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良運の方程式 第35話

今でこそ、世界第3位の経済大国である日本が、明治維新を成し遂げたばかりでアジアの弱小国であった時に、欧米列強と肩を並べる、世界の一流国にのし上がった最大の転機は、日露戦争の勝利でした。理想とはかけ離れた決定をする時、あるいは理想を貫くために苦渋の決断を下さなければいけない時の心構えについて、今日は考えてみたいと思います。まず最初に、日露戦争の開戦決定の詔勅が発布された時に、明治天皇の詠まれた有名な歌をご紹介します。

「よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」

意訳:「世界中の人は皆兄弟だと思っているのに、どうしてこんなに波風が立つのだろう」

①当時の時代背景

日本が明治維新を成し遂げて国際舞台に出た時は、既にアジアのほとんどは、欧米列強の植民地と化していました。お隣りの中国も既に半植民地状態でありました。食うか食われるかの中で日本だけが、何もせずに安全であれるはずもありません。特に世界一の陸軍国であったロシアは、満州を占領し要塞を築き、さらに北朝鮮に進出、南朝鮮を狙うという有様でした。朝鮮半島が、日本に敵対する勢力の手に落ちれば、日本の安全ひいては独立は危うくなる、というのが当時の認識であったのです。

②開戦の決断

日本は外交交渉を図りましたが、要求は無視され、その間にも進出は続けられました。領土拡張が当たり前の帝国主義の時代において、弱小国の声に耳を傾けるなど、望む方がおかしいのかもしれません。戦いもやむなしと日本政府が決断し、天皇の裁可をねがった時、天皇は「さらに交渉の努力をせよ」と言ってすぐには裁可されませんでした。ぎりぎりまで、平和を望まれたわけですが、その甲斐なく戦争に至ります。「など波風の たちさわぐらむ」に、その深い思いが感じられます。

③命をかける決断の重要性

戦後教育の弊害でしょうか?あるいは、米国に守られてきて戦争が身近に感じられないせいでしょうか?戦うこと自体を忌み嫌い、何事も話し合いで、何があっても平和解決で…という風潮が日本を覆ってきました。もし、家族団欒の場所にならず者が入って来たら、我が家は平和を愛するからと無抵抗を貫きますか?娘を差し出したら助けてやると言われ、何事も外交交渉で解決とばかり、娘を差し出しますか?屈服せず、家族だけは何としても守る気概を持って戦うことが、人間として当たり前のことと思いますが…。戦うことばかりではありません。命懸けで何かを決断しなければいけない時が、人生には必ず訪れます。その時のための覚悟、準備を整えておくことが、とても重要です!

④まとめ

御製ににじむ平和への思い。多くの兵士の死を覚悟しなければいけない苦渋の決断を下す際の、明治天皇のつらいお気持ちがよくわかる歌です。今日の話のポイントは次の点です。

人間には、意に反することでも決断しなければいけない時の覚悟が必要である!

戦いたくなくても戦わねばいけない時のように、望まないことでも決断しなければいけない時に、恐れおののいて逃げたり、躊躇して問題を先送りし、事態をもっと複雑化させるようなことがあってはいけません。人生に何度か訪れる、苦渋の決断をしなければいけない時のために、日々学び、反省し、心の鍛錬を続けるという準備が必要になります!

⑤最後に

この御製が引用されたのは、実はもう一度あります。それは、昭和16年、対米英開戦を決断された時の昭和天皇のお言葉です。最後まで平和を希求された昭和天皇の苦悩がよく読み取れます。今日もお読み頂き、ありがとうございました。つらい決断を余儀なくされる時、皆様の上に輝かしい良運が訪れますことを、お祈り致します!


数多の若き英霊が海の藻屑となりました。感謝と鎮魂の誠を捧げます!合掌!