【目印を見つけるノート】125. 『おこりじぞう』に大泣きした、かつての小学生より
広島市には何度か行ったことがあります。
その半分ぐらいは8月初旬です。
2回を除けば、取材です。
きょうは、とある年の4月に
小中学生約30人に帯同して
行ったときの話をしましょう。
中学生はともかく、小学生の引率はちょっとだけ気を配ります。
全員が知らないもの同士です。
すぐ打ち解ける人もいれば、閉じてしまう人もいます。私は取材も兼ねていましたが、閉じそうな人、緊張している人にアンテナを伸ばす役目をしていました。自動的に。
そのときは20代独身で、お母さんではないです。フラットな風来坊のアネキ的な感じかな。
もともと弟妹がいるので、そのときだけではなく通してそのような立ち位置です。
何よりみんなの写真を撮って、話を聞いて記事を書くので、そのほうが都合がいいです。
原爆ドームを見つめて。
年々劣化していく姿が
どんどん痩せていくようにも見えます。
平和記念公園、資料館。
石段の人影を見て言葉を失って、
ひしゃげたアルマイトのお弁当箱に
「熱かったね」と声をかける。
ジオラマをじっくり見ている人を
じっと見ている。
公園では、
「折り鶴の少女」像の話をしたり、
峠三吉さんの碑を読んで
折り鶴を納めて献花をしたりする。
(高校の修学旅行では献花の花を買う係でした、そういえば)
原爆養護ホームに行って、入所されている方々に「あの日」とその後のお話を伺ったりしました。
みんなそれぞれに感じるところはあったと思います。
私は参加した人がどんな風に受け取っているかを、ただ見て聞いて、撮っていました。
そして就寝までどっぷりと小学生の話を聞きました。
これは私にとって、大きな学びでした。
彼ら世代と接して、話すこと。
それ自体が学びでした。
私たち世代は境界にいるのだと、強く感じました。
父母があの戦争のころ幼児で、おぼろげに覚えているか、あるいは戦争の影響を少なからず受けている。祖父母はじかに覚えている。その話を身内に聞くことのできる、「境界の世代」だということ。
加えて私たちは、『はだしのゲン』の映画を学校で見て、『おこりじぞう』の読み聞かせがあって、学ぶことが普通でした。広島市出身の知人に聞くと、それはさらに普通のことのようでした。
学校で今も学べるかというと、残念ながらそうではないとも思えます。
でも他にやりようがあると私は思います。
U2の『THE UNFORGETTABLE FIRE』というアルバムがありますが、あのタイトルは『原爆の図』という絵にインスパイアされたものです。これはタイトル曲です。
チェ・ゲバラも来日したとき、日程を急遽変更して広島に来ました。
そして、昨年暮れに来日したフランシスコ教皇は、その時間の大半を広島・長崎に割きました。冷たい雨に打たれて祈りを捧げている姿を覚えているかたもいるのではないでしょうか。
当事国の人でなくとも、じかに知らない世代でも、十分にそれを知って発信することができるのです。
それができないことはないと思うのです。
おそらく、今日から8月15日まで、#原爆の日 などという記事があふれるでしょう。私がもしツイッターをしていたら、リツイートをしまくるのかなと考えました。
しないと思います。
このように書いていて、大量に見ていただけるとも思っていませんが、自分で考えて、自分のことばで発信することが大事かなと思っています。リツイートは自分の声ではないと思うのです。
一方、広めるという大きな効果があると思いますので、使いようでしょう。
『おこりじぞう』を見て大泣きした、かつてのひとりの小学生として。
きょうは早めに記事を載せたいので、他のコーナーは別にしたいと思います。
広島市が原子爆弾の焔に焼かれた8月6日から、今日で75年です。
8時15分。
おがたさわ
(尾方佐羽)
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