見出し画像

【目印を見つけるノート】21. 人生初のドロップアウトに学ぶ

きのうは救急車の音が5回ぐらい聞こえました。
私はといえば区役所と社会福祉協議会とハローワークに行ってきました。こんなに外出したのはnoteを始める前の日以来です。電車にも1カ月半ぶりに乗りました。空いていましたが、自然に一つ置きに座るようになっています。
私は立ってぼうっとしていました。
車窓から見える桜は溌剌とした緑色になりました。そして、百花繚乱。

仕事を辞めて、自宅生活になって55日。
noteを始めて3週間になりました。


⚫幼稚園をドロップアウト

これぐらい、うちにいるのはいつ以来だろうとふと思いました。学校のときの夏休みより長い。それに夏休みなどは遠出したり、しょっちゅう出かけていました。家族以外とも頻繁に会っていたのです。

そうすると、思い出せるのは小学校に入る前の1年あまりの期間でしょうか。

私は私立の幼稚園に入りましたが、見事にドロップアウトいたしました。自主退学ならぬ自主退園ですが、その理由は非常につまらないことでした。
クリスマスのとき、もみの木の形に緑の色画用紙を切ることになって、私(4歳)は困っていました。大きなギザギザをどう切ったらいいのか悩んでいたのです。右手が自然に進む方向には切ることができますが、右手を返して切ることができないのです。私はかんしゃくを起こしました。
「もうやめる!」
そして、そのままうちに帰って、幼稚園に再び行くことはありませんでした。切り紙だけでなく幼稚園をやめたのです。
もう記憶がはっきりとはありませんが、幼稚園という始めての環境に慣れていなかったこともあるでしょうし、理由はほかにもあったと思います。ただ……。
「それはね、紙をくるっと動かせばいいんだよ」
「それはね、ハサミをいったん外して、別のところから切ってごらん」
そう、それを、その一言だけアドバイスしてもらえたら、その後の人生は少し変わっていたかもしれません。大げさですね。

ある4歳の子どもはそこで立ち止まって「どうしたらいいんだろう」と考え込んで、失敗したということです。
お恥ずかしい話です。あ、今は問題ありません。

この人生最初のドロップアウトにはいくつもの教訓があります。

自分でどうしようもなく困ったときには周りに頼ってもいいということ。この場合、私はすぐに手を上げるなりして先生や同級生に尋ねることができました。それをせずに悩んでいたのです。もちろん子どもなので、先生が気がついて助けてくれないかなとも思っていたでしょう。
それがかんしゃくの導火線だったーーと後々理解するようになりました。
いちばん大きな教訓は、「同じように困っている人がいたら、声をかけよう」です。おかげさまで小学校に入ったら、面倒見たがりの上級生になりましたとさ。
ハサミの手の返しだけが、学びではないのです。

幼稚園を退園して、1年あまりうちにいました。両親共稼ぎでしたので夜までいません。ずっと2歳になる弟と2人きりです。あまりべたべたと干渉はしませんでした。「ケガをしないように見ていなさい」が至上命題です。
ときおりおばあちゃんが文明堂のカステラを持って鶴見から来てくれました。カステラの紫色の包装紙、お絵描きのクレヨンや積木の色は今もはっきり覚えています。

コクトーの『恐るべき子供たち』を彷彿とさせますが、いささか年少ですね。でも、似たようになにがしかの世界を作っていたのかもしれないな。

今はもう断片しか思い出せない、1年あまりのブランクの話でした。

今はどんな世界を作れるのでしょうか。


⚫お籠りクラフトとバラ

手持ちのカイヤナイトを何とかできないかとずっと考えていましたが、ようやく着手しました。
カイヤナイトは使い方によっては冷たい感じのする石です。金属的な一面があるというか。組成はAl2SiO5(数字の小文字が出ません)でアルミニウムが含まれています。それが理由かは分かりませんが単体だったり同系色の石と合わせると、アクセサリーとしては……という感じになってしまうのです。
そこで、リバーストーンと合わせました。俗にいう大理石です。カイヤナイトが温かい感じになりました。親和性のある組み合わせだったなとひとり悦に入っています。着けるとマリンっぽいですし。

カイヤナイトシリーズ、もうひとつ作っていますがまた。

大輪のバラは開ききっています。
茎が脆くなるまでは見守っていようと思います。摘んだ小さいバラと葉は、今乾燥させています。

それではまた、ごひいきに。

おがたさわ
(尾方佐羽)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?