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暗黒報道④ 第一章

軍事国家を目指す権力VS天才女性記者の知略戦

内紛 東京社会部VS大阪社会部


 事件の発生から3日目になった。大神は午後、ホテルから近い朝夕デジタル新聞社の大阪本社に初めて行った。朝夕デジタル新聞社は東京と大阪の2本社制をとっている。大阪本社は30階建ての超高層ビル9階が編集フロアだ。だだっ広い編集局はフリーアドレスになっており、自然と各本支社の応援組の塊ができていた。
 
 デスク、キャップによる打ち合わせ会があり、大神も東京本社を代表して出席した。東京、名古屋、九州の各本支社からデスクらがリモートで参加した。
 大阪社会部の事件担当デスクが事件の概要、50人にのぼる取材班の態勢について説明した後、大阪府警担当キャップが捜査の進捗について話した。

 「会議に初参加の人もいるので改めて会場の説明からする。1000人が収容できる宴会場で事件が起きた。パーティの参加者は東側に2か所ある大きなドアから出入りする。西側の壁を隔てた反対側が調理場だ。その西側の壁にも2か所の中規模のドアがあり、宴会場と調理場は行き来できるようになっている。鍋はビーフシチュー、カレー、おでんの計9個。パーティが始まる30分前に調理場から宴会場に運ばれ、北と南の壁沿いに並んだ出店の前に置かれた。防犯カメラは会場だけで計5台あり、宴会場の全景を網羅している、はずだったが。実は、西側の宴会場と調理場を隔てる壁のドア2つのうち、南側のドアの前方に高い衝立と植木鉢が並べられていて、このドアを出入りした人についてだけははっきりと映っていない。まさに死角だ。ここが今後の捜査のポイントになってくるかもしれない。

 捜査本部が関係者から事情を聴いたところによると、ビーフシチューの鍋は、宴会場に運ばれる前は調理場に置かれていた。コックは順番に昼食時の休憩を取るが、午前11時45分から午後零時15分ごろの約30分間だけ、鍋の周辺にコックがいなくなった時間があったという。鍋が宴会場に運ばれてから、参加者がビーフシチューを皿に取って食べるまでに約1時間ある。この間に毒物を入れられた可能性もゼロではないが、宴会場に運ばれて以後は、鍋の近くで不審な動きをした人物は防犯カメラに映っていないようだ」
 「ということは、調理場に置かれていた空白の30分間に何者かが毒物を混入した可能性が高いということか」。東京社会部の井上デスクがリモートで尋ねた。井上も打ち合わせには初めて参加した。
 「そういうことです。この時間帯に、犯人が鍋に近づき、ヒ素を混入した可能性が高い。捜査一課は、近づくことが可能と思われる人物を1人ずつ長時間かけて取り調べている」
 打ち合わせは、出席者が口々に疑問点を聞いては、府警担当キャップが答えるという流れで進んだ。


ホテルの会場には多くの防犯カメラが設置してあった

 「調理場の内部には防犯カメラは設置していないのか」との問いには、「宴会場から入るドアとは別に、廊下側から調理場に入るドアがある。そのドアには防犯カメラが設置してあって調理場に出入りした人物は確認できるが、調理場の中を映しているカメラはない」と答えた。
 「調理場に鍋がある時に毒が盛られたとすると、犯人はコックら調理人ということになるのではないか。相当絞られるな」
 「調理人はパーティに出店している10店の関係者を含めると50人ほどになる。ただ、宴会場と調理場を行き来できる2か所のドアは早朝から鍵がかかっていなかった。つまり宴会場側から調理場に誰でも自由に出入りできたことになる」
 「ということは、宴会場にいた人物全員が容疑者になりうるということか」
 「鍋の周りに人がいなくなった30分という時間帯に、宴会場にすでに入っていたパーティの参加者は当然、事情聴取の対象になる」
 「早めに入ったかどうかはどうしてわかるんだ」
 「それは宴会場東側の出入り口の防犯カメラの映像を確認すれば割り出すことができるだろう」
 「宴会場と調理場を隔てる壁の南側の出入口に置かれていた衝立とはなんだ。いつ置かれたのか」
 「主催者や来賓が登壇して話す演台があり、衝立はその後ろ側に並べられたものだ。見てくれをよくするためのもので、パーティ前日にはすでにホテルの従業員によって置かれていた。植木鉢も同じ理由で並べられた。大きな宴会がある時はいつも衝立を並べているようだ」

 「防犯カメラの映像のコピーを入手できないのか」。途中から参加した大阪社会部長が聞いた。これには大神が答えた。
 「会場周辺と関係する可能性のある所の防犯カメラは大阪府警が真っ先に押収していきました。押収された防犯カメラの映像はホテルに残っていますが、捜査本部は、閲覧しないように強く要請しています。ホテル側が当日の様子を確認したい場合でも、捜査本部の許可が必要だと言われています。押収された防犯カメラの映像以外はすべて見ましたが、現時点では不審な点はみつけられませんでした」
 「テレビカメラがはいっているはずだ。全日本テレビの映像はどうなっている」。大阪社会部の筆頭デスクが聞いた。全日本テレビは系列局で、映像や写真、記事は日々交換している。
 「すでにテレビで何度も流れている通り、人が倒れている生々しいシーンはありますが、すべてパーティが始まってからの映像です。開始直前も含めて、何度も映像をチェックしたようですが、一目で不審な行動をとっているような人物はいなかったようです」

 「押収した防犯カメラの映像をチェックした警察側の反応はどうなんだ」。社会部長が聞いた。
 「箝口令が敷かれていてどのような映像が映っていたのか全くわからない。防犯カメラの映像の情報はごく一部の捜査幹部にしか届いていない」と府警担当キャップが答えた。
 「気になるな。不審な動きをしていた人物の姿でも映っているのだろうか。特ダネ合戦になるな。引き続き情報入手に努めてくれ」。社会部長が念を押した。
 「捜査本部の幹部にあたった感触では、『近日中に容疑者逮捕』という急転直下の展開は考えにくいが、気を引き締めて当たる」と府警担当キャップが話した。

 打ち合わせは2時間にも及んだ。最後になって、大阪の筆頭デスクから東京のデスク、記者に対して苦言がでた。
 「東京社会部からの応援には感謝する。ただ、応援に来た記者が入手した情報がどんな内容でも最初に大阪社会部の筆頭デスクに報告するようにしてくれ。捜査の本筋に関わる内容が、東京の社会部デスクにだけ連絡がいって、東京編集局から記事が出稿されることがあって混乱した。出稿の窓口は大阪社会部筆頭デスクに一本化したい」

 混乱があったというのは昨日のことだった。
 東京社会部から応援に来た橋詰記者がホテルの宴会場を担当していた部長から「パーティが始まる前に会場を出たり入ったりしていた女性がいた」という情報を聞き出した。橋詰はすぐにメモにして東京社会部のデスクにメールで送った。東京社会部の事件担当記者が警察庁の幹部にあてて裏をとり、東京社会部のデスクがその原稿を朝刊用に出稿した。

 大阪社会部のデスクも大阪府警キャップも東京本社から記事が出稿される直前まで知らされていなかった。記事の内容は、ホテル幹部の話としてまとめていたが、他の新聞社が追いかけるように「毒物混入は女か」という記事を大阪府警の見立てとして夕刊用に書いた。それがネット空間で拡散していくうちに、「容疑者浮上 女が混入」と断定調になっていった。この報道に対して、大阪府警捜査一課長が「どの女性のことを言っているのか皆目わからん。私の知らないところで容疑者が浮上している」と気色ばむ局面があった。

 大阪社会部事件担当の小林デスクが大神に向かって、「東京から来た記者はあくまで応援ということなので、我々の指示命令に従ってもらう。勝手な行動は慎んでほしい」と言った。それをリモートで聞いていた東京社会部の井上デスクは「勝手な行動という言い方はないだろう。重大事件なだけに東京の警察庁にも情報が集まる。急ぎのケースなどで、東京社会部の大神、橋詰ら応援組を裏取りで使うこともあるので了解してほしい」と言った。
 小林デスクが声を荒らげた。
 「だから、情報は大阪社会部筆頭デスクを通せと言っているんだよ。一声かければすむことだろう。とにかく、東京は秘密主義が過ぎるんだよ。東京への一極集中が進んで、大阪本社は記者の数は減るし、予算はがた減りするし現場は散々だ。だが、大阪府警を普段からになっているのは大阪社会部だ。東京さんは上から目線はやめて、もっとオープンにいこうぜ、オープンに。同じ社なんだからよ」

カバのけんか。争いは海でも陸でも会議室でも。


 「それなら聞くが、大阪府警担当記者による夜回り、朝駆けのメモはすべて情報ボックスに入れているのか。書き込まれていない情報をもとに記事が出稿されているように見えるんだが」と東京社会部の井上デスクが反論した。情報ボックスとは、社内の情報共有ツールだ。
 「それは生データを入れていないだけだ。丸めた情報は入れてある。それを言うなら、警察庁情報は全く入っていないぞ」。小林デスクはそう言うと大神の方を向いて「大神様はどう思っておられるんですか」とわざとらしく敬語を使って聞いた。
 「大事件の発生を前に、東京だ、大阪だと言っている場合ではありません。すべて情報を共有していきましょう」。大神ははっきりと言い切った。
 「おう、いいことを言うな、わが社の看板記者さんは。でも大神さんは他の報道機関とも連携してもいいという論者だったよな。マスコミ雑誌に署名で論文を載せていたのを読ませていただいたぜ。その調子で他社に貴重な情報を漏らさないように願いたいね」
 「権力が暴走した時のことです。マスコミが一致団結しなければならない局面では他の報道機関との連携もあり得ると象徴的な意味で書きました。報道適正化法、通称マスコミ規制法がとりざたされています。そんな時は団結することも必要ではないでしょうか」
 「そりゃ、業界団体として政府のやりかたに物申すことは大事だ。そんなことは新聞協会やそれこそオールマスコミ報道協議会に任せておけばいい。今言っているのは、今回のような事件、事故の取材で他社に漏らされたらかなわないということを言っているんだ」。小林デスクの厭味ったらしい発言が続いた。
 「ふざけないでください。私がそんな情報を他社に流すと思っているんですか。ありえないことです。訂正してください」。大神もキレかけていた。
 「まあ、まあ、落ち着こう。とにかく、この事件の真相を解明することに全力を挙げるんだ。東京と大阪だけでなく、名古屋支社、九州支社からも応援がきている。事件に関連する重要情報は大阪社会部筆頭デスクに伝え、記事は大阪社会部からまとめて出すことでよろしく頼む。例外的なケースがあれば、デスク同士で連携を取り合って進めていこう」
 大阪社会部長がそう言って締めくくり、険悪なムードに包まれたまま打ち合わせ会は解散した。

(次回は、■シンパからの「スクープ?」情報)


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