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【ショートショート】その名は山吹

 ここに一枚の写真がある。真ん中に映る女は笑顔でその周りには光の玉や人の顔やら、わかりやすい幽霊が多数映っている。見るもの皆が震えあがるほどの心霊写真である。
 しかし、恐ろしいのは心霊写真ではない。この女の方だ。

 一週間ほど前の事である。私は研究室に向かう途中、食堂に寄った。最近かつ丼やハンバーガーなど栄養バランスが偏った食事しか食べていないのが気になっていたため、栄養素を満遍なく摂れそうなAランチというものを券売機で購入した。私はそれを恰幅の良いおばさんに渡して席に座り、呼ばれるのを待った。
 食堂は様々な人がいる。本を読んでいる静かそうな学生や、数人で楽しそうに話している男女。一目散にご飯をかきこみ、慌ただしく席を立つ教授、一人でペットボトルのコーラを一気飲みして山手線の駅名を言っている変人女などなど。見ているだけで一日過ごせそうなほどである。
 しばらく観察していると、番号を呼ばれた。席を立ち、おばさんのもとへ向かう。途中、変人女がこちらを見た気がしたが、目を合わせたら最後、つきまとわれることになるから無視をした。

「おまちどうさまです。Aランチです」
「ありがとうございます。いただきます」

 軽くおばさんに会釈して振り向く。すると、奇妙なことに私の座っていた席にコーラ飲み変人女が座っていた。しかも、あろうことかこちらを見て笑っているではないか。

 めんどくせー

 心の中で軽く舌打ちをしてその女が座っていた席に向かう。席の交換である。

「あれれれれ?先輩。そこは私の席っすよ。何してんすか全く。あ、もしかして、私の事見てたっすか?だから、私が座ってた席に行ったっすか?図星っすか?ふぅーーー!」
「なにか用かな」
「用なんてないっす。私はただ、一緒にご飯を食べようとしただけっす。それだけっす」
「えぇ…一人で食べたいなぁ」
「そんなこと言わずに。さあさあ」

 この図々しいコーラ飲み変人女は山吹である。まことに残念ながら高校からの後輩で、何故か私の後をついてくる迷惑な奴だ。しかし、不思議なことに私の友人たちや山吹の同級生たちにはやたらと好かれているらしい。顔が良いのはあるのかもしれないが、この女の変人っぷりがわからないとは、見る目が無いのだろう。今だって許可していないのに私のランチの魚を食べ始めている。

「そういえば、今度の週末に肝試しに行くんすよ。先輩も来るっすか?」
「肝試し?」
「最近、ネットで話題になってる心霊スポットがあるんすよ。この県に。猫黙トンネルって知ってるっすか?」

 犬鳴トンネルだろ!とつっこみたい気持ちをぐっと抑えて「へえ。そうなんだ。誰と行くの?」と冷静に聞いた。ランチの魚は半分食べられており、味噌汁にも箸が伸びていた。その箸をやんわりと手で制して味噌汁を口に運ぶ。ちょうどいい塩分の味噌汁が体に沁みる。なめこと豆腐も面白いくらいに美味しくて思わず笑みがこぼれそうだ。

「ん?一人っすよ?私、なめこ汁大好きっす」
「一人かい。なんでまた一人で心霊スポットになんて行くんだよ」
「好奇心っすね。人間やっぱり好奇心が大事じゃないっすか。もし、呪われたらどうしようとか、不幸になったらどうしようとか考えるっすけど、やっぱり好奇心には勝てないっすね。この鰆の西京焼き、初めて食べたっす。好奇心が止まらいっす」
「そうかい。それはよかったよ」

 すでにこの女は呪われているのではないか。そろそろ怒った方がいいのでは。そんな事を考えてはみるものの、他人の昼食を躊躇いなく食べる嬉しそうなその横顔を見ていたら怒る気力もつっこむ気力も無くなってしまった。

「行ってみようかな。どうせ暇だし。なんか心配だし」
「おっ。そうこなくっちゃ!じゃあ、決まりっすね。土曜日の夜に猫黙トンネルの前に集合っす」
「オッケーオッケー。楽しみにしておく」
「約束っすよ」

 山吹がこちらの魚を食べ終えた。美味しそうに口を動かす山吹はにんまりとした顔でこちらを見ている。そんな山吹を見て、不思議と溢れる多好感に戸惑いながら、味のしないご飯を一口食べると、お米の甘みが口いっぱいに広がった。

 もしかしたら呪われているのは私なのかもしれない。

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 「ほんとにあったね。猫黙トンネル。ふざけてるのかと思ったよ」

 夜、山吹に伝えられた場所に来ると、既にまがまがしい何かの雰囲気がたっぷりと漂っているトンネルが眼前に現れた。数珠やらお札やらで武装した山吹はそれ見た事かと得意気な顔でこちらを見ている。

「先輩。随分と軽装っすね。おばけを馬鹿にしちゃ駄目っすよ。先輩くらいのなよなよした気の弱い男なんてすぐに憑りつかれるっす」
「おばけを馬鹿にしてるわけじゃないんだけどね。本当にあると思わなくてさ。ネットで調べても何も情報は出てこなかったし」
「本当に危ないスポットっす。だから興味本位で立ち入る人が出ないように情報規制されてるらしいっす」
「本当に危険な所なんだね。帰りたいよ」

 山吹によると、このトンネルが施工された当時は周辺は山だったらしい。その山は地元では有名な神聖な場所で立ち入る事すら許されないような場所だったそうだ。だから住民はトンネルを開通することを断固拒否し、開通は揉めに揉めた。しかし、結局は会社側が強引に施工を始め、木を切り倒し、神聖な場所に土足で踏み入り、トンネルを開通させたのだ。その後、トンネルの施工に関わった人間は皆、不幸な出来事が襲い、死に至ったとかなんとか…

「それはどこで調べたんだ。本当に危ないじゃないか」
「大丈夫っす。私にはお守りがあるんで」
「絶対に大丈夫じゃないでしょ」
「さ、いざ、トンネル内に侵入~」

 山吹がご機嫌で口笛を吹きながら、駅にでも向かうのかと勘違いするほど気楽に歩いていく。しかし、そんな山吹の雰囲気に騙されそうになるけれど、トンネルの外と中とでは明らかに空気が変わった。どこかひんやりと冷たく、ピリつくような空気だ。私が小心者だから体に影響が出ているだけだろうと心に言い聞かせて平静を保ってみるも、それがいつまで続くかわからない。もし、視界の端に幽霊がいようものなら、叫んだうえで倒れてしまうかもしれない。

「幽霊さーん!出ておいでー!」
「ぎゃー!やめろ!びっくりするだろ!」
「あ、さーせん。なんかつまんなくって…一応写真撮ってみるっす。何か写るかもしれないし」
「じゃあ、撮るからなんかポーズして」

 トンネルの中央付近で立ち止まり、写真を撮ることにした。正直、一刻も早く帰りたいが、こんな所で言い合いもしたくない。
 前を見ると、山吹はベロを出し、寄り目をしていた。それは何だと聞きたくなったけれど、どうせ意味は無いだろう。だから無言でデジタルカメラのモニターを見た。もちろん、山吹の周りには何も写っていない。

「まだっすか。目が痛いっす」

 シャッターを押した。山吹に「何も写ってなかったよ」と伝え、カメラを返すと、山吹は一度だけ写真を確認して何も言わずにカバンにしまった。
 それからも何も起きずに私たちは歩いた。山吹は時折「幽霊さーーん!」と叫び、こちらの心臓を止めようとしてきたが、それにも慣れて何とも思わなくなった。やがて、出口へと到着した。付近には心もとなく光る街灯が一つ立っているだけである。

「じゃあ、引き返して帰るっす」
「結局何も出なかったね」
「よし、じゃあ、ここで最近流行してるダンス踊ってみるっす。それではAdoの唱。ミュージックスタート」
「ん?なんで?」

 こちらの疑問を無視して山吹は携帯を操作し、軽快な音楽が流れ始めた。それに合わせて、山吹は上手なのか下手なのかわからない奇妙なダンスを踊りはじめた。途中で「先輩も一緒にー」と誘われたが、無視した。
 一刻も早く帰りたい。今は何時だ。もう日を跨いだのではないだろうか。お風呂にも入りたい。ほんの少しだけ幽霊を見てみたかったから来てみたのに、がっかりだ。山吹は踊り始めたし。

「いえーい。最高っすね。皆さんノリも良いしダンスもキレッキレで。最後に集合写真でも撮りましょうか」
「いや、俺は遠慮しておくよ」
「そっすか。じゃあ、先輩がカメラマンでお願いっす」
「じゃあ行くよ。ハイチーズ」

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「いやー。先日は楽しかったっすね」

 食堂でAランチを食べていると、当たり前のように山吹が隣に座ってきた。今日はしっかりとBランチを食べているようだ。今日こそは取られる心配は無さそうである。

「楽しくなかったでしょ。結局何も出なかったし。トンネル内で大声出して踊るっていうわけわからない事をしただけでしょ」
「それが面白いんじゃないっすか。それにユーチューブとツイッターにアップしたら思いのほかバズっちゃって。やっぱり私は天才っす」
「はいはい。すごいすごい。あの後、大丈夫だった?」

 あの後、二人でトンネルを出た後、暗い中帰った。山吹を家まで送ってやろうとしたけれど、場所が正反対なうえに、生意気にも一人で大丈夫だとか言うから、震えながら一人で帰った。

「だから、バズっちゃって。ユーチューバーとしての才能が開花しそうっす」
「違う違う。憑りつかれたりとか、呪いとか、そっちだよ。何も変なことはなかった?」
「なかったっすねぇ。残念っす。ドジョウに話しかけられて、美味しそうだったから焼いて食べた夢を見たくらいっす」

 山吹は何故かこちらの魚に手を伸ばし、食べると「やっぱり魚はいいっすね」などと戯言を抜かした。お返しにこちらも山吹の肉を食べ「やっぱり肉は美味しいな」などと言ってみる。

「先輩何やってんすか。それは私のっすよ。食べたいんすか?」
「え、こっちのセリフなんだけど。怖いんだけど」
「怖いのは私っす。先輩、寝てないでしょ。ゾンビみたいな顔になってるっす」

 痛い所をつかれ、魚が喉に詰まりそうになる。確かにあれからあまり眠れていない。何かがあったわけではないけれど、怖いのだ。

「そっちはよく眠れるな。感心するよ。その図太さ」
「まあ、そういう性格っすから。あ、そういえば、撮った写真と動画、携帯に送るっす」
「はい。ありがとね」

 すぐに送られてきた写真と動画を確認した。すると、写真には光っている玉のような物や人の顔のような物があちこちに写っている。動画も山吹が一人で踊っているだけだが、音が途切れ、雑音がかなり混じっていた。

「いや、これ本当に大丈夫?」
「大丈夫っす。皆友達。幽霊も友達っす。皆で踊った唱。絶対に忘れないっす」
「お前が一番怖いわ」

 目を輝かせ、こちらの魚を食べ終えた山吹はにんまりと笑った。今日もメインディッシュを横取りされた形になったけれど、味の無いご飯もこれはこれで美味しいものだ。そんなふうに考えて、幸せそうに口を動かしている山吹を見た。不思議と溢れる多好感を感じながら、ご飯を口に運んだ。

 やっぱり私は呪われている。

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