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おまじないのうた(復職日記28)

昨日は、こんなかまってほしい子みたいな記事を書いてしまった。




でも、読んでくださるみなさんがやさしくて、あたたかい言葉をたくさん頂いて、わたしのなかの小さなわたしは、ちゃんと、泣き止みました。


みなさん、本当にありがとうございました。



※※※


一度「かなしい」の蓋が開くと、とめどなくなってしまうことが度々ある。
ふだんはきっと、ぎゅっと蓋をしめて、その「かなしい」が詰まったビンを、小さなわたしは抱きかかえているのだろうな、と思う。


最近、本当に、小さなわたしは、はっきりと自己主張するようになった。
これまで無視してきた分だけ、これまで我慢してきた分だけ、その声は、わたしのこころに届く。


主治医に言われたことを思い出す。


「治る、ということがあるとするなら、病気でいた時間の、倍はかかると思ったほうがいいかもしれませんね。」


そう言われたときは、はあ、そんなもんなのかあ、と思ったけれど、今なら体感として、よくわかる。こりゃほんとうに、その通り。
だって、わたしのなかの小さなわたしは、まだ、幼稚園児くらいな雰囲気だ。幼稚園児か、小学校の1年生か、って、感じだ。


この子は、わたしなんだけれど、取りこぼしてきたわたしを大事にひとつずつ拾い集めてきてくれた子で、だから、この子の言うことは、いちいち的を得ていて、耳を貸さずにはいられないのだった。





実際にそれくらいの年齢だったときの自分を思い出して、書いた詩がある。
ほんとうは曲もついてるのだけれど、最近、やたらとこの詩が頭をかけめぐる。



わたしは、「かなしい」の蓋が開くと、お母さんのことを思う。そして、お父さんのことも、思う。ふたりのもとに、今泣きながら帰ったら、今度こそ受け止めてもらえるのじゃないか、と、想像する。
でもそれは無理な話だから、その今度こそ、は、いつも叶わないから、こころのなかで、想像するだけだ。



そんな思いと、でも確かに愛されていた時間があったはずなんだという思いが、まぜこぜになって書き上がった詩だから、最近になって、頭をめぐるんだろうと思った。


今日はその詩を、載せてみます。
お父さんと、お母さんのことを、書きました。
2人への、思いを書きました。
「おまじないのうた」といいます。



※※※


「おまじないのうた」


7回扉を叩くあなた いつもの「ただいま」を
私たちは駆け寄って のぞき穴
笑うあなたがいる



7回扉を叩くいつもの合図
「おかえりなさい」と
駆け寄って笑う



あなたの思いが 溢れて止まらない



抱きかかえられて ねぼけまなこ
毛布にくるまれ 遠い街へ
後部座席から あなたの横顔
夜に繋がる 逆さまの星空



何度でもあなたを思い出すよ
「いたいのとんでいけ」
そう言ってたんでしょう?



あなたの足もとで 丸くなって眠っていた
ほんとうは隣で 眠れるまで手を繋いで



あなたの思いが 溢れて止まらない




降りしきる雨の日に
何も言わずあなたは
わたしを膝にのせて
何度も頭を撫でている
見つめる

黙って 泣いていた


忘れてた記憶が 溢れて溢れて
愛された記憶が 溢れて溢れて



帰りたいの?
帰らないわ
帰りたいの?
帰らないわ
帰りたいの?
帰らないわ

帰りたいの?
帰らないわ



あなたの思いが 溢れて止まらない

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