見出し画像

【短編】Halloween bumps

 自分の長所は何事にも全力で取り組み、必ず結果を出せる所です。
 面接でそう宣言してから八年が経った。白髪がちらほらと見えるようになり、若者に人気の芸人やアーティストなどの良さがわからなくなった三十歳。同期や後輩がどんどん出世していく中で、僕だけがいまだに平社員のままだ。いつしか、皆が僕の足元を見て、悪口を言ったり雑用を押し付けてくるようになった。しかし、そんな事もどうでもいい。お金さえもらえればなんだっていいんだ。面倒な責任など負いたくない。
 上司はこんな僕を見て「採用したのは間違いだったな」と呟く。面接であんなことを豪語したくせに、実際は真逆の事をしているのだから当然と言えば当然。それでも「自分の見る目の無さを後悔するがいい」と開き直って今日も誰でもできるような電話対応と予約管理を淡々とこなしていくだけだ。

「すみません。これ、やってもらっていいですか?」

 何も変わらないパソコン画面から顔を上げると、一昨年入社した女性がこちらを見ていた。手に持っているのは分厚い資料の束と穴あけパンチとファイル。

「私、ちょっと用があるんで。お願いします」

 僕の返事を待たず、彼女はそれらをデスクに強引に置いて去って行った。遠くからは笑い声が聞こえたような気がした。
 あの子はもう入社して二年目になる。僕に雑用を押し付けるくらいの余裕ができたのだろう。皆、最初は仕事を覚えるのに一生懸命で僕のことなんて見ていない。しかし、一年が経ち、二年目になってくると、余裕ができるのか、大抵の社員は僕に雑用を押し付けてくるようになるのだ。あの子のように強引に押し付けてくる若手写真は珍しいわけではない。

「恥ずかしいと思わないんですか?先輩なんですよね?」

 資料の束に手を出そうとしたその時、またしても隣から女性の声がした。顔を上げると立っていたのは高木だった。

「暇だからね」
「関係ないですよね。そんな性格だから舐められるんですよ。見ていてイライラします」

 見なきゃいいじゃん。

 高木は入社して三年ほどしか経っていないけれど、きびきびとした動きと口調で全社員から信頼を寄せられている。当ホテルの出世頭であり、いつかは支配人のポジションになる事が間違いないと噂されている人物だ。すらっとした長身でキリッとした目元は女性社員から羨望の眼差しを向けられているように見えるが、その強気な性格から、陰では「女帝」なんて呼ばれている。しかし、彼女はそんな事はお構いなしのようである。
 僕は高木があまり好きではない。常に眉毛を八の字にして、眉間に皺を作り、苛立っているように見える。語気も強く、怒られているように感じるのは僕だけではないはずだ。だから、なるべく視界に入らないように動いているのに、何故か、周りをよく見ている高木はいつも僕を見つけてはこうして口を出してくる。

「井坂さん見てるとほんとイライラする。あなたがそんなだから私が怖い人みたいに思われるんですよ」
「怖い人でしょ。実際」
「は?私は怖い人ではありません。普段はこんなにカリカリしないです。イライラもしないです。でもあなたがそんなだからイライラするんです。あなたのせいなんです。本当にしっかりしてください」
「はいはい」

 高木はデスクに置かれている資料がひらひらと動くくらいの溜息を吐き、どこかへ消えた。彼女が去った後は台風一過の如く穏やかな空気が広がる。慣れてだらけていた新人社員も居住まいを正し、カリカリしていた上司たちは彼女の態度に吸い取られたのか、平静を取り戻す。まさに大型台風のような彼女はすべての暗雲を一緒に持って行ってくれるのだ。そう考えると、彼女の苛立ちは意味があるように思える。ありがとう高木。そのまま熱帯低気圧になってくれたらいいのに。

 いつも通りに仕事が終わり、コンビニで美味しくもないお弁当とスープを買って帰宅した。無駄に大きなテーブルに商品を置いて、すぐにパソコンを開く。暗証番号を入れると、スクリーンには大好きなアニメのキャラが映し出された。

「ヨルさんただいま~」

 返事をしない画面に向かって挨拶をするのが日課になって五年ほど経つ。昔はアニメなど陰気でオタク気質な気持ち悪い男が趣味にするものだと毛嫌いしていたが、なんとなく見てみれば、海外の人間に受け入れられるのがわかるほどアニメーションやストーリー、声優の演技などのクオリティが高さを実感できた。そこからはまりにはまって、今ではコスプレをしてイベントに参加するまでになっている。
 コスプレは楽しい。凝った衣装を作って行けば、僕みたいな人間でも賞賛される。会場で歩いていけば、カメラを持った人から撮影を頼まれることもしばしばある。ちょっとした有名人のような感覚を味わえるのだ。しかも、コスプレは違う人になりきるため、普段の自分とは全くの別人になれるのだ。会社の人間から足元を見られ、怒られ、苦言を呈される自分とは一切関係のない人間になれる。それが何より嬉しい。

 お、連絡が来てる。

 温め直したお弁当を食べながら、携帯でSNSを開くと、連絡が来ていた。少し前に知り合ったアプリコットという名前の人からだった。

 ーそのコスプレすごく似合っています!

 アプリコットさんはSNSを通じて知り合った女性だった。僕がコスプレをした写真を定期的に載せていた所、彼女からコメントが来るようになった。プロフィール欄を覗いてみると、どうやら若い女の子らしく、彼女もコスプレをした自撮りを載せていた。そこから僕と彼女のやり取りは始まるようになった。ただSNS上でお互いを褒め合う事しかしないけれど、それが、何よりも嬉しい。今では彼女のコメントが来るか来ないかいつもドキドキしながらコスプレ写真を載せるようになっている。

 ーそう言えば、今月末にハロウィンのコスプレパーティあるんですけど、行きますか?会って話してみたいです。

 そう打ち込んで返信してから、少し後悔した。いきなりこんな連絡をして嫌われないだろうか。ブロックされないだろうか。びくびくしながら返信を待っていたけれど、結局その日のうちに返信が来ることはなかった。


 翌日、なんとなく気が逸って早く出社した。特にやることはないけれど、なんとなく、本当になんとなく早く出社しなければ気が済まなかった。
 駐車場にいつもあるたくさんの車がない。建物に足を踏み入れても人の気配がしない。話し声も足音もしない。誰もいないホテルは時が止まっているみたいだった。

「おはようございます。早いですね。どうしたんですか?」

 少し浮かれた気分でオフィスのドアを開けると、高木がいた。何をしているのか、朝から忙しそうに動いている。

「あ、なんとなく来ただけです。特に何もありません」
「そうですか」

 心なしか、いつもより口調が穏やかである。何かあったのだろうか。恋人ができたとか、楽しい予定が決まったとか、誰かに褒められたとかそんな所だろうか。
 高木は信じられないことに鼻歌を歌い始めた。いつもは眉間に皺を寄せ、厳しい強い口調で話すから、鼻歌なんて聞いたこともない。普段の高木と違い過ぎて怖くなってくる。
 まさか、今、僕が見ている人間は高木ではないのだろうか。もしかしたら似た違う誰かなのかもしれない。そうだ。そうに違いない。高木が鼻歌なんて歌うわけが無いんだ。

「高木さん。ですよね」
「は?何言ってるんですか?意味わかんないんですけど」

 よかった。高木だ。高木はこうでなくては。

 携帯を見ると、一時間程前にアプリコットさんから連絡が届いていた。「私も会いたいです」と短い簡潔なメッセージが目に付いた。僕は思わず鼻歌を歌って、席に着いた。高木はそんな僕を不思議そうな顔でちらりと見ていた。

--------------------------------------------------------------------------------------

  イライラする。なんかずっとイライラする。誰かに悪口を言われた訳でもない。仕事は順調で上司や後輩からの信頼も厚いし、女帝なんて言われているけれど、そのうち支配人になるだろうと言われているほどに、この歳にしては上手くいっている方だと思う。
  私生活も特に問題は無い。恋人はいない。仕事が終わって家に帰れば、疲れてご飯もろくに作らずにコンビニ弁当ばかり。そんな生活だけれど、休日はしっかり休めているし、買い物に行ったり、美味しいご飯を食べたりして、1人でもそれなりに楽しめているはずだ。

「すみません。これ、やってもらっていいですか?」      

  井坂君がまだ新人社員の古賀さんに雑用を押し付けられている。彼は迷惑がるわけでも、怒るわけでもなく、何を考えてるのか分からない顔で「はい」と短く返事をしていた。古賀さんはそんな井坂君に感謝する訳でもなく、足早に去って行った。
  皆、井坂君を見下している。年齢も勤務年数も井坂君の方が先輩なのに、彼に能力がないからか、上司からバカにされているからか、後輩である皆も彼をバカにして笑っている。
 
「恥ずかしいと思わないんですか?先輩なんですよね?」
「暇だからね」
「関係ないですよね。性格だから舐められるんですよ。見ていてイライラします」

 あぁ、イライラする。仕事でミスをするわけでもなければ、能力が低いわけでもない。ただ、何も言わない、否定しない、怒らないというだけでこんなにバカにされているというのに、何故、この男はこんなにも平気なんだろう。私だったら「そんなの自分でやりなよ」と拒否して終わりにするのに。
 
「ねぇ。ああいうの良くないよ。なんで人に雑用押し付けるの?自分でやればいいじゃん」

 何食わぬ顔でパソコンと向き合っている古賀さんに思わず尋ねた。彼女は私が話しかけると、目をこれでもかというほど大きく見開いて、ぐりんとこちらを振り向いた。行為を咎められたという羞恥の感情ではなく、私に話しかけられたという恐怖心の方が勝っているような顔をしている。

「すみません。なんか手があいていたようなので、やってもらってもいいかなって」
「駄目だよ。あなたが任された仕事でしょ?自分で責任持ってやらないと。今度からちゃんとやってよね」
「はい。すみません」

 これでまた女帝なんて言われるのだろうか。考えてみれば、私はまだ入社三年目で、彼女は二年目。一年しか違わないただの先輩だ。ベテランでもなければ、上司でもない。ちゃんとやってよ。なんて言う資格なんてない。古賀さんはしっかりとやっている。やっていないのは井坂君の方ではないか。
 ちらりと井坂君を見るとのろのろと資料をファイリングしている。穴あけパンチで穴を開けてファイルに閉じるという数分で終わりそうな作業を何十分かけてやるつもりなのだろう。
 彼を見てまたイライラしてきた頃、やっとお昼休みのチャイムが鳴った。このイライラを鎮めるためには一人になるしかない。そう思って、早足でトイレに行き、何をするわけでもないけれど、個室で目を閉じた。

「まじでさぁ。あの人、意味わかんないよね。何様なんだよって思う。いつもいつも人のやることに口出してさぁ」
「ああいう性格なんでしょ。我慢するしかなくない?」
「でも、あの人が将来上司になるかもしれないんだよ?そうしたらもっと酷くなると思うんだけど」
「わかんないじゃん。仕事ができるから本部の方に異動するかもしれないよ」
「マジでそうなってくれないかな。近所のお寺にでも願っておこう」

 胸の奥がずきんと痛む。なにもかも井坂君のせいだ。

 
 仕事終わり、近くの弁当屋さんで温かい野菜たっぷりの弁当を買った。家にある炊飯器は平日はほとんど使うことが無く、冷蔵庫もミネラルウォーターと栄養ドリンクとお酒しかない。こんな生活をしていたら不健康になっていくはわかっているけれど、どうしてもこの生活から抜け出せず、もう三年近く経っている。
 
 はぁ。今日もエルザはかっこよくて美しいなぁ。

 待ち受けのアニメキャラクターを見て独りごちる。学生時代、友達の影響で好きになったアニメは今でも心の支えだ。特に強い女性キャラクターは自分と重ねて、感情移入してしまう。彼女たちが笑えば笑い、泣けば泣いてしまう。外では決して見せることはできないけれど、それくらいアニメにどっぷりと浸かっている毎日である。
 そのアニメ好きが高じて、最近ではコスプレにも手を出してしまった。大きなイベントから小さなイベントまで足しげく通い、美人なコスプレイヤーや完成度の高いコスプレの写真を撮ってはにやけている。そして、たまに自分もコスプレなんかしてSNSに写真を載せることも多くなっている。出費が激しいのはわかっているけれど、人に見られることや高評価されることが嬉しくて、ついついお金を出してしまう。だからこそ、仕事でもっと評価されて給料をあげようとするモチベーションに繋がるわけだ。コスプレは私のすべてを良く回してくれているはずなのだ。

 あ、この人、新しいコスプレ載せてる。かっこいいなぁ。

 画面に映っているのは少し前に知り合ったコスプレ仲間の幸太郎さんだった。背があまり高くはないようで、身長の低いキャラクターのコスプレをすることが多い。なんとなくコメントをしたら、待ってましたとばかりに一分も経たないうちに「ありがとうございます」と返信が来て、それが面白くてフォローしてコメントを残すようになった。そこからやり取りを始めて、今では会ったこともない彼とのやり取りをするためにコスプレの写真を載せていると言っても過言ではないくらいだ。
 彼は、今回はエドワード・エルリックのコスプレをしている。三つ編みの金髪に赤い服の再現度が高い。機械でできた右手で合掌をしているのも好きだった。

 ーいいコスプレですね。背の低さも相まって完成度高いです。
 ー誰が豆粒ドチビかっ!

 返信を見て思わず笑い、すっかり冷めたお弁当を口に入れる。ぼそぼそした白身フライが喉に引っかかり、ミネラルウォーターで流し込んだ。今日も幸太郎さんは楽しい。
 それから数回やり取りをしていると、彼からハロウィンパーティのお誘いを受けた。渋谷を練り歩くような品性も知性も無さそうな人達と一緒になるイベントなど断固拒否だとすぐさま返信したが、彼が言うには、そのイベントは、小さなバーでドリンクを飲みながらコスプレ好きな人が集まり、語り合うような静かなものだという事だった。
 お風呂に入りながら、ゆっくりと考えた。もし、幸太郎さんに会ったとしても嫌われてしまうのではないだろうか。私は、自分でもわかるほど口調が強い。人に好かれるような女性ではない。特に男性は私のような気が強くて口調の強い女性など毛嫌いするはずだ。幸太郎さんだってきっと私と会ったら嫌いになるのではないか。そうなったら、せっかく築き上げた関係性が崩れるのではないか。
 しかし、そんなことを考えていては何も進まないではないか。こんなことを考えているからいつまで経っても恋人も親友すらもできないのではないか。そろそろプライドを捨てよう。私は普段は気を強く持っているけれど、悪口を言われたら傷付くし、嬉しい事を言われたら喜ぶ普通の一般的な女性ではないか。深く考えることなんてない。会いたいと思ったら会えばいいんだ。

 ーパーティあるんですね。私も行きたいです。

 お湯はすっかり温くなり、時刻は一時を過ぎていた。幸太郎さんは寝ているのだろうか。そこから返信は無く、私はもやもやした気持ちを抱えながらベッドへともぐりこんだ。


 翌朝、いつものように一番に出社して一日の準備をしていると、井坂君が珍しく早く出社してきた。心なしか機嫌が良さそうで不気味に口角をあげている。

「おはようございます。早いですね。どうしたんですか?」

 私がそう声をかけると、井坂君は古賀さんと同じような反応をして、私を見た。

「あ、なんとなく来ただけです。特に何もありません」
「そうですか」

 素っ気ない返事に普段ならイライラするところだけど、今日の私は違う。幸太郎さんに会えると思うだけで、井坂君の行動も発言も全てどうでもいい。
 気が付くと鼻歌を歌っていた。最近はやりのアニメの主題歌だ。有名アーティストが歌っているこの歌は海外でも人気で、ランキングで一位を取ったなどとニュースになっていた気がする。

「高木さん。ですよね」
「は?何言ってるんですか?意味わかんないんですけど」

 やはりイライラする。何だこいつ。先輩だから何も言いたくないけど、何だこいつ。
 それから、信じられないことに、井坂君も鼻歌を歌い始めた。私の真似をしているのだろうか。それだとしても、こんな上機嫌な井坂君を見たことが無い。いつも死んだ魚みたいに生気のない目で動きがとろいのに、今日は一体どうしたのだろう。
 不気味な井坂君になるべく近づかないように準備を終わらせ、一息ついてSNSを見ると、幸太郎さんから連絡が届いていた。「ぜひ、会いましょう」という簡潔で素直な文章だった。思わず笑みがこぼれる。それから、井坂君に見られていたかと心配して彼の方を見ると、井坂君も携帯を見ながらニヤニヤしていた。気色が悪い。

--------------------------------------------------------------------------------------

 日が沈み、風が冷たくなり始めた頃、会場へと向かった。ハロウィンだからか、電車はいつもより混雑しているように感じる。仮装をしている人こそいないが、僕と同じ大き目なバッグを持っている人はその中に衣装でも入れてあるのだろうか。心の中で「楽しみましょう」と呟いて、イベント会場となるバーがある最寄り駅を降りた。
 ハロウィンだからどこも混むだろうと、時間に余裕を持って動いたのはいいものの、まだ夕方の五時だ。開場まで三時間ほどある。仮装している人はほとんどおらず、駅から出た街は普通の日常と変わらない。皆、何をしているのか、どこに向かっているのか、わからないが、とにかく早歩きで歩いている。
 目についた紀伊国屋書店に立ち寄ることにした。確かここは椅子があって休憩できるスペースがあったはずだ。そこで時間でも潰そう。
 二階のライトノベルや漫画のコーナーで新しい発見に期待して歩き回っていると、見たことのある、女性が近くを通りかかった。短めの髪、綺麗な姿勢、パリッとした無地のシャツにチノパンというラフな服装。それは紛うことなき、女帝、高木だった。
 
 漫画とかアニメなんか見るのか?

 いや、そんなことはどうでもいい。せっかくの癒しスペースに台風がやってきたことが問題なのだ。ハリケーン高木は僕に会ったらその勢力を増し、色んなものを巻き込んで大荒れするに違いない。
 高木が言った方向と逆方向に歩き、椅子に座る。あとは天命を待つのみ。三時間ほどという長い時間だけれど、なんとか耐えるしかないのだ。
 携帯を見て今日のイメトレをしたり、本を読んだりすること二時間弱。気が付けば、パーティの開催まで一時間を切っている。着替える準備などを考えると、そろそろ会場に入った方がいいだろう。
 書店を出ると、コスプレしている人がちらほらと増えていた。長袖を着ていたも少し肌寒い空気なのに、女の子たちは思いっきり肌を出し、写真を撮り合っている。遠くの方では甲高い声で笑う女性の声もする。本格的にハロウィンの始まりを実感すると、何故か緊張している自分に気が付いた。アプリコットさんももうこの町にいるのだろうか。実際の彼女はどんな性格でどんな風に喋り、どんなコスプレをするのだろう。
 足早に会場まで歩いた。たどり着いた会場はいかにも隠れ家のようなバーで重たい木のドアを開けると、中は階段が続いており、その先にチャイナ福のコスプレをした若い女の子の受付が待っていた。

「あ、予約してた井坂です」

 そう伝えると、女の子は名簿と照らし合わせ「こちらで費用を払っていただいて、チケットと交換になります」と笑顔で答えた。僕は慌てて財布を開け、お金を払い、入場した。
 入場してすぐに、専用の更衣室が右手に見えた。ここで着替えをしてくれとのことだろう。左手には女性専用の更衣室がずらっと並んでいる。バーなのに用意が良い事に驚くばかりだ。
 今回、僕が用意したコスプレは「ゴールデンカムイ」の登場人物だ。体格は全然違うけれど、衣装にお金をかけることもなく、顔に傷を作るだけでそこそこ似ることができる。あとは、このお手製の銃剣があれば完璧だろう。
 衣装を着て、銃剣をかまえ、鏡を見る。今回もなかなかの出来栄えだ。これなら恥ずかしがらずに済むだろう。
 カーテンを開け、いざ、入場すると、バーの中は薄暗く、いい雰囲気が漂っていた。すでにドリンクを飲んでいる人はゾンビやメイド、ナース、アニメのキャラクターなど思い思いのコスプレをして楽しく会話している。

「あ、やばい!やられる!逃げろー!」

 ゾンビのコスプレをした何人かは僕が銃剣を持っていることに気が付くと、ふざけて逃げ出すふりをした。そんな人たちにふざけて銃剣を向け「俺は不死身の杉元だ」などと言って見せた。
 そうやって笑っていると、入り口辺りがざわつき始めた。振り向くと、有名なアニメキャラクターである、ヨル・フォージャーのコスプレをした女性が恥ずかしそうに立っていた。直感でわかった。この人がアプリコットさんだ。

「すみません。アプリコットさんですか?」

 僕がそう聞くと、アプリコットさんはとても驚いた様子で僕を見た。そして、少し苛立ったような顔を見せ、すぐに「はい。幸太郎さんですよね。あぁ、だから幸太郎なんですね」と笑って言った。

「すごく似合ってますよ。スタイルも良くて、目も大きくて、黒くて長い髪もぴったりです。写真撮りたいくらいです」
「ありがとうございます。そちらもすごく似合っていて…なんというか、そのまんまというか」
「そうですか?でも、普段はこんなじゃないんですよ。あまりさえないというか、うだつの上がらない日々を過ごしています。だからコスプレをして楽しむことが生きがいなんですよ。それで、このキャラクターなんですけど、ゴールデンカムイって言う作品のキャラクターで、知ってます?すごく強いんですよ。もう憧れがあって、だから今回はこのコスプレにしました」
「そうなんですか。私もこのキャラクターには愛着があるんですよ。ヨルさんって不器用じゃないですか。私も人との接し方が凄く不器用なので、なんか共感できるというか、だからこのコスプレにしました」
「そうですかー。すごく似合ってます。綺麗ですよ。今日会えてよかったなぁ」
「幸太郎さん、うだつが上がらないって言ってましたけど、会社でもそんな感じで話してたらもっといいんじゃないんですか?馬鹿にされずに済みますよ」
「ちょっとやめてくださいよ。仕事の話をするために来たんじゃないんですからー。後輩の怖い女の子みたいで嫌ですよー。楽しい話しをしましょう」
「は?」
「え?」
「いや、なんでもないです。そうですよね。楽しい話しの方がいいですよね。幸太郎さんは最近の好きなアニメとかあるんですか?」
「僕は最近は転生系ですよね。はまってますねー」

 数時間、そんな楽しい会話をした。アプリコットさんは時折、こちらを睨んだり怒ったりしたけれど、それもヨルさんらしくて綺麗だった。僕もついつい話が進み、ドリンクを何杯もおかわりした。ゾンビやメイドのコスプレをした人達とも話し、気が付けば日付を跨いでいた。

「じゃあ、そろそろお開きにしましょう」

 主催者の男性がそう言った所で、一気に皆が解散ムードへと変わった。

「アプリコットさん今日はありがとうございました。本当に楽しかったです。またいつか会いましょうね」
「こちらこそありがとうございました。楽しかったです。またいつかというか、すぐに会うと思いますが、これからもよろしくお願いします」

 着替えて外に出ると、風は冷たく、火照った体には心地良くて、アプリコットさんと話し、興奮した体を落ち着かせてくれるようだった。

--------------------------------------------------------------------------------------

 ー先日はありがとうございました。楽しかったです。

 週明けの月曜日、アプリコットさんから連絡が届いていた。思い出しただけでもにやけてしまうほど楽しい一日だった。もし、あんな気が合う美人な彼女がいたならどんなに幸せだろう。そう考えると、今日も思わずだらしない顔になってしまう。

「おはようございます。今日も早いんですね」

 出社すると、いつものように高木が忙しそうに動いていた。何をしているのかわからないが、始業までゆっくりしていればいいものの、忙しない女性だ。そんな事を想いながらちらりと彼女の方を見ると、目が合った。

「なんですか?何かありました?」
「いえ、別に。何も」
「は?何それ。意味わからないんですけど。悪かったですね。後輩の怖い女の子で」

 そう言って高木はいつものように眉間に皺を作り、勢力を増しながら動いていた。早く温帯低気圧になってくれ。そう願いながら、アプリコットさんに「こちらこそありがとうございました。またどこかで会いましょう」と返信した。それから顔を上げると、高木がこちらを見て笑っていた。その顔は先日見たヨルさんに似て、とても美しかった。

 

 

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?