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カズオイシグロ「クララとお日さま」と感情

日差しの見えない日が続き、いつの間にか一年が過ぎた。そんな曇り空のまま2021年を迎えた中、唯一の朗報はカズオイシグロの新作が出るというニュースだった。ノーベル文学賞を受賞してから初の長編、今度はどんな話を書いてくれるのかワクワクしていた。発売と同時に本屋に行き、読みふけた。やっぱりカズオイシグロだ。今回も心に残る物語を書いていてくれたのだ。

「クララとお日さま」ノーベル文学賞受賞後初の長編。およそ6年ぶりとなる作品。


主人公クララ(語り手)はAFと呼ばれるAIロボット。クララはジョジ―という女の子に買われ、そこでジョジーの世話をすることになり、物語は進んでいく。

よくある近未来SFの設定だけど、今作もやはり傑作。カズオイシグロらしさが際立っていた。彼の過去の作品にはジャンルの一貫性はない(歴史物、SF、ミステリ―、探偵ものなど)が、どの本にも彼にしか書けない要素がある。こだわった一人称の語り、過去の記憶を振り返りながら徐々に明らかになっていく真実。今回もクララというAIから語られる真実に心打たれるものがあった

今回のクララとお日さまのキーワードは「過剰な感情」「格差」だと思う。

ネタバレは極力避けたいので曖昧な説明になるけれど、ジェシーの母親の恐れから生まれる奇妙な計画、ジェシーの親友であるリックの母親の過度な介入、それを取り巻く世界には埋めることのできない格差が存在している。
複雑な事実、真実に生きる人々はどうしても自分の感情に逃げてしまう。

そんな世界を客観的に観察できるAIのクララは人の弱さを痛いくらいに語る。人間ではなくAIでないと語れない物語だ。


カズオイシグロはインタビューのなかで「感情優先主義になってきている」と語った。

イギリスのブレグジット、トランプ政権の誕生は真実や事実よりも感情を重視してしまう現社会の一例だった。自分を正当化する情報にしか耳を傾けず、異なる意見は聞こうともしない。真実や事実よりも感情を優先してしまう。
クララとお日さまの中でもそんなシーンはいくつも出てくる。感情を優先しバイアスのかかった判断をしてしまう人たち。その対極にいるAIという存在は彼らの感情を客体的に読者に伝える。AIを今回の語り部としているのには、そんな意図があったのかもしれない。

ここまでの感想はあくまでこの小説の一側面でしかない。カズオイシグロの本当の良さは、考えを読者に委ねているところだ。どの作品にも明確な結論は出てこないし、それは地中深くに潜っていて、読み手によって解釈が違ってくる。

ある作家は「良き物語を作るために小説がなすべきことは、結論を用意するのではなく、仮説をただ丹念に積み重ねることだ。」と言っている。

クララとお日さまは良き作品であり、丹念に積み重なった仮説だった。


クララとお日さまの書評でした。





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