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ロックダウン下のダンシング・シスター

カーディフ, 2020

21世紀はとても素晴らしいはず。

20世紀末にスピッツが歌ってたように「きっと想像した以上に騒がしい未来が僕を待ってる」はずだと信じて20年近く経った。

しかし9.11で始まりそして3.11。テロに各国の保守化。20年たってもちっとも良くなってる気配はない。そしてトドメが今回のCOVID-19である。

 21世紀にウィルスにやられる人類とかありえねえだろ!
 ラララ科学の子やぞ俺ら!

…という怒りすら湧き、精神的にかなり参った。

だが、それでもこの英国も徐々にロックダウンが解除されつつあり、普通の生活が戻ってきている。

思い返すと、あの厳しかったロックダウン規制中で、俺が一番憂鬱だったのは休日である。

ロックダウン開始当初は掃除とかやりまくるのだが、そのうち本当に家でやることがなくなり、なにもかもが面倒になってくるのだ。

”このままでは人間としてダメになる”と思ったので、コーディング(プログラム)でもやってみるか、と思いついた。そしてMicro:bitという、英国の小学生に配られる小さなコンピューターをAmazonで買い、勉強をスタートした。

ゼロ知識だったので、初めはけっこう戸惑ったのだが、調べていくうちに強い衝撃を受けた。それは、その学習環境の素晴らしさである。

俺がガキの頃は、マイコン雑誌を買ってきて、意味は後回し★孤独に目コピで入力するという、まるで苦行がメインだったが、今はサンプル・プログラムはダウンロード、チュートリアルはYouTubeである。

こんな感じ。

ちなみにこのチュートリアルでの生徒役の娘さんは、面倒くさいといって寝坊してきたりする、かなりヌルい生徒である。これはその子の妹だと思う。

そもそものプログラム言語の性質もあるのだが、めっちゃ楽しいしわかりやすい。一緒にできるしな。その上(ある程度の英語さえ理解できれば)、世界中から色々な情報やサンプルが手に入るのだ。

これは久々に個人的に「21世紀すげえ!」と思った明るい出来事だった。


そこは国境も人種も、性別も年齢も、経済格差も(それほど)関係なく、興味さえあれば簡単に学べるフラットな環境、そしてこんなことやあんなことができる、という将来への可能性の広がり。

この感情は、雑誌オリーブをはじめて読んだ時に感じたものに似ている。

あ、格差...そういや格差と言えば...

京都, 1990s

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当時俺は、軽音サークルでダラダラと過ごしていた。

そんなサブカル・クソサークルに入っている奴らというのは、どうしようもないYATSURAばっかりである。

だがその一方で、本当に音楽に関しては詳しい奴ばかりで、どっからそんな情報を得る金とか時間があるんだ?と、ずーっとずーっと不思議でしょうがなかった。

当時貧乏な奴が音楽を沢山聴くには、レンタルとかツレ・ネットワークくらいしかない。音楽を買うというのは結構な贅沢品だった。

そんな疑問を抱えつつ、大学で4年が経った。

卒業旅行でもいくべと思ったが、金は無い。だが車はあったので、ツレと西日本を一周することにした。泊まる場所はだいたい実家に帰っている後輩の家である。

そこでいろんな「お父さん」「お兄ちゃん」の部屋に入ったとき、俺は最初の疑問の答えを、まざまざと見せつけられたのである。

 壁が全部ズージャのレコード棚の親父の部屋。
 みたこともなシンセみたいな機材に埋もれた、兄貴の部屋。
 70sあたりのブリティッシュロックで埋まった後輩の実家の部屋。
 なんかよくわからない管弦楽器の保管部屋。

そんな部屋の棚に飾ってあるブルーノート・レーベルっぽいLPジャケット群を目の前にして、「こ、こいつら、こんな環境で育ってたのか!」と凄まじく羨ましかった。

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こんな感じのやつ。なんかようわからんがカッコいいやつだ。

もう後輩やツレ達は、生まれたときから、過去のレガシーを空気の様に聴いて身につけているのであろう。しかもそこそこみんな、資産家のボンクラ息子・娘ばかりだったのが判明した。

俺はこの時に、血筋とか環境の違いを知らされたのである。もうこんなん、スタート地点で違うやんけ。


そして卒業旅行の最終目的地は、俺の実家である。自分の出生や環境について考えながら実家に行くと、お袋がデカい声で調子っぱずれに、広瀬香美を歌っていた。

しかも、お袋は、寝巻に使ってたらしい俺のデフレパードのTシャツを着て迎えにきやがった。ツレは大爆笑していた。

「くっ、なんてひどい音楽の環境なんだ、俺の実家は...
 どうして、どうして俺のお母さんは、コルトレーンとか
 聴いてなかったんだよ!母さん!
 あと、自分が知らないバンドのTシャツ着るなよ!

稲垣潤一の”思い出のビーチクラブ”を歌いながらキンピラをつくるお袋を見ながら、そう思ったのを思い出す。

でもキンピラは相変わらず美味しかった。

パラレルワールドのカーディフ, 1980s

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Micro:bitの公式ページは、様々な人種の子供たちがこのマイコンを持ったページで始まる。チュートリアルに入るためにこのページを見るたび、

もし俺がこの国に、ウェールズ人の両親のもとで生まれてたら、どういう職業についてたかなあ...。

と時々考える。

俺は中高校時代、成績は下から数えた方が早かった。だからGCSEで人生が決まってしまう(ように思える)この国に居た場合は、大学なんかはいかなかっただろう。

再婚したお袋の旦那と反りが合わず、家を飛び出して、仲間とパブ行ってスヌーカーやって、BTかSkyの中継を観ながらカーディフ・シティを応援していたなきっと。

GCSE - General Certificate of Secondary Education.
英国の義務教育終了の英国全土の共通試験。16歳で受ける。でも日本みたいなお受験、とはちょっと雰囲気は違う。

一方、もしも俺がやる気があり、両親に多少なりとも理解と資産があったら、英国の授業で学ぶMicro:bitを通して、ソフトウェアかハードウェアの方面に進んでいたかもしれない。

いや、でも授業のドラマ(演劇)やメディア・スタディーズを通して、コメディ・ドラマとかノワール・ドラマとかの方に進んでたかもな。

なにせちょっと調べるだけでも、この手の中学生や高校生向けのワークショップなんかが、ゴロゴロ転がっている。コーディング・クラブ、ライターズ・ルーム...こんな小さなウェールズでさえだ。しかも先生たちも結構な専門家である。

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この国は本当に、芽がある人ややる気のある人々には、素晴らしいプログラムが用意されている。

その分目が無いと冷徹に切り捨てるが。俺はおそらく切り捨てられる側だ。

しかもチートなのが英語である。日本語文献の何倍あるんだみたいな歴史と幅の広さのもとで学び、そして活躍の場は英国だけじゃない。地球規模での可能性の面としての広がり。


そんな可能性を提示してくれるこの国に、俺はよくジェラシーを感じることがある。それは、学生時代の卒業旅行の時の後輩たちの環境への思いと、ほとんど同じものだ。

未来のカーディフか上海か東京, 2020s

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Micro:bitのチュートリアルで感じたように、敷居や格差は小さければ小さいほど良いのは、自信を持って言える。そして未来への可能性というものが、いかに自分を勇気づけてくれるかを知る。

21世紀は、俺は空を超えてラララの通り、車が空を飛び、金田のバイクが高速道路を走り、ジグジグ・スパトニックみたいな人々が街をあるいて、テレビにはママママックス・へへヘッドルームがいるもんだと思っていたが、そうではない。

”想像した以上に騒がしい未来”とは、きっと

格差や差別がどんどん消滅し、あらゆる人の可能性がどんどん広がる未来

なのだ。女子児童へのSTEM教育、#MeToo、#BLM...そしてリモートワークもきっとここに入るだろう。

俺はきっとイイ時代に生きているはずだ。そしてきっとスピッツが歌ってた未来はもうすぐなんだ思う。


PS.
あ、そういや、お袋の音楽の趣味は悪い悪いと言ってきたが、この曲はマシだった。

そうそう、21世紀はこの曲のタイトルどおりになるね!



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