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【短編小説】現実と戦う者たち

 起きてすぐ、顔を洗い、朝食を食べる前に歯を磨く。この朝のルーティンワークはもう何年も崩していない。これをしないと何だか気持ちが悪くてやめられない。もし、仮に朝食を先に食べてしまったりしたら、一日の調子は悪くなるだろう。周りは何も変わらないのだろうけど、気持ちが沈むから。
 右足から玄関を出て、鍵を回す。無くさないようにリュックの内ポケットに入れる。これもいつもの習慣だ。理由は同じ。なんとなくやらないと気持ちが悪いから。
 敷地内を出ると、会い向かいの公園で二十代と思われる若い母と小学生未満の子供が楽しそうに遊んでいた。そのほかにもランニングをしている男の人や散歩をしている仲睦まじい老夫婦もいた。ここに引っ越してからこんな光景を何度も目にする。目にするたびに、「こうならなくては」と心の中で誓うものの、どうにもだらけてしまい、ランニングすることすらできていないままだ。
 少し歩くと、目当ての美容院が見えた。この美容院はネットで冴えない男の子のビフォーアフターの動画をあげており、最近人気の美容院だ。数カ月前に予約してやっと今日訪れることができる。
 店のドアを開けると、軽快なジャズミュージックといかにも明るそうなお洒落なお兄さんが笑顔で出迎えた。それだけでも少し戸惑ってしまったのに、予約した名前を告げると、そのお兄さんはさらに笑顔になって「お待ちしておりました」と言うものだから、さらに戸惑ってしまった。こんなに営業スマイルをされてもちっとも嬉しくなんかない。まあ、不愛想よりはましだけど。

「今日はどうしますか?」
「こんな感じにしてください」

 最近人気のモデルの写真を見せた。すると、やはりお兄さんは笑顔で「いいですねぇ」と笑った。

 大学生になって半年が経った。田舎から大都会である東京に進学した近本は周りから馬鹿にされないように必死だった。テレビや雑誌で流行をくまなくチェックし、少し高くてもオシャレな服を買い、都会の洗練された風景や人々に溶け込むように少しでも頑張っていた。そのおかげか、同級生とも何とか仲良くすることができ、今では大学内でもちょっとした人気の仲良し集団、言ってみれば花より団子の四人組みたいな人達の仲間になることができたのだ。
 しかし、それでもまだ彼らほど、洗練された都会の人間とは程遠い。何かが違う。決定的な何かが。そう考えると、何か変えないと気が済まず、まず、趣味を変えた。今まではアニメを見たり、漫画を読んだり、ネットでゲームをしたりすることが趣味だったけれど、興味もない流行りの韓国ドラマやアーティストを見たり聞いたりするようにしてみた。次に話し方を変えた。真面目に話すのではなく、冗談や流行りのギャグを交えて話すようにしてみた。しかし、まだ何かが違った。そんなときに鏡を見て気が付いたのがヘアスタイルだった。彼らはどうしているのかいつもサラサラでふわふわだった。対して近本はべたっとしていた。おそらくこれが決定的な差だった。

「はい。お疲れさまでした」

 途中から薄々と感じてはいたけれど、似合っていない。髪型は伝えた通り、今流行りの髪型ではある。しかし、自分の顔と全く似合っていない。何と言えばいいのだろう。なんか違う。

「ありがとうございました」

 最後まで営業スマイル全開の男性に向かってお金を払う。思った以上に高い金額にさらにショックを受けつつ、店を出た。駅に向かう途中雨が降ってきた。

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 朝、そわそわした気持ちで講堂に向かうと、翔悟が前の方の席に座っているのが見えた。まだ他の友達たちは来ていないようで、周りには人がいない。翔悟は何をすることが無いのかずっと携帯を弄っているようだった。
 後ろから近づいて驚かしてみようか。翔悟はリアクションがいつも大きいから、この髪型を見て驚くはずだ。どうしたんだよ!なんて言って笑うかもしれない。それでもいい。決して似合っていない髪型だ。いい加減に褒められるよりは笑ってもらった方が嬉しい。

「おはよう」

 隣に座り、声をかける。翔悟はこちらをちらりと見て「まだ来てないね」とだけ言うと、また携帯に目を向けた。

「見てみろよこれ。すごくね。髪切ったらさ、リクームみたいになったよ。すごくね。ギニュー特戦隊とか組んじゃおうかな。なんつってなんつって」
「ん?あぁ。そうでもないだろ。似合ってる似合ってる」

 心の底から興味が無さそうにあくびをしながら言う翔悟に何も言えなくなって無言で授業の準備をしていると、他の三人も眠そうにやってきた。当然、髪型なんて誰も興味が無さそうだった。

「そう言えばさぁ、BTSの新曲出たよな。あれめっちゃいいよ。聞いた?」

 誰かが眠そうな声で言った。けれど、誰も聞いてないのか返事はしなかった。

「俺聞いたよ。あれいいよね。最近聞いた曲で一番好きかも」

 沈黙に耐えらえずに咄嗟に答えた。もちろん、聞いてなどいない。BTSなんて興味がない。むしろ韓国のアーティストはメディアでしつこいほど報道されるから少し嫌悪感があるくらいだ。

「だよな。いいよなあれ。それでさ、昨日見た女の子めっちゃ可愛くなかった?あの子同じ学部らしいよ」
「あぁ、あのお嬢様みたいな子だろ。本当に可愛かったよな。体の内側から発光してんのかなってくらい輝いてたもんな。なんかもう隣で歩いてた子が可哀想だった」
「名前知らないの?」
「何だっけな。確か小玉さんだった気がする。まあ、同じ学部なんだしどこかで会えるでしょ。というか、この授業にいたりして」

 きょろきょろと周りを見渡す四人を見て、思わず携帯を凝視した。行動の前の方に座る僕たちは後ろの方に座っている人たちからは行動が丸見えだ。今、こうして小玉さんとやらを探している様子はかなり滑稽に映っているだろう。

「あ、いた」

 翔悟が小さな声で言った。それを聞いて思わず視線を向けると、そこには周りの人間よりも明らかに育ちの良さそうな綺麗な髪と血色の良い白い肌、綺麗な服を着た女の子がいた。彼女はこちらに気が付くと、可愛い小さな手を振っていた。

「後ろ行こうぜ」

 翔悟たちは何の躊躇いもなく、小玉さんの隣の席へと移った。ちらりと小玉さんの様子を覗き見たら、表情こそ変えなかったものの、下を向き、明らかに困ったような雰囲気を醸し出していた。しかし、そんな小玉さんの様子に気が付くこともなく、翔悟たちは上機嫌で隣に座った。

「ここ座っていいですか?友達とか来てます?」
「この授業は一人で受けてるので大丈夫です」
「よかった。何年生ですか?」
「一年生です」
「同じじゃーん。敬語で話して損したー。何学部?俺たち経済学部」
「私も経済学部です」
「マジで?同じじゃーん」

 軽快なトークを見せる翔悟。僕たちと話してた時は眠そうだったのに。対して小玉さんはやはり迷惑なのか口数は少なく感じる。そもそも人見知りなのかあまり目も見て話していない。

「ちょっと迷惑でしょ。いきなり絡んだら。初対面なんだからさ。すみませんねぇ」

 近本がそう言って笑うと、小玉さんはあからさまに顔を輝かせた。やはり迷惑だったのだろう。

「迷惑なのはお前の頭だろ。何だそれ、似合ってなさすぎるからな。見る度に笑えて来るわ」
「うるせぇ。しょうがないだろ。俺だって見た時笑いそうだったわ。もう静かにしてくれ」

 翔悟たちが少し静かになったところで、チャイムが鳴り、スーツを着た先生がやってきた。小玉さんは心なしか笑っているように見えた。

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「うへぇ!何その髪型!似合ってなさすぎるでしょ!」

 吉田が近本を見るなり大きなお腹を抱えて笑った。相変わらずの失礼な態度に少し腹が立つけれど、変わっていなくて安心感の方が勝っている。
 吉田から連絡が来たのは一週間前だった。ほとんど連絡など来ることのない携帯が珍しく震えていた。翔悟たちからだと思った近本はすぐに飛びつき、携帯を見た。液晶画面にはいつ登録したのか「吉田のくそ野郎」と表示されていた。無視しようと思ったけれど、さすがに悪いから電話に出ると高校の頃と同じ明るい声で「久しぶりに会おうぜ」と誘われたのだ。

「お前は変わってないな。お腹が大きくなったくらいか」
「外は変わってないな。でも、中は変わったんだよ。勉強はしてるからな。あと何年かしたら俺の携わったゲームが発売されるかもしれないからサインでも書いてやろうか?」
「いらないよそんなの。ゲームやらないし」
「今時ゲームやらないなんて遅れてるな。ネットじゃゲーム配信がブームだっていうのに」

 最近、ゲーム配信がブームになっていることは知っている。ゲーム関係の業者は軒並み業績を上げていることもニュースで話題になっていた。だからといって、ゲームをやってみようと思うことはないけれど、吉田にとっては嬉しい限りなのだろう。高校生の頃はゲームをやっている人間はオタクという蔑称で呼ばれていたのだから。

「それにしても、近本は変わったな。髪型以外もさ。なんというか、垢抜けたっていうのかな」
「どこら辺が?」
「表情とか口調とかかな。今は東京の大学に行ってるんだっけ」
「そう。大都会の東京」
「やっぱり変わるんかな。都会に行くと」
「お前は東京に行っても変わらないだろうな」

 吉田はウーロン茶を美味しそうに喉を鳴らして飲み干し、揚げ出し豆腐に手を出した。さっきから食べてばかりのこの男はとても幸せそうだ。

「そういえばさ、近本は将来何かやりたいことあるの?」
「特にない。まだ一年だし。これから見つけていけばいいかな」
「まだ一年だもんなー。普通は遊んで恋して楽しんで大学生活を謳歌って感じだよな。いいよな近本は。東京って色々ありそうだし、色々な人がいて楽しそう」
「まあ、色々あるかな」

 理由はわからないけれど、胸がざわざわと波打つのがわかる。その波が胸から喉へ伝わり、口から言葉となって出て行く。

「でもさぁ、吉田もさぁ、そのままでいいのかよ。せっかく大学生になったのにさ、勉強ばっかりして、もっと遊ばないと。楽しまないともったいないじゃん。仮にゲーム関連の会社に就職できたとしても、あとになって絶対に後悔するでしょ。目に見えるな」

 つらつらと言葉が溢れてくる。溢れ出る言葉は吉田を飲み込んでどんどん表情と言葉を奪っていく。

「彼女いるの?作った方がいいよ。絶対に。実はさ、俺、好きな人がいるんだよね。その子といい関係になれそうなんだ。今度告白してみようかな。絶対に成功すると思う。その子、頭も良いし、性格も良いし、頑張り屋さんでさ。歌手になりたくて中学の時から頑張ってるらしいんだよね。youtubeとかも頻繁に更新しててさ、オリジナル曲とかも作ってるくらいなんだ。すごくない?」
「すごいな。夢を追うのってやっぱりすごいよ。応援してる。頑張れ」
「すごいだろ。吉田もこのくらい頑張らないと」
「そうだな。じゃあそろそろ帰るか」

 何を考えているのかわからない表情で吉田は席を立った。そのまま何も言わずにお会計を済ませ、近本の方を見ずに「頑張れよ」と言って歩いて行ってしまった。

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「あ、おはようございます。今日は一人なんですね」

 いつもの授業で、小玉さんの隣に座ると、彼女は笑顔でそう言った。相変わらず上品な服装でほんのりと赤くなった頬は健康的だった。

「あの人達はあまり真面目じゃないからね。多分、家で寝ているんじゃないかな」
「昨日は遅くまで遊んでいたらしいですからね。私も誘われたんですよ。遊ばないかって。近本さんはよく来れましたね。眠く無いですか?」

 ふふふ、と笑う彼女の歯はとても綺麗だった。同じ大きさの歯が乱れることなく綺麗に並び、白く輝いている。宝石のようなそれを見ていると、小玉さんは「どうしたんですか?眠いですか?」とこちらを覗き込んできた。

「ちょっと眠いかもしれないですね。昨日はあまり眠れなくて」

 嘘だ。昨日はバイトをして日付が変わる前には布団に入っていた。翔悟たちから遊ぶ誘いなど来ていない。それどころか、彼らからの誘いなんて今まで一切ない。学校で会って話すくらいだ。

「そういえば、小玉さんって歌手目指してるんですよね。すごいですね。youtube見ましたよ。本当に頑張ってほしいです」
「え、見てくれたんですか!嬉しい!ありがとうとございます。私、本当に歌手になりたくて、ずっと頑張ってるんです」
「なれますよ。頑張ってるんですから。そういえば、僕の友達はゲーム関連の会社に就職したいって勉強してるんですよ。高校の時から全然変わってなくて、もっと大学生活楽しめよって話してるんですけど。顔も良くないし、体型もずんぐりしてるから勉強しかないんですかね」

 ははは、と笑って見せる。小玉さんと違い、黄色く濁った並びの悪い歯は彼女の目からどう見えているのだろうか。

「勉強してるのが楽しんじゃないんですか?」

 小玉さんの目から感情が無くなる。あの時の吉田と同じ目だ。

「近本さんは将来の夢とか無いんですか?何に向かって生きてるんですか?楽しいんですか?その人生」

 ふふふ、とまた綺麗な歯を覗かせて笑う。しかし、目は全く笑っていない。それどころかうっすらと眉間に皺が寄り、語気が強くなってきている気がする。明らかに怒っている。

「最近のニュース見てます?作家の柘植芳樹が顔出ししたって話題になってますよね。あの人はずっと頑張ってきてやっと有名な作家になったんですよ。それなのに顔出ししたらあの人の努力すら知らない人が匿名で誹謗中傷して…近本さんって絶対にそのタイプですよね」

柘植という作家のニュースはなんとなく知っている。彼は本屋大賞や直木賞などにノミネートされ、最新の小説は映画化されることが決まっているほどの人気の作家だ。彼は今まで顔は一切公表していなかったのだが、ついに顔出しをしたらしい。情報が氾濫しているネットのどこを探しても、素性がわからなかったのに、いきなり雑誌で顔出ししたインタビュー記事が載ったものだから、瞬く間に話題になった。
 小説なんか一切読まない近本はその作家が男だった事すら知らず、心底どうでもよかったけれど、彼の容姿について、ネットでは様々な意見が寄せられていた。その多くは批判的な意見だった。

「そんなことしないよ。そんなに性格悪くない」
「だって、今、お友達の事悪く言ったじゃないですか。そのお友達は夢に向かって頑張ってるじゃないですか。それなのに、容姿がどうとか、もっと大学生活楽しめとか上から目線で御託を並べてたじゃないですか」
「そうだけどさ」
「翔悟さんだって頑張ってるんですよ。あの人、凄くチャラチャラしてるように見えますけど、将来は俳優になりたいからってすごく頑張ってるんですよ。知ってました?」

 知るわけがない。翔悟たちとは仲良くなかったのだから。近本が学校にいる時はつきまとっていただけで、あちらは仲が良いとは一切思っていなかったのだから。

「近本さんももっとちゃんとした方がいいですよ。まだ一年生だからってプラプラしてるのみっともないです。髪型とか容姿ばかり気にしてないで、好きな事見つけて努力した方がいいですよ。それでは」

 小玉さんは席を立ち、近本から離れた所に座り直した。周りの人間が一部始終を聞いていたのか、笑い声やひそひそ話す声が聞こえた。それが嫌で席を立ち、近本はその日の授業はすべて休んだ。

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 噂で小玉さんと翔悟が付き合っているという情報が耳に届いた。それが原因と言うわけではないけれど、髪を切り、坊主に近い状態で翔悟たちに合わせて買っていた服も捨て、本来の自分が好きなラフな服装にすることが増えた。アニメもたくさん見るようになったし、ゲームもたくさんした。翔悟たちや小玉さんに会うことはほとんどなくなり、今では大学で見かけることもない。
 翔悟たちと話すことが無くなったから、色んな人と関わることが増えた。アニメが好きな人達で集まるサークルにも参加するようになり、変に気を遣わず、楽しい日々が増えて行った。

「うへぇ!何その髪型!刑務所にでも入ってたのかよ!」
「うるせぇ。犯罪者扱いするな。似合ってなかったから切っただけだよ」

 サークルには吉田も来てもらった。やはり一人で参加するのは勇気が出ず、たまたま休みだった吉田を誘ったのだ。相変わらず失礼な奴だけど、今はそれが嬉しく感じる。

「夢ってさぁ、どうやったら見つかるんだろうな」

 小玉さんに言われたことが今でも頭の片隅に鳴り響いている。あの顔もあの声も全部。

「そりゃ好きな事が夢でしょ」
「好きな事が無いんだよな」
「寂しい人生だな。悲しいよ。本でも読んでみろよ。最近話題の人、何だっけ名前。柘植だっけ。あの人の小説とか読んでみたら?」
「読んでみるか」
「なんかさ、お前、また変わったな」

 吉田は少し楽しそうにそう言った。「だろ?」と答えると、思いっきり笑い、近本も歯を見せて笑った。いつか、大人になった時にこの日を思い出す日が来るのだろうか。来るとすれば、それはまだ見つからない夢を掴んだ時に違いないとそう思った。













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