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【短編小説】始まりの日に

 寒い。まだ十月の中旬だというのに、もうすっかり冬の匂いがする。通り過ぎる人達は厚手のコートに身を包み、早足でこの寒さから逃げるように歩いている。テレビでは今日はぽかぽか陽気だとか言っていたのに、駅を出た頃には天気が急変して空を雲が覆い、冷たい風が強く吹いてきた。真新しいリクルートスーツを着ているだけの高羽陽は、身を震わせながら自宅へと歩いていた。
 テレビなんかを信じて羽織る物を何も準備しなかった自分に腹が立ってくる。ほとんど何も入っていない形だけのビジネスバッグの重さも、風の強さで乱れに乱れている髪の毛も全てに腹が立つ。

 くそ。なんであんなおじさんに評価されくちゃいけないんだよ。

 わかりやすい作り笑いをしていた面接官の顔を思い出す。中年らしい白髪の混じった髪と水分量の無さそうな肌。煙草と酒の匂いが漂ってきそうな声。それらを思い出しただけでさらに腹が立つ。
 三年の春ごろから始めた就活はもう一年に及んでいる。すでに周りでは就職が決まったという話しをかなり聞くようになり、それを聞くたびに胸が痛み、焦りがこみあげてくる。
 父親は「焦らなくてもいいし、会社に勤めるだけが人生じゃないから」と言ってくれているけれど、やっぱり会社に勤めなければ世間から見られる印象は良くない。それに第一、歌手やダンサー、画家や小説家などのような才能も無ければ、情熱もない。就職しなければ、ただのだらしないニートと呼ばれるようになるだろう。そう思えば思うほど、焦りが増し、面接で空回りし、何度もお祈りされるわけだ。
 家に帰ると、バッグをソファの上に放り投げ、慣れないスーツを脱ぎ、ハンガーにかける。シャツを洗濯機に放り込み、身軽になった所で冷蔵庫にあったミネラルウォーターを一気に飲み干した。怒りと苛立ちで火照っていた内部を水が冷ましていく。頭に上っていた血も下がってきたのか、軽い頭痛も無くなった。
 冷静になって考えると、確かに父親の言う通りだ。会社勤めをすることだけが人生じゃない。今はフリーランスだとか会社に勤めなくてもできることは色々ある。結局のところ、自分の実力次第で人生はどうにでもなるんだ。就活に失敗したらそっちを頑張ればいい。そう思えば心が楽になる。フリーランスも難しければ、youtubeでも初めてみよう。
 アプリでyoutubeを開き、動画を検索した。出てくる数々の動画はどれも幼稚でバカバカしい。口を大きく開け、驚いているようなサムネイルばかりだ。そのうちの一つを再生してみる。案の定、バカバカしい顔をした男が訳のわからない量のご飯を汚らしく食べているだけだった。それでも、とてつもない再生回数が表示されているのだから不思議なものだ。

 腹が立つなぁ。

 こんなに苦労して勉強して就活に苦戦しているというのに、一切勉強して来なかったであろうこの男が大金を稼いでいるというのが無性に腹が立つ。もちろん、こんな奴ばかりじゃないのはわかっているけれど、もし、就職できなかったらこうなるのかと思うと、情けなさと悔しさでまた体の中が暑くなるようだった。

 この女にするか。

 しばらく動画を見ていると、最近人気の楽曲をカバーして歌っている女性の動画が関連動画で出てきた。しっかりと顔出しして歌っている所を見ると、よほど自分の容姿に自信があるのだろう。実際、若く、色白で小動物のような可愛らしさがあり、男が一番好みそうな顔だ。歌声は明らかに歌手を目指しているのだとわかるほど力強く、上手だった。

『歌下手すぎでしょ。プロになんかなれないからやめた方がいいよ』

 十数件しか書き込まれていないコメント欄にそう書き込む。せっかく下がっていた血がまた頭に上ってくる。軽く頭痛がしてきた。高羽はミネラルウォーターを飲んでyoutubeを閉じた。

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 休日のお昼は戦場だ。一人客や家族連れの客、友達と一緒にやってきた若い客などが途切れることなくやってくる。皆が好き放題に振る舞い、会話して食事を楽しむ。従業員はそれを邪魔してはいけない。邪魔をすれば直ちに苦情と言う刃で心を貫かれる。従業員たちは、注文を聞き、食事を運び、お金を受け取る。それに徹するのだ。それだけでいい。

「ちょっと、早くそれ持って行ってよ。お客さん待たせてるでしょ!」
「もうちょっと早く動けないの?」
「もうそれやんなくていいから、テーブルのバッシングしてきてよ」

 そう言うのはバイト歴一年目の子たちだ。彼らは高羽と違い、熱心に仕事に取り組み、既に業務のほとんどを覚えている。そればかりか、周りを気にする余裕さえ出てきているようで、今では周りに指示することもあるくらいだ。対して、高羽は四年ほどアルバイトをしているのに、まだ周りを見て動けないでいる。落ち着いている時間帯はしっかりと動けるのだが、休日のお昼などの混む時間帯はどうしても頭がこんがらがってしまって動けない。だから、彼女たちにため息交じりに指示を出されることもしばしばある。

「やっと落ち着いてきたかな。最近、お客さん減ってきてから余裕だね。四、五年前なんてお昼から三時くらいまでお客さんがひっきりなしに来て休む時間なんてなかったらしいから」

 白髪交じりの店長と連絡先を交換するほど仲の良いアルバイトの女の子がそんなことを言っていた。その話しは高羽も聞いたことがある。四、五年前はこの店はとても繁盛しており、売り上げが良かったとか。だから、店長も上機嫌でアルバイトの子たちも張り切って働いていて、活気にあふれていたらしい。

「そうなんですね。最近そうでもないですけど、やっぱり景気が悪くなってるんですかね。店長は何て言ってるんですか?」
「さぁ、わからないけど…」

 高羽が来てからお客さんが減った。そう店長が他の人に話しているのを聞いたことがある。理由はわからない。接客態度が悪いのか、顔面が気持ち悪いのか、声が良くないのか、気が利かないのか、思い当たることはたくさんある。けれど、他の人間に責任が全く無く、高羽が全て悪いわけではない。他の人達だってミスはする。先週の土曜日だって、女の子が客に怒られていたし、新人の頃なんてミスをして当たり前だ。それなのに何故、一人だけが悪いみたいな言い方をされなければいけないのか、悔しくてしょうがない。

「ちょっと、ぼさっと立ってないで、テーブルのバッシングしてくださいよ」

 そう言われて、慌ててテーブルへと向かう。後ろからは重たいため息が聞こえたけれど、聞こえないふりをしてダスターを思い切り握り締めてテーブルを拭いた。 

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 久しぶりに大学に行くと、沖田がいた。四年生になったいうのに、金髪でピアスをして下品に笑っている。その周りにいるのは今村という見るからにモデルを目指しているらしい女と田中という冴えない眼鏡をかけた男だ。

「あ、陽じゃん。久しぶり。最近大学来てなくてさぁ。皆と会えなくて寂しいよ。卒業まで仲良くしような。就活おつかれさん」

 スーツを高羽を見て沖田は笑った。その後ろで今村と田中も笑っている。

「久しぶり。沖田君は就活やらないの?」
「え、俺はもう終わったよ。内定貰った」

 なんとなく申し訳なさそうに眉を落としてそう言った。沖田の後ろの二人に視線を送ると、二人とも内定は既に貰っているようで、何とも言えない表情をしている。
 見渡してみれば、スーツを着ているのは高羽だけだ。四年生と思われる人達は皆私服で晴れやかな表情をしている。

「そうなんだ。よかったね。じゃあね」

 高羽はそのままとんぼ返りして自宅に戻った。その日、予定されていた会社の面接に欠席の連絡を入れ、youtubeを開いた。いつものように女の子に罵詈雑言を書き込む。数時間後、返信が来ているのが見えた。それを開く勇気もなく、布団をかぶり、ご飯を食べることもなくそのまま寝ることにした。

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 ドアをノックして、礼儀をする。椅子の横まで歩き、面接官に「座ってください」と言われ、座り、膝の上で握りこぶしを作る。この動作を何回もしてきた。高羽は内心うんざりして、作り笑いをする面接官の男二人を見据えた。

「では、志望動機と自己PRをお願いします」

 この言葉も何回も聞いた。面接官の二人も何回も言っているだろう。右側に座っている男は少しだけめんどくさそうな顔をしている。
 志望動機なんてない。なんとなく目に付いて、なんとなく良さそうだったからという理由だけだ。それ以外は何もない。PRすることもない。大学生活でやってきたことと言えば授業くらいだ。それも、身に付いているのかついていないのかわからない。資格も取っていない。進んで勉強したものもない。ただただ授業を受けて帰るというロボットでもできるような行動しかしなかった。

「私は以前からこの業界に興味を持っていたのですが、その中でお御社の取り組みに感銘を受けまして…」

 前日に考えた適当な言葉をつらつらと言葉に出す。思ってもいないことを話すのは何も苦ではない。人と話す時はいつもこんな感じだ。沖田に会った時も「よかったね」なんて言ったけど、本当はそんなこと思っていなかった。

「続いて自己PRですが…」

 そう続けようとしたとき、右にいた面接官の男があからさまに不機嫌な顔をした。眉間に皺を寄せ、ため息をつき、背筋を伸ばして座っていたのに、背もたれにもたれかかるように座り直した。それを見て、一瞬だけ言葉が詰まる。思ってもいないことを話しているのがバレたのだろうか。それとも、もともとこういう人間なのだろか。
 
「わ、私、は、勉強を頑張ってきまして…」

 どんどんと言葉が詰まっていく。今、自分は何について話しているのか、これから何を話そうとしているのか、頭の中が真っ白になって何も考えることができない。
 左にいる面接官の男の顔も次第に曇ってきた。もう駄目だ。この面接は終わりだ。帰りたい。今すぐに。

「もっと具体的に話せますか?勉強頑張ってきたのはすごいと思いますけど、具体的なエピソードとか資格取ったとかそういう話しをお願いします」

 右の面接官の男が嫌な顔をして笑う。その言葉を聞いた瞬間、吐き気がして、高羽は体調不良を理由に帰宅した。
 夜、何も食べないでネットを見ていると、あの女性がライブ配信していることに気が付いた。ライブ配信だからか、いつもと雰囲気が違い、表情も言葉も砕けている。思ったよりもしっかりした話し方で、時折見せる愛嬌を見ると、男にモテるのだろうというのが簡単にわかる。顔も良いし、自己肯定感と自尊心が高そうだ。

『お前、生で見るとブサイクだな』

 そう書き込む。視聴者は何百人といるけれど、コメントを書いている人間は数十人だったようで、高羽のコメントはしっかりと反映された。女性はそれをしっかり呼んだのか一瞬真顔になってまた話し始めた。
 この女性は既にプロとしてデビューをしているようで、近いうちにライブをするという事だった。その宣伝も兼ねて配信をしているらしい。ファンの人のコメントを見ていると、性格の良い子なのか、荒らすようなコメントほとんどなく、皆この女性を好きで見ているというのがわかるほどだ。

『どうせ顔ファンだけだろ。歌下手なくせに』

 女性はまたしても真顔になり、一瞬言葉を詰まらせた。コメント上では高羽のコメントに対しての批判が嵐のように書き殴られている。どうせ、この女性の顔につられてやってきた冴えないリアルな社会では友達すらいないような人間だろう。気にすることはない。

『落ち着いてください。気にしないでください。私は気にしてないです。あと、この人に言いたいんですけど、いつまでもこういう事書いていると誹謗中傷で訴えます。忠告はしました。それでは』

 そう言い残して女性は配信を終わらせた。暗くなった画面に自分の顔が映っている。目に光の無い醜い顔だ。まるで指名手配犯のような、今にも誰かに刃を向けそうなそんな顔をしている。
 パソコンを閉じ、外に出た。家にいたら頭がおかしくなってしまいそうだ。こういう時は少し遠くに行って気分転換でもするべきだ。そうだ。ライブハウスにでも行こう。あの女性のおかげで音楽が聴きたい気分だ。
 電車に乗り、ライブハウスを調べると近くに何件かあった。そのうちの二つは今日の夜にライブをやっているらしい。時間はあと一時間後。ちょうどいい時間だ。今日はそこで気分転換でもしよう。
 考えてみれば、最近は良い事が何もなかった。学校に行けば沖田とその周りにイライラさせられ、アルバイトをしても溜息を吐かれ、就活も全く進歩がない。心の中にはどんよりと澱み、その負のエネルギーがまた不幸を呼び寄せる。その連鎖が生まれてしまっているに違いない。 
 ライブハウスに着き、お金を払って会場に入ると、中にはちらほらと人がいた。若い人が多く、音楽が好きそうなちょっとお洒落な人が多い。ラフなアウターを着て来てしまった高羽は居心地悪そうに隅っこに立ち、ライブが始まるのを待った。

「今日の成田ちゃんのライブ楽しみ」

 後ろからそんな声が聞こえた。聞き覚えのあるその声に一瞬、心臓がきゅっと縮み上がる。先程まで聞いていた声にそっくりなのだ。喋り方も声の高さも言葉選びも何もかも同じだ。
 ゆっくりとその声の方を確認すると、やはりそこにはあの女性がいた。彼氏らしき、ちょっとやんちゃそうな男も傍にいる。

「一緒に歌えばいいじゃん。歌手なんだからさ」
「駄目だよ。これは成田ちゃんのライブなんだから。皆は成田ちゃんのファンで成田ちゃんの歌を聴きに来てるんだから。私がいきなり飛び入り参加とか意味わからないから」
「まあ、そうか。皆ファンだもんな。飛び入り参加とかしたら炎上しちゃうよな」
「そう言えばさぁ、最近、コメント欄とかライブ配信で嫌な人いるんだよね」

 心臓がぎゅっと縮み上がる。大丈夫だ。こちらの顔は明かしていないのだからバレるなんてことはない。堂々としていればいい。

「ああいう人ってさ、絶対に私生活で満たされてないんだよね。友達も恋人もいないだろうし、何歳かわからないけど、仕事も勉強も何もかも順調に行ってないんじゃないのかなって思う。可哀想だよね」
「そういう人は多いよね。ネットの世界は」
「多いよね。そのエネルギーを勉強なり仕事なりに使えばいいのにっていつも思う。そうすればもっと良い人生送れるのに」
「その人に言ってあげれば?今度書き込んできたら」
「嫌だよ。調子に乗っちゃうじゃん。無視が一番。それに今度誹謗中傷してきたら訴えるって言っちゃったから」
「まあ、それが一番だよね。あ、そろそろ始まる」

 ステージ上に若い女の子がギターを持ってやってきた。小さくお辞儀をすると、力強い声で歌い出す。力の入った目と声は何かを望んでいるようでそれが手に入らない苛立ちと焦りを歌に乗せて響かせていた。高羽の目からは何の感情なのかわからない涙がずっと溢れていた。


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