見出し画像

【短編小説】レンタル


 午後八時。竹内は誰もいない会議室にいた。普段は全く気にならない空調の音がやけにうるさく感じる。少し動いた時のスーツの擦れる音や鼻息までも気になってしまうくらい静寂だ。

「失礼します」

 後藤がドアをノックして入ってきた。表情には全く覇気がなく、目は翳り、頬はくぼんでいるように見えた。まだ二十一歳と若く、活力のある年頃だというのに、こんな表情をされたら余計に苛立ちを覚えてしまう。竹内は軽く舌打ちをして、椅子の横に無言で突っ立っている後藤に「座ってください」と平静を装って声をかけた。

「なんで呼んだかわかってますか?」
「私がミスをしたからです」
「うん。そう。その通り。それで、何のミスだかわかってます?後藤さん今日だけで色々とミスをしているはずなんだけど」
「えー…コーヒーをこぼしたまま席を立ったことでしょうか…それとも、大事な資料を忘れた事でしょうか…それとも、会長の顔を覚えておらず挨拶を無視したことでしょうか…それとも…」
「多すぎじゃねーかな」
「すみません…」
「すみませんじゃないでしょ。そのほかにもありますよ。お客さんにため口を聞いて怒られる。ゴミの片づけを中途半端に終わらせて帰る。仕事が遅くて他の社員に手伝ってもらってお礼も言わない。何これ」
「すみません…」
「本当にわかってます?さっきからこっちの目も見ないけど、本当に反省してるんですか?もう一週間近く同じこと繰り返してる気がしてるんですけどね。わざとやっているようにしか見えないんですよ」
「わざとじゃないです」
「じゃあ、なんで直らないのかな。どうして?」
「気を付けているんですけど…」
「気を付けているとかじゃなくてさ。気を付けてないから直らないんでしょ。なめてんの?」
「すみません…え…なめてないです…」

 後藤の目から涙が溢れる。それを見て竹内は得も言われぬ幸福感を覚え、鼻息を荒くした。こうやって人を説教するのは楽しい。特に後藤のような今まで大した苦労も経験もしてきていないような若い女を上の立場から頭ごなしに説教することは、何も楽しみがない中年でバツイチの竹内にとっては唯一の楽しみとも言えた。
 後藤は竹内にとっては良い子だった。地味な顔で声が小さく大人しい。背も大きくなく動きも基本ゆっくりで、虐めてくださいと言っているようなものだ。この子なら何を言っても反論してこないだろうと竹内は彼女を説教のターゲットに決めたのだった。それからというもの、時折、こうして呼び出し、説教をすることが竹内の楽しみとなった。後藤がどう思っているか知らないが、何も言い返してこないのだ。ストレスが溜まっていようが、悲しんでいようが知ったことではない。

「今日も後藤さんのせいで帰りが遅くなっちゃうよ。明日も大事な会議だから早く帰って寝たいのにさ」
「すみません…これからはちゃんとします」
「あのさぁ、さっきからそれしか言ってないじゃん。本当に反省してるの?声も小さいし。内心では俺の事キモイとかうるさいとか思ってるんでしょ」
「そんなことないです。本当に反省しています」
「だったらもうちょっとはきはきと大声で話してもらっていいですか?もうミスをしませんって」
「もうミスをしません!すみませんでした!」

 ピピピピピピピピ…

「はい、お疲れさまです。それではレンタル部下。説教コース、基本料と指名料、合わせて一万円になります」
「ありがとうございました」
「延長もできますが、どうされますか?」
「いえ、大丈夫です。あの…ちょっと、ご相談なんですけど、この後、お茶とか行きませんか?プライベートで」
「すみません。そういうのは困ります。私は仕事で来ているだけですので」「そうですよね。すみません。変なこと言って」
「いえ、それではまたのご利用お待ちしております。本日はありがとうございました」
「ありがとうございました」

 後藤が足早に去って行った。その後、竹内は一人でデスクの上に置いてあったタイマーをバッグの中に入れ、電気を消し、会議室を出た。入口付近には後藤の香水の匂いがふんわりと漂っていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 休日の夜のコンビニは凄まじいほどに混む。近くに大学があるからか、頭の弱そうな男女がひっきりなしにやってきて、大量のお酒やおつまみのお菓子を買っていく。竹内は今日もそんなお客さんの相手を心を無にしてやっていた。

「釣りはいらねえ」

 流行っているのか、同じ髪型をした三人の男の子達が大量にお酒をレジに持ってきて、そのうちの目がやたらと細い、少し肌荒れの目立つ男の子がそう言った。後ろにいる二人はそれを聞いてゲラゲラと笑っている。

「すみません。そういうことはできないんですよ。お釣りがいらないならそちらの募金箱にお願いします」 
「募金?これって何の募金?」
「災害義援金です」

 箱に書いてあるだろう。聞く前に読んでくれよ。そんな言葉をぐっと飲み込んで、苛立ちを悟らせないように表情を保つ。缶のお酒は持つたびに冷たく自分の心も冷えていきそうだ。

「義援金かー。なるほどー」  
「最近災害ってあったっけ」
「俺が彼女に振られた」
「知らねーよ」

 お酒を袋に入れ、差し出すと、目の細い男が手に取った。女の子のような綺麗な細い指だ。爪は灰色に塗られていた。

「重すぎんだけど。助けてくれよ」

 慌てて駆け寄った二人が何本か袋から取り出す。「どこが重いんだよ」「筋トレしろよ」などと騒ぎながら、男の子達は夜の中へ消えていった。
 このバイトをして二年が経つ。四十代半ばにしてコンビニバイトとは恥ずかしい限りだが、生きていくためにはお金がいるのだから文句は言っていられない。二年前に会社を辞め、妻が出ていき、何もなくなった時から泥を啜ってでもしぶとく生きてやろうと決めたのだ。だから、うるさい子供達がわけわからないことを言っていたとしても、そんなことで困惑していてはいけないのだ。

「いらっしゃっせー」

 もう一人の従業員が挨拶をした。慌てて竹内もそちらを見て挨拶をすると、若い大学生ほどの女性が二人携帯をいじりながら入店していた。一人は茶髪で痩せた手足が不健康そうに見えた。若い世代特有の痩せていれば美しいという考えがあるのだろうが、はっきり言って何も魅力的ではない。やけに白い肌も日光を嫌う吸血鬼みたいだ。それとは反対にもう一人の女の子はいくらか健康的な体型で、肌も不自然に白くはない。こっちの方が好かれるだろうに。

「竹内さん、何見てるの?仕事してよ。品出しとかあるでしょ」
「あ、すみません」
「女の子ジロジロ見てるとセクハラとかで苦情くるから気をつけた方がいいですよ。それと、恩田さんとかもジロジロ見てないですよね?」
「見てないですよ」
 
 最近バイトを始めた高校生の恩田さんの顔を思い浮かべる。彼女も声が小さく、静かで怒られやすそうな雰囲気をしている。一緒に働いたことはあまりないが、先日、一緒になった時、彼女のミスを指摘してやろうと行動を見ていたのは事実だ。

「それならいいですけど。仕事しましょう」

 息子ほどの年齢の先輩に小言を言われ、品出しをしていると、先程の女性二人がレジに向かっているのが見えた。慌ててレジに向かい、お待たせしましたと商品をレジ打ちしていると、健康そうな女性が異常にこちらを凝視していることに気がついた。

 さっき見てたのはバレてたのか?

 はっきりと女性と目が合っている。それなのに女性は何も言わない。表情を見る限りでは、怒っているようにも悲しんでいるようにも見える。隣の不健康そうな女性は何も気づいていない様子だ。

「お会計そちらでお願いします」

 女性はまだこちらを見ている。いったい何なんだ。もしかして知り合い?
 凝視している女性にこちらも負けじと凝視した。何か思い出しそうな気がする。どこかで見たような…

「あ…」

 竹内が思い出したと同時に、女性はミネラルウォーターを持ってコンビニを出ていった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「本日はありがとうございました」

 そう言うと、後藤は足早に部屋を出た。特に急ぐ用事はないが、とにかくあの空間にはいたくなかった。じっとりと舐めまわすような目つき。薄くなった頭皮と白髪交じりの髪。ヘビースモーカーなのか真っ黒な歯茎と黄ばんだ歯。何より、あの部屋に充満している加齢臭が耐えられなかった。

 くっさ。このスーツクリーニングに出そう。

 このバイトをしてから、あんなおじさんの相手をすることは多い。夏になれば、皮脂まみれの太ったおじさんの相手をすることもあるし、関係を持とうと言い寄ってくるおじさんもいる。バイトだからまだ我慢はできるけれど、もしも、強引に腕などを掴まれ、体を触られるなんてことを考えただけでも、身がすくんでしまいそうになる。一応、市販で売っているスタンガンを常備してはいるものの、咄嗟にカバンから取り出せるかといったら疑問だ。

 今回の人は気が弱そうだったからまだよかったけど。

 あの竹内という人間なら後藤の弱い力でもなんとかなりそうだ。力を使うまでもなく、強い口調で拒否すれば、何もしてこないだろう。今日だって、きっぱりと誘いを断ったらすんなりと受け入れた。
 
 今度からスタンガンはポケットの中に入れておこうかな。

 使うことが無いことを願いつつ、後藤がそう画策していると、ポケットの中で携帯が震えていた。山下晄からだった。内容は明日の正午に待ち合わせといったところだろう。明日は楽しみにしていたドラマを家で一緒に見る予定なのだ。

 ーもしもし、はい。わかりました。よろしくお願いします。

 年齢のわりに大人びている晄はハスキーな声をしていた。風邪でも引いているのかもしれない。確か、今朝のテレビニュースでインフルエンザが流行り始めているとか言っていた気がする。
 後藤はコンビニに寄り、念のため、風邪薬とマスクを買った。意味はないかもしれないけれど、買って損することは無いだろう。バイトで出会うおじさんたちが飛ばす飛沫にもウイルスは混じっているかもしれないのだ。バイトが終わった後に、風邪薬を飲むだけで予防できるはずだ。
 またしても、携帯が震えていた。画面を見ると、新しい依頼が来ていた。竹内からだった。後藤は今日の竹内の様子を思い出し、吐き気を堪えながら、身を縮めて家路を急いだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「マジでさぁ、ほんとに意味わからなくて、途中笑っちゃいそうになっちゃったよ。お客さんにタメ口とか言うわけなくない?意味わかんない。しかも、終わってからさぁ、なんかお茶どうですかとか誘ってきてさ。行くわけないじゃんって感じだよ」
「きっついねそれ。おじさんの誘いほど気持ち悪いものはないからね。でもさ、最近の若い人って本当に礼儀がなってない人多いらしいから、実際そういう人いたんじゃない?その人、役員とかなんでしょ?」
「いるのかなぁ、そんな人。でも、あの人も大変そうだからねぇ。髪の毛も薄くなってるし、白髪も交じってるし、明らかにストレス抱えてますって顔してるし。まあ、ストレス抱えてなかったら私に以来なんてしてないんだけどね」
「咲も大丈夫なの?ずっと怒られてるんでしょ?聞いてるだけでストレスやばそうなんだけど」
「私は大丈夫だよ。怒られていればいいだけだもん。私は何もやってないし。何なら笑いそうになるときあるからね。シチュエーションによっては」
「タフだねぇ。私だったら絶対に無理。おじさんってだけでも無理」
「確かにおじさんはきついなぁ。イケメンだったらいいのにね」
「イケメンが来たら逆にご褒美だよね」

 ネットフリックスで今流行りの韓国ドラマから視線を外さず、晄は笑っている。可愛いよりもかっこよく見られたい彼女は髪をショートカットにして、化粧を薄くし、口調もさばさばとしている。服装も基本的にはラフでスカートを身に付けているのは見たことが無い。基本はパンツスタイルだ。

「それでさぁ、そのバイトいつまで続けるの?しんどくない?」
「大学卒業までかな。給料もいいし、好きな所で好きな時間やれるから楽なんだよね。怒られていればいいだけだし」
「そっか。すごいね」

 このバイトを始めたのは大学に入ってすぐだった。何かしらのバイトをしたかった後藤はネットで片っ端から求人を調べた。飲食店やコンビニ、スーパーの品出しなどの簡単な仕事はたくさんあったけれど、どれも薄給でなおかつ、人間関係が面倒そうだった。そんな求人をはじいて見つけたのがこの仕事だ。鬱憤を晴らしたい人間に怒られるという単純かつ、一件当たり一万円という高額な報酬は後藤の目を惹いた。
 登録した翌日にはすでにニ、三件の依頼があった。後藤が若い女性だからか、起こりやすくて、反抗的なことを言わなそうな顔をしているからなのかわからないが、とにかく、この三年間で依頼が途切れたことはほとんどない。正直、就職なんかしなくても、この仕事でやっていけそうなくらいお金も稼げるのだ。

「私はどうしようかなー。就職して会社で働くのがいいんだろうけど、海外に行きたいんだよなー。韓国で聖地巡りとかしたい」
「別にいいんじゃない?就職しなくてもいい男捕まえればいいんだし」
「だよね。今時、就職してずっと働くなんて方が珍しいよね」
「そうだよ。新卒なんて三年以内に退職する人が多いって聞くし」
「大学卒業したら海外に行っちゃおうかなー」
「ていうか、ドラマ全然見て無くない?今何これ。主人公泣き叫んでるんだけど、何がどうなってこうなったの?」
「わかんない。私もあまり見てなかった」
「ちょっと、それじゃあ、意味ないじゃん。韓国ドラマ見たいって言ったの晄なのに」
「ごめんごめん~」

 ピピピピピピピピ…

「はい、お疲れさまです。それではレンタル友達、基本料と指名料、合わせて一万円になります」
「ありがとうございました」
「延長はされますか?」
「いえ、今日は結構です。また今度お願いします」
「わかりました。今度はいつになりますか?ここで予約もできますよ」
「はい。明後日でも大丈夫ですか?」
「明後日ですね。わかりました。ではまた後日」
「ありがとうございました」

 晄が振り返ることなく部屋を出て行った。パソコンの画面の中ではまだ主人公の男が泣き叫んでいる。その奥にぼんやりと映る自分の顔はどんな表情をしているのだろうか。考えたくもないから、電源を落としてパソコンを閉じた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「あーむかつく。マジであり得ない。いくら怒られる仕事って言ってもさ、さすがに体を触ってくるのはセクハラじゃない?何してもいいわけないのに。むかついたからその場で切り上げて帰ってきちゃった」

 発泡酒を飲みながら興奮気味に話す後藤に晄はただただ笑ってたこ焼きを食べていた。朝から一緒にいる晄は少し疲れているのか、この時間になってきて後藤の話しを適当に受け流している。

「今度、セクハラや度を越えた罵倒は禁止ってルール作ってもらおうかな」
「それ決めるの遅くない?それくらいは想定しておかないと。マニュアルも作っておかないと」
「そうだよね。明日あたり聞いておこう」
「逆に今までよく何も起こらなかったよね。」
「本当にラッキーだったんだなって今思う」

 昨日、バイトをしていて初めてセクハラをされた。その日の依頼人は太った無精ひげが汚らしい不清潔な男性だった。彼は始めは冷静にねちねちと説教をしていたが、次第にヒートアップし、後藤の体を触り出した。はじめに腕、それから足、そしてお尻。そこで手を払い退け、依頼人が我に返ったからよかったものの、そうしていなければ胸も触られていただろう。今思い出しただけでも寒気がする。あの息遣い、体温、臭いすべてが気持ち悪かった。

「今日は全部忘れたいからもう少し飲まない?コンビニで買い足してこようよ」
「いいよー」

 歩いて五分程度の場所にあるコンビニへと向かう。晄は喋らず、ただ前を見て、時折、携帯に視線を落としていた。疲れているのか、不機嫌なのかわからず、後藤はただただそれを見て歩くばかりで、五分程度の道のりが倍以上の時間に感じられた。
 こんなことになるなら今日は一人でいればよかった。心の中でそう呟く。お金はいくらになるのだろう。たしか、フリータイムは五万円とかだった気がする。この状態でそんな大金を払うことを考えると、このまま前を歩く晄に見つからないように音信不通になりたくなってくる。

「いらっしゃーせー」

 自動ドアを通ると、やる気のない男性の声がした。コンビニ店員だ。アルバイトに気持ちの良い接客などは求めていないけれど、やっぱりやる気が無さそうな声は少しむかつく。

「何飲む―?」

 晄は携帯を見ながら、めんどくさそうにそう聞いてきた。

「私、やっぱり水でいいや。晄は何か飲む?」
「じゃあ、私も水で」

 二人で同じミネラルウォーターを買い、レジへと向かう。すると、レジには見覚えのある顔があった。

「え?なんで?」

 向こうはこちらに気付いていない様子で、さくさくと仕事をしている。スーツではないからか、顔は会った時よりも老けて見えた。頭髪も白髪が汚らしく、髭も剃っていない。

 嘘ついてたんだ…

 そうか。全部、嘘だったのか。役員だとか言っていたけれど、本当は会社に勤めてすらいないで、アルバイトをしているだけのおじさんだったのか。なんだ。クズじゃん。
 作業中の男をじっと見つめると、気が付いたのか、向こうもこちらを見返してきた。それでもやはり気が付いていないのか、不思議そうな間抜けな顔をしている。

「どうした?帰るよ」

 晄が不思議そうにこちらを見て歩き出す。後藤もそれを見て自動ドアの方に向かうと、後ろの方で小さく「あっ」と声が聞こえた気がした。それを無視して後藤はコンビニを出て大きく息を吐いた。

 私も同じじゃん。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「料金はフリータイムの基本料と指名料、夜間料金など合わせて七万円になります」
「これでお願いします」
「確かに受け取りました。次回はどうしますか?」
「次回はまた今度でお願いします」
「わかりました。それでは失礼します」

 さっき会ったばかりのような態度で彼女は家を出て行った。長く一緒にいたのだから少しくらいは情があってもいいと思うのだが、完全に仕事と割り切っているらしく、時間外労働は一切しない。

 高い…こんな事ならやめればよかった。

 晄が長く一緒にいるとこんなにめんどくさそうにすると思っていなかったし、料金もここまで高くなると思わなかった。これならいつも通り一時間だけにすればよかった。そんな事を考えてももう遅いけれど、後藤はお風呂に入りながらずっとそんなことを考えていた。
 そろそろ晄から違う誰かに乗り換えるか。でも、晄はもう何年もずっとレンタルしてきた友達だ。もう親友だと思っている。道端で会えば手を振って会話をするくらいの間柄のはず。そのはずだ。
 お風呂から出て、携帯を見ると明日の予定が表示されていた。竹内に申し込まれたレンタル部下の仕事だ。
 今日のあの顔を思い出す。あの嘘つきの顔を。情けない皺だらけの顔。おそらく、定職に就けず、アルバイトをしてきたのだろう。結婚もせず、恋人すらおらず、友達すらいない。情けない。あんな大人にはなりたくはない。
 不意に鼻の奥がつんと痛んだ。鼻水が出てきて慌てて鼻水をかむ。涙も自然と溢れ出ていた。
 
 私も同じじゃん。

 就活もせず、恋人もおらず、友達もいない。大学に通っているものの、何かが身に付いたという実感は全く無く、ただ授業を受けて、帰宅してアルバイトの日々。他の人は楽しそうにしているというのに私は一体何をしているのだろうか。
 友達ってどうやって作ってたんだっけ。と、何も考えてなかった高校時代を思い出す。緊張して入った新しい学校の教室。知らない人達がいる中で、どうやって人と話していたのだろう。

 あぁ、確か趣味とかが同じだといいんだっけ。趣味…自分の趣味ってなんだろう。

 気が付けばもう深夜の一時。後藤は布団に潜り込み、キャンセルの連絡を入れた。こんな時間でもまだ起きていたのか数秒で「お大事に」と連絡が届いた。もう会うことはないと思いつつも、その優しさを飲み込んで後藤は眠りについた。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?