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幸運の鍵 第983話

《令和5年12月22日(金)》

この世に生きているということは、魂の向上のためであり、前世よりも一段階上のレベルになるための修行の場なのではないかと思っています。今日は、私の思う死生観についてお話ししたいと思います。例えば魂ができた時、レベル1から始まって、究極の目標はレベル10だとします。レベル1の人間が苦労を重ねてレベル2まで上がってこの世を去ったとしましょう。そうすると魂の住むいわゆるあの世では、レベル2の霊達が暮らす世界に行くのだと思います。そして、数百年が経ってレベル3を目指すそのタイミングが来た時に、またこの世に生まれ変わって来るのでしょう。そしてレベル3を目指す修行がまたこの世で始まるのです。「ドン•キホーテ」の作者、ミゲル•デ•セルバンテスは次のように言っています。

「生命のあるかぎり、希望はあるものだ」

レベル3に到達するために、またこの世に生まれてきた以上、希望が閉ざされることはないはずです。魂の向上のためには、必ず辛い試練が待っているはずですが、いかに辛くても、その道はレベルアップの道へと繋がっているのだと思います。そしてレベル3まで到達したら、またこの世から離れて、次のレベル4を目指す来世への誕生を待つのだと思っています。そう考えると、この世の苦難は当然の修行であり、辛い試練の無い人生などあるわけがないと思えるのです。そして魂のレベルを上げるための人生であるならば、その可能性とは、死ぬ寸前まで開かれているはずなのです。人生には必ず希望への道が開かれています。苦しくても辛くても、この世を離れる最期の時まで、レベルアップの希望を捨ててはいけないなのだと思うのです。

今日も読んでくれてありがとう!今日も皆さんに、たくさんの幸運が訪れますように!


数多の若き英霊が海の藻屑となりました。感謝と鎮魂の誠を捧げます!合掌!