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【ショートショート】ケーキと紅茶

 日本には実に様々な怪談話が存在している。代表的なのがトイレの花子さんや動く人体模型、夜になると鳴るピアノなどだろうか。そのような怪談話は今では都市伝説という名前を変え、ネットを通して子供から大人まで幅広い層を楽しませている。
 誰がいつ作り、どうやって広めたのかは一切分からない。ほとんどの話しがいつの間にか広まっていて、出所を探そうにも広大な情報の海と化したネットには真偽のわからない噂が多数存在している。これは完全な作り話だ書いてあるものもあれば、この場所のこの時間に死んだ人が幽霊となって表れているなどとあたかも本当のように書いてあるものまである。ただ、どれが本当でどれが嘘かなんてどうでもいい。怖くて人の関心を惹きつけるというのが肝心なのだ。
 今日、私のもとにも怖くて面白いものがやってきた。つい先程の事だ。家で映画を見ていると、携帯が震えていることに気が付いた。画面を見ると非通知という文字。不思議に思いながらも携帯を耳に近づけ、「もしもし」と声をかけると、高い女性の声が聞こえたのである。

「私、メリーさん。今、あなたの街にいるの」
「どちら様でしょうか」

 こちらの問いかけを無視して、電話は切れた。失礼にもほどがある。こちらは休日を満喫するために映画を見て、ピザを食べて、コーラを飲むといういつになく優雅な時を過ごしているというに、その時間を遮るとは何たる無礼か。もう出てやるものか。
 それにしても、声の主はメリーさんと言っただろうか。メリーさんと言えば、電話がかかってきて、段々近づいてきて、最後には後ろにいるという怪談話としてはポピュラーな存在だ。子供の頃にはそれはそれは怖がったものである。確か、正体は人形だったか、巨大なスイカだったか…まあ、どっちでもいいか。
 そんなことを思いながら再び映画を見ていると、また電話がかかってきた。またしても非通知である。しばらく無視していても全く諦める気配がない。

「私、メリーさん。今、あなたの家の最寄り駅にいるの。無視しないで」
「どちら様でしょうか」

 またしてもこちら側の問いかけを無視して電話を切られた。めんどくさい。無視しているのはそちらだろう。無視しないで。と言いたいのはこちらの方である。
 数分後、また電話がかかってきた。映画は最大の見せ場で、黒幕らしき男が主人公の前に現れ、自分の間違った正義感を滔々と述べている所だった。

「私、メリーさん。今、あなたの家の前にいるの」
「はぁ…そうですか」

 電話を切り、窓から外を見てみた。近くには桜の木があり、ピンク色の花が咲き乱れている。手を伸ばしたら風に舞う花びらが手をかすめ、生温かい風が髪を揺らした。
 そんな春の景色にうっとりしていると、またしても電話が鳴った。もうめんどくさいから出たくない。いっそのこと、携帯の電源を落としてやろうか。しかし、メリーさんと名乗る奴はもう家の前にいるらしい。今ここで無視をしたら何をされるかわからない。

「私、メリーさん。今、あなたの家の前にいるの」
「そうですか」
「私、メリーさん。今、あなたの家の前にいるの」
「そうですよね。入れないですよね。オートロックですもんね。こちらから開錠しないと入れないですよね」
「私、メリーさん。入れて下さい」
「メリーさんじゃないですよね。名前を教えてください」
「山吹です。ご無沙汰してます」

 怪談より怖い奴がやってきた。

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「本当に忙しくて、毎日てんやわんやですよ。ユーチューバーも楽じゃないです」

 山吹は図々しくもソファに座り「違う映画見ませんか」と言った。学生の頃は肩ぐらいまであった髪は顎くらいまで短くなっており、彼女の小さな形の良い顔にとてもよく似合っている。顔も大人っぽくなったのか、落ち着いた印象だ。白のパーカーとベージュのパンツというシンプルな服装だけが数年前と変わらず、安心感を与えてくれる。
 山吹は大学を卒業してから、目標にしていたメディア関係の仕事に就いた。就職してすぐに持ち前の美貌と行動力でちやほやされ、出世間違いなし!と噂されていた。しかし、時間が経つにつれて、山吹の異常な行動や語尾の「っす」が明るみになってきて「こいつぁ、やべーや!」と周りに人はいなくなっていった。結果、退職してユーチューバーになった。というのが山吹本人の話しである。

「何見ます?『ショーシャンクの空に』とか見ますか?先輩みたいな人が主人公ですよ」
「人を犯罪者呼ばわりするんじゃないよ。脱獄もしてないから」

 山吹は少し変わった。話し方はもちろんだけど、学生の頃の奇怪な発言や行動、語尾の「っす」は無くなり、常識が身に付いたようだ。これが当たり前なのだけれど、私としては昔の奇怪な山吹の方が楽しくて、時々、寂しさを感じてしまう。そこらへんにいる顔が整っている性格の良い女性も素敵だけれど、自分の好きな事を追いかけている、わがままでわけわからない女性も楽しいのだ。甘いお菓子に無糖の紅茶がセットで付いていると、どちらも美味しく感じるのと同じである。山吹には紅茶でいてほしいのだ。飲んだらほっと一息つけるような。良い香りのする少し苦い紅茶。

「それで、今日は何の用で来たの?」

 そう尋ねると、山吹は綺麗なボブを揺らし、こちらを振り向いて笑った。いつの間にか手にはシュークリームが握られている。包装紙を見ると、先日、私が有名なお店から買ってきて楽しみにしていた物と一緒だ。まあ、偶然だろう。

「先輩は私のユーチューブ見てないですね。ふふふ。実は今、私は怪談系ユーチューバーなんですよ」
「何それ。どうせ、廃墟とか幽霊が出るって噂の場所に行って動画撮るとかってやつでしょ。くだらないね。不法侵入とかしちゃ駄目だよ」
「馬鹿にしないでくださいよ。私は迷惑系じゃないんですよ。怪談系です。ちゃんと許可も取りますし、誰にも迷惑かけないように一人でやってます。見たことないんですか?有名になってきたんだけどなぁ」

 知っている。全部見ている。数年前、猫黙トンネルという珍妙な名前の心霊スポットに行ってダンスを踊った動画を載せいていた時からずっと見ている。大学を卒業して就職してからも更新を続けてちょっと元気が無くなったのも知っているし、退職してから持ち前の行動力で廃墟に行き、カメラを回し、幽霊ではなく本人が可愛いと話題になっているのも知っている。有名になってきて最近では少し動画の内容が豪華になってきたのも知っている。

「それで、今回は私と一緒に行ってもらいたい所があってですね。その交渉に来ました」
「えぇ…めんどくさいなぁ。どこに行くの?」
「先輩は禁足地って知ってますか?」
「聞いたことはあるけど、詳しくは知らない」
「禁ずるの禁、手足の足、地区の地。読んで字の通り、入っちゃいけない場所です。そこに行こうと思ってます」
「入っちゃ駄目なんじゃないの?」
「千葉にもともと禁足地で今は入れるようになった場所があるんですよ」
「へぇ。どんなところ?」
「八幡の藪知らずって所です」

 山吹は得意げな顔でシュークリームを食べながら、説明を始めた。どうやらその地域はたった数十メートル四方の雑木林らしいのだが、入ったら祟りが起こるとか、出られなくなるといった噂があるらしい。逸話として、徳川光圀がこの藪へ入り、数多くの妖怪と遭遇し、最後に若い女性が現れて「今日は見逃してやろう」と言われてやっと脱出することができたという。
 
「面白そうじゃないですか?水戸黄門が苦戦したんですよ。助さん、格さん、やっておやりなさい。って言わなかったんですかね。この紋所が目に入らぬか!って妖怪に見せなかったんですかね」
「それで妖怪が平伏したらそれはもうコメディでしょ。禁足地じゃなくて、お笑いの聖地だよそれはもう」
「それじゃ、今から行きますか。千葉の本八幡駅からすぐなんで行きましょう。いい感じで夕暮れ時に行けると思います。あ、ユーチューブ撮りますけど、顔だし大丈夫ですよね」
「大丈夫だよ」
「ありがとうございます。それじゃ、シュークリーム食べたら行きますか。あ、今さらですけど、冷蔵庫にあったシュークリームいただいちゃってます。ごちそうさまです」

 苦い紅茶を飲まされているようである。でも、それが良い。

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 春の夕暮れは柔らかい。陽は沈んで薄暗くなったけれど、ほんのりと明るさが残るこの時間は一年の中でも大好きな時間だ。
 私と山吹はそんな夕暮れに見惚れながら、本八幡駅を出た。利用者が多い駅なのか、通勤ラッシュのように人が乗り降りしていく。人の波にさらわれるように改札を抜けると、すぐ近くに不自然な雑木林が見えた。

「あれが、八幡の藪知らずです」

 ただの小さな雑木林にしか見えないけれど、禁足地と知っているからか、なんとなく不気味な雰囲気が漂っている。今はまだ陽が沈んでおらず、全貌が見えるから怖さは感じないけれど、陽が沈み、暗くなったら足が竦むほど怖くなるのだろう。
 隣にいる山吹はカメラを回し始めた。山吹のチャンネルは基本的に無言で字幕を入れるスタイルだから、特に何も考えずに話していいということだ。だからか、山吹は「なんか期待外れですね」なんてボヤいている。

「おぉ。鳥居がありますね。ここが入り口らしいです。それでは、いざ、禁足地へ」

 躊躇なく禁足地へ足を踏み入れる山吹に続いて、私も足を踏み入れた。雑木林の中は想像していたより先が見渡せない。それに陽の光も葉や枝で遮られていて薄暗い。

「入ったはいいけど、何するの?」
「とりあえず、カメラを回して参拝でもしますか」

 山吹と一緒に祠に向かって参拝をした。それ以外は何もすることはない。藪の中を散策することもできないし、雑木林の隙間から向こうのビルが見えていて、神秘的な印象がかなり薄れてしまう。恐怖心も期待感も何もない。山吹の言う通り、期待外れだ。

「うーん。帰りましょうか。ボツになるかもしれないですね。せっかく来てもらったのに、すみませんね」

 少ししょんぼりとした山吹を横目で気にしながらまっすぐと家に帰る。すでに陽は沈んでいて、駅の近くの歩道橋から見た雑木林は先程より神秘的に見えた。

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 家に帰ってくると、一日の疲れが押し寄せてきた。ご飯を食べるのもお風呂に入るのも億劫になってしまうほど眠い。山吹と過ごすというのはとてつもないエネルギーを必要とするのだ。まだ半日だけだったからよかったものの、一日ずっと一緒にいるとなると夜は動けなくなるだろうと容易く想像できてしまうくらい、山吹は元気いっぱいで、子供のようである。
 眠い目をこすり、何とかシャワーを済ませると、携帯が震えていることに気が付いた。画面には非通知の文字が表示されている。

「もしもし、私、メリーさん。今、あなたの家の最寄り駅にいるの」
「もういいって。お疲れ。私はもう寝ます。おやすみなさい」

 電話が切れた。何がメリーさんだ。お前は山吹だろう。と言いたくなったが、気持ちを抑えて、次の着信を待った。案の定、電話はすぐにかかってきた。

「もしもし、私、メリーさん。今、あなたの家の前にいるの」
「開けるからちょっと待ってて。あと、女の子が夜に出歩くと危険だから。あまりこっちに来ないでください」

 施錠を開けると、そこにはつるんとした卵みたいな顔をした山吹が立っていた。お風呂に入ってきたのだろうか。メイクを落とした顔を見るのは久しぶりだったけれど、幼くなって可愛い子供みたいだ。

「今日のあの動画ちょっと物足りなかったんで、私が先輩の家にメリーさんだと言って突撃したらどう反応するのかっていう趣旨の動画にしました。バズリそうです。先輩の塩を撒き散らしたぐらいの反応のおかげで」
「そうかい。それはよかったね」

 その動画なら山吹がやってくる前に見た。家に入れなくて困っている山吹の可愛さと勝手に人の家のシュークリームを食べていた映像は確かに人の興味を惹きそうではあった。コメントもチェックしたけれど、相変わらず、可愛いとか綺麗とかのコメントが多かった。私の事なんて誰も触れていなかった。期待したわけじゃないけど寂しい。
 

「それで、何の用ですか」
「次の作戦会議ですよ。私たち、いいコンビじゃないですか。今度から二人で撮りましょう。先輩も暇でしょ?」

 山吹はカップラーメンにお湯を注ぎながら言った。先日、私が買ったカップラーメンと同じだけれど、気のせいだろう。

「いや、私は全く暇じゃない。仕事してるから」
「土日は休みでしょ。だったらいいじゃないですか。ユーチューブやりましょうよ。楽しいですよ。コメントもいい人達だらけですし、お金だって入ってきますよ」
「お金なんて別に欲してないから。休みを奪わないでくれ」
「奪ってないですよ。ちょっとお出かけするだけです。デートだと思ってください。先輩だっていつかは彼女ができて奥さんになる人が現れるかもしれないんですから、予行練習だと思えばいいじゃないですか」
「えぇ…まあ、それなら。うーん。でも、休みたいしなぁ。土曜日ならいいよ別に」
「そう来なくっちゃ。やっぱり先輩は優しいですね。よっ!優男!ケーキよりも甘い甘い優男!」
「馬鹿にしてるだろ」
「してないですよ。いただきます。あ、これ、勝手にいただいちゃってます。ありがとうございます」

 苦い紅茶を飲まされている感覚がまた襲う。クセになるその苦さを飲み込んで私はカップラーメンを美味しそうに啜るその横顔をじっと眺めた。



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