿勢もあり日本での事前合宿の時からメンバー内での「リーダー的」存在となっていた。なぜリーダー「的」かと言えば、特に私から西郷君を「君がリーダーだ」と指名したわけでもなく、メンバーたちが彼をリーダーとして認識し、彼自身もそれを受け入れていたからだった。要は、そんな空気だったということだ。

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私は西郷君に、地図とコンパスを預けた。「ナビゲーションに必要な道具は西郷君に預けておくから、管理してみんなで明日から先頭やってごらん」そう言って、隊にとっての最重要装備の一つでもある「ナビゲーション道具」を手渡された西郷君は、俄然やる気を持ってそれまで以上に隊を引っ張り出した。

その翌日から、私は隊列の最後尾に回り、西郷君を中心として若者たちがナビゲーションを行いながら隊を率いていく様子を見守った。極力、私は手出しせず、明らかに困っている時や判断に迷っている時の助言だけに留めた。私が意識したのは彼らの行動を「見てないフリして見る」「聞いてないフリして聞く」ということだ。よほどのことがなければ口は出さない。

メンバーは、西郷君含めて全員が冒険どころかアウトドアのど素人だ。地図を見ながら、進路を決めて歩くなどこれまでやったことはない。そんな中では「見ているものと見えているもの」とはどんな差があるのか、を彼らに教えながら、日々の行程を進めていった。

事件の端緒は、ゴール2日前だ。スタートしてから27日目のことだった。

チームは毎日の進行にも慣れ、ナビゲーションの技術も高まってきた。いよいよゴールの村も近付き、いつ到着できるかの計算もできるようになった。

この日、ゴールの村に最短経路で進むため、海氷から陸へ上がり、40kmほど半島の横断にかかった。

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そこで、リーダーの西郷君が一つのミスを犯した。それは、前日に私が彼に指示していたルートを守らず、違うルートを選択してしまい、その結果として不要な回り道をしてしまった。「なぜ指示していたルートと違うルートを選択したのか」と私が問うと、彼は「地図で見ていたらそちらの方が進みやすそうだったから」と答えた。私は、判断に明確な根拠があり、結果が大きく変わらないのであれば私の指示は守らなくても良いとは言っていた。もし仮に、明らかに危険な進路を通ろうとしていれば、最後尾から私が声かけして止めれば良いだけのことだ。しかしこの時、彼の判断の根拠は「進みやすそうに見えた」という、根拠のない単なる主観を基にした選択であったために「それはお前の希望的観測でしかない。そんな根拠のない判断で、隊を引っ張るんじゃない」と厳しく叱責した。

そして、その翌日。事件は起きた。

いよいよゴールが迫り、明日には到着できるはずだった。半島越えも終わり、再び海氷上に出た隊は、ゴールの村に向けて進行していた。

しかし、この日の天気が悪く、視界があまり良くない。雲が厚く垂れ込め、雪がチラついている。小さな島が入り組んでおり、天気が良ければ島を目印にルートを決めるのは楽な場所であるのだが、ほとんど見えず真っ白である。

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すると、我々の進路に沿うようにスノーモービルが走った轍が現れた。もうゴールの村は近い。現地のイヌイットの人々は、狩猟に出たり魚釣りに行ったり、春の時期は頻繁に村の周囲を走るために、村まで30kmほどに近付いたところで人の痕跡を多く見るようになった。スノーモービルの轍は村から続いているために、ちょうど我々の進路と並走するように伸びていた。

北極圏と言えども、春が近くなると気温は次第に上昇し、足元の雪も硬さを失っていた。特にこの数日気温が上がり、柔らかい雪は背後で引くソリの抵抗感を増し、重さが何倍にもなったように感じる。1ヶ月に及ぶ徒歩行で、足に故障を抱えているメンバーもいたために、先頭は柔らかい新雪の上ではなく、一度スノーモービルが走り、圧雪した轍の上を進み始めた。轍の上を行く方が、格段に楽なのである。

その判断に関しては、私は何も言わなかった。先の視界も明瞭ではなく、轍の方向も進路とほぼ変わらない。足の故障を抱えているメンバーのことを思えば、その判断で良い。

その時の、周囲の状況は下の図のような状況だ。

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島の西側の岬をパスして、北へ向かうのが正しい進路だったが、最初は視界が悪く島影が見えていなかった。しかし、島に近付くにつれて目指すべき西の岬も見えてきていた。さて、いつ正しい進路に切り替えるのか?ところが、いつまでも先頭は西の岬を目指さずにスノーモービルの轍の上を歩き続ける。

私は彼らがどうするか?西郷君がどうするかを観察していた。私は最後尾で、隊の列から外れて軟雪の上をソリを引いてみたり、周囲の状況を確認していた。しかし、彼らはそのまま轍の上を歩き続ける。私は、彼らの行動を最後尾からジッと観察していた。

いよいよ私は声をあげた。「ちょっとストップ!」

進行を止めた隊は、何事かという感じで私を見る。

私はリーダーの西郷君の元に歩み寄ると「地図とコンパスある?」と声をかけた。「あ、はい、いま出します」と懐からコンパスと地図を出した彼の手からそれを受け取ると、私は西郷君に吐き捨てるようにこう告げた。「クビだ!」その瞬間「え!!??」という顔をする西郷君。

「もう、ここからゴールまで俺が先頭行くから、みんな後ろ付いてきて」と大声でみんなに呼びかけ、私が先頭を歩いた。「出発するよ!」と語気を荒げて宣言する。先頭を行く私。その真後ろに西郷君が付いてきていた。30分ごとに休憩を取るサイクルである。時間になったところで彼が声をかけてきた。「荻田さん、休憩時間です」

立ち止まった私に、また声をかけてきた。「なぜですか?何が間違ってたんですか?」勇気を振り絞ったような声で、私をジッと見つめてきた。ここまでリーダーとしてみんなを引っ張ってきた自負と、やりがいを途中で止められて困惑している様子と、複雑な心境の表情だった。

「何が悪かったか、考えてごらん。分からんか?」私は語気を強めて言い放った。

「さっきの轍のところを、まっすぐ行ったからですか?」西郷君の周りには、他のメンバーたちもソリを外し、集まって私と対峙していた。

「そういうことだけど、そういうことじゃあない」私は答えた。

「いや、岬が見えてきているのは分かってましたけど、他のメンバーたちとも話してて、ヨッチ(足の故障を抱えているメンバー)の足の負担もあるし、歩きやすい轍の上を進んだ方が良いよなって。もし大きく轍の方向が変わったら、そこで正しい進路に戻れば、大きなロスにはならないはずだと判断したんです。間違ってますか」

彼の言っていることは、正しい。しかし、この時、問題は判断結果の良し悪しではなかった。私は答えた。

「それはその通りだ。だが、轍から外れたところを歩いてみて、どのくらいの負荷があるか確認した上での判断だったか?誰か一人でも、試してみたか?」

私は西郷君に尋ねた。彼は、メンバーの負担も考えて、みんなで話した結果として轍の上を選択したと言う。しかし、私は最後尾から見ていた限り、誰も「轍の外を歩いてみて、どの程度の負荷があるか、轍の中と外を比べた上で判断を下す」という行動を取っていなかった。

「俺は試してみたよ。轍から外れてみて、いまどのくらいの負荷があるか試してみた。確かに、轍の中の方が負担は少ないし、あそこの選択肢としては轍を行くというので間違いはない。でもね、誰も轍の外を試してないじゃん。誰か試してみて「確かに負荷かかるね。これじゃあしばらく轍の中を行こう」という話し合いの末での選択なら、それで良い。でも、試しもせずに、なぜ轍の中が楽だという結論を出せるんだ。誰も試してないじゃん。結果は正しくても、プロセスが間違っている。それが「轍の中の方が楽なはずだ」という、根拠のない希望的観測なんだよ!」

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「言っている意味、わかる?」そう問いかけると「…はい。よくわかります」と、ややショックな表情で答えた。彼は自分の判断に間違いはないと思っていた。しかし、判断を下すまでのプロセスが間違っていたことを指摘されると、一気に落ち込んでいった。

「最後まで、みんなでナビゲーションやりたいです。お願いします。もう一度、やり直させてください」

彼を先頭に、他のメンバーたちも私に迫ってくる。しかし、私は「2度目のチャンスなんてないんだよ。2度目を求めた時点で、死んでるんだよ。そういう世界なんだよ。2度目がないから、死んじゃうの。もう、死んでるんだよ。だからチャンスはやらん!」そう突き放す。

「でも、なんとかお願いします。最後までやらせてください」そう言って、私に迫る。他のメンバーたちも、迫ってくる。私は頑として認めない。「はい、休憩時間終わり!出発するぞ!!」そう言って、私は先頭を歩き出す。しかし、西郷君は私の目の前に回り込み、私の体を制するように「お願いします」と繰り返す。「邪魔だ!どけ!!」と、私はグローブで彼の両頬を殴りつけた。それでも動かない西郷君。やがて、他のメンバーたちが私のソリに乗り、羽交い締めにし、私は身動きが取れなくなってしまった。

「あぁもう!チクショウ!めんどくせえな!!」そう言って、私は地図とコンパスを懐から取り出し、西郷君に渡した。「もう何も言わんからな!」

この時、私は半分くらい感情的だったが、半分くらいは彼らの出方を図っていた。

もう一度、先頭を任された彼らの動きは、そこから翌日のゴールまで、見事なものだった。特に、最終日のチームの一体感は、素晴らしいものがあった。最終日まで、いろいろな出来事があったが、そこまでの1ヶ月間は最終日へのフリだった。確実に、最後の最後でギアが数段上がった感じがする。全ては、最終日のための助走でしかなかったのかもしれない。

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私が彼らに教えたことは、北極での経験であるが、必ず日本に帰ってもそれぞれの立場で役に立つことであると思っている。判断の下し方、リーダーのあるべき姿、見ているものと見えているものの差異、チームの意義。

私は厳しすぎる、という意見があるかもしれない。確かに、見逃しておいてもゴール直前で大して害はない。そのまま進むこともできる。だが、本当に厳しい場面で下す決断とは、シビアなものである。わずかな思い込み、自らの希望、恣意的な基準が介入すると判断を大きく間違えることになる。私は、そういうものが、物事の判断を下すという中には存在しているんだ、ということを知って欲しかった。

人は、自分が教えられたことでないと、人に教えるのはとても難しいものだ。きっと、彼らが今後の仕事やそれぞれの立場で、今回の経験を活かせる日が来ると思う。そうなってくれれば、私は嬉しい限りだ。

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