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【短編小説】女ならでは夜は明けぬ


 休み明けの教室内は幼稚園児のような煩わしい声で満ちていた。韓国がやたらと好きな女の子は雑誌か何かを見て声をあげ、何も考えてなさそうな男の子たちはよくわからない会話をして笑っている。篠崎はそんな光景を後ろから眺め、ほくそ笑んだ。

「よぉ。おはよう。今日もストーカーみたいだな。何見て笑ってんだよ」

 後ろからそんな声がした。振り返ると、日焼けした黒い指が頬に突き刺さる。小池は筋肉質な体を揺らして笑っていた。

「おはよう。別に何でもないよ」
「いや、結構やばかったぞ。あんまり一人でニヤニヤすんなよ。不気味だから」

 何か反論しようにも、篠崎が笑っていたのは事実で、それを見られた以上、返す言葉は出てこなかった。しばらく黙って充血気味の目で睨んだけれど、小池はそれに気が付かず、野球部の塊の中へ消えて行った。頬に残る人差し指の感触が気持ち悪い。そっとその部分を触ると、血が少し滲んでいるようだった。
 小池は絵に書いたようなお調子者だ。常にどこかの芸人のモノマネをしては野球部のメンバーと笑っている。女の子たちにも容赦なく話しかけ、とんでもない下ネタやデリカシーの無いことを笑顔で話し顰蹙を買うこともある。文化部であまり会話をしないような人達にもこうして話しかけてくるものだから、このクラスの中で小池は良く言えばムードメーカーで悪く言えばトラブルメーカーだ。

「ちょっとー!何言ってんの?」

 不意に前の席で女子生徒の怒りと苛立ちを含んだ声が響いた。声の主はクラス内でもめんどくさい女でお馴染みの桧山さんだ。クラス内は彼女の声に一瞬だけ静まり返ったものの、発信元がいつもうるさい桧山さんだと知った途端、さざ波のようにざわざわと雑談の声は戻っていった。
 しかし、篠崎は怒る桧山さんの方を凝視した。正確に言えば、怒る桧山さんの奥でうろたえている小池をだ。小池の目線を見ると、泣いているのは桧山さんの横に座っている福山さんだ。背中を丸めて顔を手で覆っている。

「マジであり得ない。虐めるのやめなよー」
「いや、でもさぁ…」

 耳を澄ませると、怒る桧山さんと戸惑う小池の声が聞こえた。おそらく小池が福山さんに余計なことを言ったのだろう。そして、その言葉に傷付いて福山さんが泣いてしまったに違いない。
 俯いていた福山さんが泣き止んだ様子で顔を上げると、小池は笑ってまた野球部たち方へ歩いていった。女の子を泣かせたことなど忘れた様子で馬鹿面で話している。一方の桧山さんと福山さんも何事もなかったかのように違う話しで盛り上がっていた。

 そんな態度だから小池が調子に乗るんだよ。

 胸の中でめらめらと小さな炎のような怒りがこみあげてくる。どうして誰も小池に注意をしないのだろう。人に無神経な言葉をぶつけて戸惑わせることなど日常茶飯事で、今回のように泣かせることもある。しかも女の子を。皆、心の中では小池を疎んじているはずなのに、表面上では仲良くして、笑ってふざけている。

「どうしたの?何かあった?」

 思わず席を立って桧山さんたちに聞いた。誰も何もしないなら自分がやるしかない。

「え、別に。逆にどうしたの?」
「いや、泣いてたから」
「あー。小池が杏子にいろいろ言ってたからさ。泣いちゃったんだよね。まあ、でももう大丈夫だよ」
「ありがとう。私は大丈夫」
「そうなんだ。わかった」

 やはり思った通り、小池が悪口を言って泣かせたらしい。福山さんは小動物のような可愛い顔を綻ばせてはいたものの、目は涙ぐんでいるように見えた。
 席に戻ると、担任がやってきた。相変わらず忙しいのか怠そうで、生徒たちの事情など一切気にする素振りがない。今日もどうでもいいような連絡事項と世間話を伝え、HRが終わると職員室へと戻って行った。山崎はその姿を追いかけ、忙しそうに歩く担任を呼び止めた。

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 朝、いつものように席に座ってあたりを見渡す。昨日と変わらない喧騒だけど、一つ違うことがあった。小池が大人しい事だ。いつもなら、教室内を歩き回り、子供みたいに人をからかっているのだが、今日は教室に入るとそのまま席について仲の良い野球部と談笑を始めた。思わず笑みがこぼれそうになる。こんなに簡単に小池を黙らせることができるとは思わなかった。
 昨日、朝のホームルーム後、篠崎は担任を呼び止めた。そこで、小池が福山さんを虐めた事と、普段、ちょっかいを出されて困っていることを端的に伝えた。担任は「そうか。注意しておく」と呟いて去って行ったから、ちゃんと言ってくれるか心配だったけれど、どうやら言ってくれたらしい。静かになった小池はしっかりと席に座って静かに話している。

「尚弥君、なんか今日静かじゃない?何かあったのかな」
「気になるなら話しかけてくれば?」
「え、いいよ。そんなに気にしてないし」

 隣の女子生徒二人が小池の方を見て話している。その声の高さが気に入らない。小池は嫌な奴なのに、なんで猫撫で声で話すのだろう。

「小池君、先生に怒られたらしいよ」

 思わずそう声をかけると、女子生徒二人は驚いた表情でこちらを見た。

「うわ、不審者…いや、ごめん。どうしたの?」
「小池君、人虐めてたらしくてさ。それで怒られたんだって」
「え、尚弥君って虐めるような人じゃなくない?何か見たの?」
「いや、風の噂でさ。虐めてるって聞いて、それが先生にバレて怒られたって話し」
「ふーん。なんかショック。誰虐めてたの?」
「福山さん」
「え、嘘でしょ?」
「そう聞いたよ」
「絶対嘘だよ。ありえない。本当だとしたら最低」

 何も間違ったことは言ってない。小池は福山さんを泣かせていた。桧山さんは虐めだと言っていたし、虐めていたのは間違いない。

「え、小池って福山さん虐めてたの?」

 話しが聞こえたのか、小池とは正反対の真面目で成績優秀な人格者で通っている松木君が聞いてきた。眼鏡の奥の目は寝不足なのか少し充血気味だ。

「うん。そういう話し」
「マジで?見たの?」
「うん。福山さん泣いてたし」
「泣いてた?他には?」
「知らない」
「そうなんだ。小池がね。そんな奴じゃないと思ってたんだけどね」

 眼鏡を右手でかけ直すと、松木君は興味なさそうに小説を読み始めた。何やら小難しい内容の時代小説らしく、見たこともない漢字が見える。
 松木君が興味を示したのは良い事だ。彼はクラス内では人望がある。駄目なことははっきりと拒絶するし、良い事は賞賛する。裏表の一切ない性格だから男女問わず、彼を頼る人は多い。先生ですら、彼を信用しているのか、何か決めなければいけない時は彼に相談することもあるようだ。そんな彼が小池を性格の悪い奴と決めつけたら、一瞬でクラス中が小池を悪者と認識するはずだ。

「でもさ、小池は無神経だし、普通に悪口とか言うから虐めとかしても不思議じゃないけどね」
「え、その話しはもういいよ。興味ないし」

 溜息をつかれ、篠崎は自分の席へと戻った。
 何とかして小池を孤立させたい。担任に言うだけでこれほど静かになるのだから、孤立させるなんて簡単なはずだ。今みたいに、少しづつ、クラス内の懐疑心を煽れば、あっという間に小池の周りには人は寄り付かなくなるだろう。
 篠崎はそれから少しづつ、クラス内の生徒たちに小池が虐めたことを吹聴していった。皆、小池に落胆し、中には小池に怒る人までいた。篠崎はその様子を遠目で見ては心の中で笑い、楽しんだ。

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「おっはようございまーす!」

 朝の情報番組でよく耳にする挨拶を真似して教室に入る。こうすることで、仲の良い野球部もあまり仲の良くない文化部のやつも、ほとんど接点のない女の子も皆笑顔で挨拶をしてくれる。一年生からのルーティンだ。

「おう。おはよう」

 坊主頭の野球部仲間が半袖で手を振って近付いてきた。夏に焼けた肌は黒く、首から下はくっきりと色が違っている。

「どうよ。俺の筋肉。立派に育っただろ」
「おー。すげーな。俺の筋肉もどうよ。パワー!」

 制服を脱いで半袖になり力こぶを作る。野球部ではこんなふざけた挨拶が流行中だ。力こぶが大きければ大きいほどいい。筋トレと食事を頑張っている証拠だ。
 野球部は夏の大会が終わり、三年生が引退して新チームが既に始動している。小池はレギュラーを任されており、来年の夏には主軸で活躍する予定だ。一年生にも実力のあるメンバーが何人もいて、野球部は初めての全国出場に向かって日々精進している。毎日の厳しい練習に体は悲鳴をあげているが、それが心地良い。心地良すぎて皆に見せて回りたいくらいだ。

「まだまだだな。もっと育てねーと」
「小池が異常に育ってるだけだろ。なにしてんだよ」
「筋トレして食べてプロテイン飲んでる」
「プロテインか。本当に効くのあれ」
「やってみろよ。おすすめ」

 そんな会話をしつつ、周りを見渡すと、クラスメイトたちは楽しそうに談笑している。夏休みが終わり、部活動が一段落着いて心に余裕があるのだろう。サッカー部は冬が本番だから夏の大会後はさらに厳しい練習をしているらしい。野球部と同じく体が痛そうだ。文化部の人達はもう受験勉強でも始めているのだろうか。運動部とは違う大変さを味わっているのだろう。小池はそんなクラスメイトを見て感慨深い気持ちになった。皆、頑張っているのだ。運動部も文化部も男も女も、それぞれの目標に向かって頑張っている。だから顔が輝いている。
 そんな中、きょろきょろと周りを見回している不審な男が目に入った。誰かと話したいのだろうが、話しかける勇気がないから話しかけられるのを待っているようなそんな雰囲気。篠崎は運動部でも文化部でもない帰宅部の男だ。成績も良くないようで、クラスでは悪い意味で目立っている。

「よぉ。おはよう。今日もストーカーみたいだな。何見て笑ってんだよ」

 話しかると、篠崎は睨んだような顔でこちらを見た。頬を人差し指で止めているから当然と言えば当然か。

「おはよう。別に何でもないよ」
「いや、結構やばかったぞ。あんま一人でニヤニヤすんなよ。不気味だから」

 頬から話した指には血がついている。それをさりげなく篠崎の椅子で拭いた。篠崎はこちらを睨んでいるような気がしたけれど、こいつと話して仲が良いと思われたくもない。小池は何事もなかったかのように周りを見渡した。

 あ、福山さん。髪切ったのかな。

 少し前の方で福山さんと桧山さんが話している。福山さんは地味だけど、肌が白くてふわふわしている背の低い小動物みたいな女の子だ。性格は少し気が強いけれど、そこもギャップがあって可愛らしい。
 少し観察していると、桧山さんと目が合った。咄嗟に手をあげ「おはよう」と挨拶をすると、彼女は手招きをして小池を呼んだ。悪い予感がするが、これを無視したら最悪だ。逃げるわけには行かない。

「六組の兵頭君って知ってる?」

 そう聞かれ、小池は察した。おそらく福山さんは兵頭が好きなのだろう。彼女の表情からしてもそうに違いない。白い肌を少し赤らめ、俯いている。恥ずかしさと好意が混ざりあった表情だ。

「うん。知ってる。バスケ部の兵頭でしょ」
「どんな人?」
「あー…女好きだって聞いてる。あと、後輩から嫌われてる。性格が悪いって。顔はいいけどそれだけだよ。あと、福山さんみたいな子供っぽい子は好きじゃないと思うよ」

 一気にそう言って桧山さんを見ると、明らかに眉間に皺が寄り、睨みつけるような表情になっていた。そして、福山さんはほのかに染まったピンク色の頬をさらに赤くさせ、ぐすぐすと鼻をすすり始めた。
 めんどくさい。これだから女の子は苦手なんだ。あんな男が良い人間のわけがないだろう。会話も容姿もチャラチャラしているじゃないか。なんでそれがわからないのだろう。いや、わかっていても好きだから肯定してあげたいのかもしれない。不幸になることがわかっていても。福山さんはそう言うタイプじゃないと思っていたのに、少し残念だ。桧山さんだったら想像通りだけど。

「は?ありえないんだけど。何言ってんの?」
「いや、これが事実だから。あいつの印象」
「マジでありえない。虐めるのやめなよー」
「虐めてないから。福山さんごめんって。泣かないでよ」

 ぐすぐすと鼻をすする福山さんお顔を覗き込む。すると、福山さんは見たこともない変な顔をして顔を上げた。

「いや、何してんだよ。びっくりしたじゃねーか」
「ごめんごめん。別に気にしてないから。むしろ、性格悪いって知ってよかった。そんな感じしたもん。あの人と付き合う人って頭悪い面食いって有名だから」
「怖すぎるだろ。じゃあな」

 二人に手を振り、野球部たちの群れに戻る。相変わらず筋肉自慢をして、パワー!と叫んでいた。

「お、小池。ナンパしてんじゃねーよ。福山さんは隠れモテ女なんだぞ」
「隠れてないだろ。目立ちモテ女だろ」
「桧山さんみたいな目鼻立ちがくっきりしてる顔した女の子はモデルとか芸能人になるかもしれないけど、福山さんは陰で可愛いって言われるタイプだろ。言ってみれば主役じゃないけど、存在感のある女優って感じだな。主役より可愛いってネットで話題になるタイプだ」
「いや、でももうちょっと筋肉がないと駄目だな。触ったら壊れてちゃいそうだ。ハイタッチとかしたら腕がボキッといきそう」
「付き合ったら筋トレさせろよ小池。一緒にパワーって言ってやれ」
「うるせぇな」

 チャイムが鳴った。皆が一斉に席に着く。担任の松田が怠そうにやってきた。今日も何気ない一日が始まる。部活までのつまらない授業はきついけれど、何とか乗り切ろう。
 担任が教室を出て行く。再び動物園のような喧騒が戻った教室内で、一人、篠崎だけが、教室を出て行った。

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「小池、この後、ちょっと職員室に来なさい」

 ホームルームの後、担任の松田に言われた。少し皺ができた目尻と白髪交じりの頭髪が年齢を感じさせる。

「何ですか?何かしました?」
「職員室で話す。ここじゃ駄目だ」

 少し神妙な面持ちで、眉間に皺を寄せた松田に連れられて職員室に向かう。その間、理由が何なのかあれこれと考えてみたけれど、思い当たる節がいくつもある。電車に遅れそうになって、ダッシュしたら通行人とぶつかったとか。練習でいいプレーができて帰り道に大声でパワー!と叫んだりとか。他校の女子高生が可愛くて、野球部の皆で「可愛いね!連絡先教えてよー!」と言ったりとか。

「よし。誰も聞いてないな」
 
 職員室は煙草とコーヒーが混ざった匂いがする。父親と同じ匂いだ。この匂いは決していい匂いではないけれど、落ち着く。制汗剤やら柔軟剤やらの匂いが充満している教室よりかはずっといい。

「単刀直入に聞くが、小池、お前虐めとかしてないよな?」
「はい?」

 思わず眉間に皺が寄る。嫌いな奴はいるが、虐めなんてするわけがない。そんなに性根は腐っていない。自慢ではないがクラスでは人望がある方だろう。女の子とも文化部ともコミュニケーションはしっかり取っているつもりだ。もっとも、あちらがどう思っているかは知らないけど。

「お前が虐めているのではないかと報告があった」
「誰からですか?」
「それは言えない。疑っているわけではないが、もし、お前が本当に虐めていたら、そいつが今度は標的にされる可能性があるからな」
「そうですか。何か見たんですか?その人は」
「福山が泣いてたと言っていた」

 それを聞いて、小池は合点がいった。あの時の悪ふざけが見られていたのだ。

「違いますよ。昨日確かに福山さんと話してましたけど、あれは福山さんが泣いているふりをして、それを桧山さんが大袈裟にしただけですよ。虐めてないですし、福山さんとは関係は良好です」
「本当だろうな」
「本当ですよ。虐めないです。むしろ福山さんが好きです」

 何を言っているんだ俺は。そう思ったけれど、目の前の松田は口を開け、目を見開き、おぉ。と短く漏らしていた。周りにいる先生たちも聞き耳を立てていたらしく、笑っている。最悪だ。

「まあ、それならいい。頑張れよ。好きだからってちょっかい出し過ぎると嫌われるぞーう」

 すっかりにやけ顔になった松田は奇妙な声でそう言うと「帰っていいぞ。応援してるからな」と手を振った。他の先生方も「頑張れ」「青春だな」とかわけのわからないことを口々に言い授業の準備に戻った。小池は複雑な気持ちのまま、コーヒーと煙草の匂いがする職員室を出て、息を大きく吸った。
 誰がそんな噂を流したのだろう。同じクラスの人間であることは確実だ。福山と桧山はふざけていたのを知っているから違う。野球部の奴らも違うだろう。そうなると、あまり関わりの無い人間だろうか。

「あ、どうした?先生に連れられて行ったけど。何かした?」

 教室に帰る途中。偶然トイレから出てきた桧山さんと合流した。手には花柄のハンカチが握られている。少し男っぽい雑な発言をするからあまり気にしていなかったけれど、彼女もしっかりと女の子だ。手もよく見れば小池とは違って白くて細くて綺麗だった。

「福山さんと一緒に話すよ」
「あ、なるほど。なんとなくわかった」

 教室に入ると、一目散に福山さんの席へと向かった。彼女は下を向いて本を読んでいる。笑っている顔も可愛いけれど、伏し目がちな目も見惚れるくらい綺麗だ。

「福山さんちょっといい。あ、全然大したことじゃないんだけどさ。昨日の朝、福山さんと桧山さんと話してたじゃん?」

 いきさつを伝える。二人は「マジで?」と笑っていた。もちろん、先生たちに福山さんを好きだと伝えてしまったことは隠した。

「虐めるわけないじゃんねぇ。杏子こんなに可愛いのに」
「それに、私やられたらやり返しちゃうタイプだから。麻希ちゃんもいるし」
「そうだよね。それはわかってるんだけど、問題はそこじゃなくてさ。誰かに勘違いされてるってことなんだよね」
「あぁ、それならたぶん。わかる。あの人だよ」

 福山さんと桧山さんは顔を見合わせて、後ろを見た。そこには珍しく誰かに話しかけている篠崎の姿があった。

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 篠崎が言いふらしていると聞いたのは翌日のことだった。中学から仲の良い松岡さんが「なんかあいつが急に話しかけてきた」と話しかけてきたことがきっかけだった。彼女が言うには、篠崎は女の子たちに小池が福山を虐めていると嘘を吹聴し、笑っているということだった。大体の人間は小池の性格も福山さんの性格も知っているから信じていないが、何人かは信じているらしい。

「急に話しかけてきたからマジでびっくりした。教室内なのに不審者が出たのかと思っちゃったもん。思わず口に出しちゃったよ」
「なんで篠崎が?」
「それはわからない。私、仲良くないし。適当に相槌打ってたから何も覚えてないし」
「まあ、そんな大したことじゃないしどうでもいいよな」
「うん。皆ももう忘れてるんじゃないかな」

 松岡さんの言う通り、ほとんどがもう忘れているみたいだった。誰も何も言っていない。悲しくなるくらい小池の話しをしていない。野球部の奴らも少しくらい話は聞いているだろうけど、気を遣ってか何も言わなかった。相変わらず筋肉自慢をしてトレーニングの一環であるおにぎりを山ほど食べている。
 それにしても、篠崎は何故、嘘を吹聴しているのだろう。何か気に障るようなことをしただろうか。頭の中を探ってみても何も思いつかない。少し前にストーカーみたいと言ったくらいだ。それ以外は挨拶しかしてないし、話してもいない。
 ストーカーって言ったのが気に障ったのだろうか。しかし、それくらいで怒るような人間がいるのか。あんなのはただの冗談じゃないか。

「小池君どうしたの?」

 席で考え込んでいると、福山さんが目の前に立っていた。いつも一緒にいる桧山さんは他の男の子にちょっかいを出されて相手をしているのか、遠くの方でお腹を殴っているのが見える。

「いや、篠崎はなんで俺の事を悪く言うんだろうって思ってさ」
「嫉妬してるんじゃない?小池君って基本的に誰とでお話しできるけど、あの人できないでしょ?」
「嫉妬する?あいつだって話せばいいだけじゃん。おはようって言えばいいだけじゃん」
「それができないからあんな感じなんでしょう」
「できないってどういう事なんだよ」
「とりあえず、聞いてみればいいんじゃない?本人に」

 福山さんはそう言うと、篠崎の席まで歩いていった。嫌な予感がする。まさか、あいつをここに連れてきて、話しをしようなんてことを考えているのではないだろうな。やめてくれ。めんどくさい。

「はい。篠崎君連れてきたよ。篠崎君。小池君が聞きたいことがあるんだって」

 福山さんがにっこりと笑う。あれだけ可愛かった顔が今では悪魔にしか見えない。よく見たら頭の上にちっちゃな角とかお尻にしっぽとか生えているのではないかと思ってしまうほどだ。

「いや、なんかさぁ、俺が福山さんを虐めてたとか言ってるらしいけど、虐めてないからね。勘違いしないでね」
「は?そんなこと言ってないよ」
「いや、皆知ってるから。お前が俺の事悪く言ってるの」

 情けないことに声が震えている。人を注意するのは苦手だ。俺は悪くないのに、悪いのはこいつなのに、わかっていても声が震えてしまう。

「じゃあ、福山さんが泣いていたのは何だったんだよあれ」
「あれは嘘泣きだよ。ごめんね。勘違いさせちゃって」

 ここで初めて篠崎の顔から戸惑いの色が浮かぶ。福山さんが味方だと思っていたのだろうか。残念ながら福山さんはこっちの味方だ。たぶん。

「それと、普段、きょろきょろしてるけどやめた方がいいよ。皆怖いって言ってるし、不審者にしか見えないから。誰かと話したいならまず挨拶から始めた方がいいんじゃないかな。待ってるんじゃなくて篠崎君から話しかけるようにしないと。あと、話しかけるにしても、人の悪口はどうかと思うな。良い事なら全然いいんだけど、悪口を言っちゃうと、誰からも相手にされなくなっちゃうよ。もう遅いけどね」
「え、え、え」

 篠崎は完全に戦意を喪失したらしく、何も言えなくなった。福山さんはにっこりと悪魔のように笑い、ずっと篠崎の言葉を待っている。

「でも、勘違いされるようなことをしたそっちも悪いんじゃないの?」
「勘違いしたそっちが悪いだろ。それに、不確かなことを周りに言いふらすのも意味わからないし。おかげでこっちは先生に色々言われてるんだからさ」
「そうだよ。篠崎君。ほら、言うことがあるでしょう?」
「え、え、え」
「ご?」
「いや、でも」
「め?」
「いや、でも、僕はこうなんじゃないかって言っただけで虐めてたとは断言してなかったし、周りが勝手にそう解釈しただけで」
「ん?」
「ごめんなさい」
「え?聞こえないんだけど。もうちょっと大きな声で、わかりやすく言ってくれないかな」
「変な噂を流してどうもすみませんでした。二度としません」

 やっぱり福山さんは尻尾が生えてるのではないだろうか。髪に隠れて角も生えていて、怒りが頂点に達すると羽が生えて口が裂けて牙が出てきて人を丸飲みにするのではないだろうか。そう思うくらい悪魔みたいに見える。篠崎が可哀想になってくる。

「偉い偉い。よく言えました。もう行っていいよ。きょろきょろしないでね」

 篠崎が皆の視線を浴びながらしょぼくれて席に戻っていく。その姿が滑稽で笑いそうになったが、すぐに先生がやってきた。先生は二人を見るなり、目を細め、頬を緩ませた。

「おい、あまりイチャイチャするなよ。青春だな」

「ん~?どういうこと?」

 福山さんがこちらを見て笑う。これは悪魔なのか天使なのか。願わくば天使にであってほしい。


 

 

 

 

 


 



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