【書籍・資料・文献】『ドキュメント 金融庁vs.地銀』(光文社新書)読売新聞東京本社経済部

実態は呉越同舟 財務省と金融庁

 1998年に総理府の外局として発足した金融監督庁は、2000年の中央省庁再編金融庁と名を変えた。トップも、国務大臣級の特命担当大臣があてがわれている。

 前身である金融監督庁の発足から数えても、その歴史は短い。だから、金融担当大臣は財務大臣経産大臣経済再生担当大臣との兼任も目立つ。しかし、ここで兼任している財務省・経産省・経済再生担当と金融庁は、本来の金融庁の意義からすれば兼任してはならないポストである。

 金融庁の前身・金融監督庁は旧大蔵省が無計画な金融行政をおこなっていたことが発端になっている。乱脈融資やそのツケを解消する不良債権処理で遅れをとった大蔵省は財政を司る省庁であり、金融行政を司る省庁ではない。政府にとって都合のいい景気浮揚策を採ってしまえば、それは財政規律という使命を課された大蔵省の存在意義を否定する。

 大蔵省は財政規律と景気浮揚という相反した使命を課されていた省庁でもあったわけだが、さすがにそれには無理が生じた。こうして金融監督庁は生み出された。しかし、大蔵省の金融行政を監督する立場にあった金融監督庁は大蔵省の子供のような存在。巨大な権限を有する名門官庁を監督できるわけがない。

 金融行政を分離するために、金融庁という景気浮揚の政策を差配する省庁が誕生する。こうしたいきさつを知れば、財務省や経産省といった大臣職と金融担当大臣が兼任することはあり得ない。それなのに、なぜ大臣兼任が見られるのか? どちらも経済”系”を主たる業務にしているので、兼任したほうがいいといった空気が流れ、実際、そのようになっている。

 こうした構図が、金融庁の存在感を小さくしてしまった背景にはある。実際、金融庁は財務省の2軍といった目で見られる向きがなくもなかった。それは、財務省が省であるのに対して、金融庁が格下とされる庁であることも一因だろう。

 金融庁詰めの記者は、多くが財務省の記者クラブ「財政研究会」にも所属している。現在の麻生太郎財務大臣は金融担当大臣も兼任しているが、金融担当大臣としての記者会見も財務省内で実施している。これは、もちろん移動時間を短縮するといった物理的な事情もあるのだが、財務省内で会見しても金融庁内で会見しても、そんなに変わらないだろうという潜在的意識がある。

 福島第一原発が事故を起こした際、原発を推進する経産省と、その経産省の外局に原発の安全管理と規制を所管する原子力安全・保安院が列していることに疑義が呈された。いわば、アクセルとブレーキが同じボタンで操作されていたことになるわけだが、これに疑義が呈されるのは当たり前だろう。こうして、原子力安全・保安院は環境省の外局に移管。名称も原子力規制委員会と改められた。

 環境省の外局になった原子力規制委員会と経産省時代の原子力安全・保安院は地続きだから、環境省の外局になったからといってすぐに効果が出るわけではないだろう。しかし、時間をおいて少しずつ体質変換していけば、経産省時代のように形だけの規制、実質的に推進というスタンスは改まるかもしれない。という淡い期待がある。

 同様の話は、財務省・金融庁にもあてはまる。前身の金融監督庁が発足して20年が経過。すでに、金融庁は財務省との採用窓口を分離している。財務省や経産省との人事交流はあるだろうが、それでも採用窓口が独自化したことで財金分離の意識は少なからず作用してくる。

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