見出し画像

ディーリア・オーウェンズ「ザリガニの鳴くところ」と翻訳本の良さ

ザリガニの鳴くところとはいったいどんな所なのだろうか?そんな好奇心で手に取った作品は、僕に圧倒的な自然と濃密な海、無数の命とザリガニの鳴くところとは一体どんなところなのかを見せてくれた。

2021年本屋大賞翻訳部門第一位の「ザリガニの鳴くところ」。作者ディーリア・オーウェンズの処女作でありアメリカでベストセラーになった作品だ。元々は動物学者であるという。

本作のジャンルはミステリーに分類される。がはっきりとそう定義することはできない。湿地の少女と呼ばれる主人公の恋愛模様、村の中に潜む格差は現代社会に潜む問題を訴えかける。そしてその全てを包む広大な湿地の美しさ。それは心を震わすドキュメンタリーを見ている様な体験だった。

僕はこの本を読んでいて、改めて翻訳本を読むことの良さを感じた。翻訳本は見たこともない景色、触れたことのない文化を物語を通じて想像し、体験することができる。

最近は海外を舞台にしたような非日常を描いた小説というのは敬遠されやすいのかもしれない。自分の知らない世界、文化や風習、土地、時代背景、思想、宗教は理解し難いからだ。それは読み手側に努力と体力を必要とする。

また、読者にとって小説以上に想像しやすいメディアが普及しているのも原因かもしれない。映画、ドラマ、漫画は小説よりも受け手が担う情報量が少なく済む。そして今の時代、小説以上に想像しやすいコンテンツを誰でも簡単に手に入れ、体験することができる。苦労して物語を感じる必要がないのだ。

それでも小説にしか体験できないものがあるとおもっている。読書という行為は知らない世界、思想、人物を文字という記号だけをつかい想像し、理解する。そこには弛まない努力がある。そしてそれが忘れられない記憶となる。フィリップマーロウがあの高い自宅の階段を登る瞬間(ロンググッドバイ)、ホールデンがライ麦畑で妹の手を掴もうとする瞬間(キャッチーインザライ)、キャシー•Hがフェンス越しの夕陽を眺め、自分の立ち位置を改めて知ってしまう瞬間(私を離さないで)
全て自分にとって忘れられない記憶になっている。

それらは努力し想像することでしか体験できないものだ。頭の中で描くことでしか体験できないものだ。これこそが読書の醍醐味だと思う。

だからこそ、より想像し難い物語を読むことは、ある意味では思考への挑戦になる。その物語の一部分でも理解できた時の知的興奮は、想像し易い物語よりも遥かに勝る。翻訳本の良さはそこにあると思う。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?