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子育て期間(私と息子の発達障害2-1)

 さて、「私と息子の発達障害とはどういうものか」を書いたところで息子の子供時代のエピソードを時系列順に書こうと思ったのですが、あまりにも多い上、どれが #発達障害 的でどれがそうでないかを切り分けるのも難しいことに気がつきました。
 とりあえず発達障害の診断や対応の経緯を中心に、思い出したことを書いていこうと思います。

 小さい頃は「人見知りせず好奇心旺盛でちょこまかと良く動く子だな」と思うだけでしたが、小学校3年生頃から書字を中心に困難なことが目立つようになってきました。
 6年の時、担任が県精神障害福祉センターで診断を受けさせてくれ、「 #ADHD#LD 」と診断されました。リタリンの投薬を打診されましたが、付き添っていた私は「その薬で治りますか?」と質問し「治りません」と言われたので投薬を断りました。
 当時は十分な情報がなく、また私の自閉症スペクトラム的な考え方が災いしたということもありますが、この時もう少し説明を受けていたら良かったのかもしれません。

 中学校では、先生の真ん前の席なのに、授業が始まって5分もすれば消しゴムやコンパスをいじっていて、休み時間になっても一人だけ動こうとしない状況でした。
#スクールカウンセラー のカウンセリングがありましたが、どうすれば進学できる #学力 がつくかを心配している私には「いいところを伸ばしてあげて下さい」というアドバイスは的外れに聞こえました。
 市の教育相談室でもLDの子供向けの学習方法などを尋ねましたが、調べてくれるでもなく「つらかったらまた話しに来て」という見当違いの(と私には感じられる)ことを言われるだけでした。

 2年生頃からか、息子はクラスぐるみでの #いじめ を受けました。ADHDとLDであることをオープンにし、担任から生徒やその保護者への理解を求めましたが、いじめは卒業まで続きました。
 特別支援学級への移籍も打診されましたが、その当時はまだ発達障害に対処できるような体制ではないと思えたので、断りました。
 進学については、中3の1年間個別指導の #塾 に通わせましたが、あとで聞いたところ話し相手をするだけで学習は殆どしていなかったようです。

 そんな彼の助けになったのが担任が家に持たせてくれた「朝ドリル」でした。5教科の基礎問題が1枚に4問ずつぐらい書いてあるだけのものです。
 朝や夕方のちょっとした時間に息子を呼び、1枚だけやらせました。分からない教科は答を見て書き写していいことにしました。こつは「できたからといって、『じゃあもう一枚』をやらない」ことだとわかりました。半年ほどで終わりまで行くことができ、息子は「試験の答えが何となく分かる」と言うようになりました。

 息子は近くの農業高校に進学できました。進路指導の先生の「外で動く授業が多いので、長く座っているのが苦手な息子に向いているかもしれない」というアドバイスによるものでした。(残念ながら、視覚過敏(これもあとでわかった)の息子には屋外の実習はつらかったようですが。)

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