私と、とある新聞記者の話(序章)
社会人になってからの友人て何人いるだろう?
ふと、そんな疑問が頭の先端をかすめた。
アルコールの肴には上等だろう。
友人の定義を述べよと言われたらそれはとても難しく面倒だ。
私が大学の教授になったらその種の論文試験を出すのも面白いかもしれないが、その可能性は今のところ酒を断つことくらいの可能性しかない。
私は、友人は少ない。
そんな私でも少ないだけで多からず少なからずの友人はいる。
最初の質問だが。
何人ということは返答に窮するが、社会人になってからの友人と言われればすぐに思い浮かべることができる人間が一人いる。犬、猫、植物、熱帯魚じゃなくて、心より良かったと思う。
私が彼と出会ったのは神戸のとあるバーだった。
私は当時、月曜から土曜日、8時から24時が定時で日曜も出勤することが多いというさわやかな生活を送っていて、このままでは人間が腐ると思いたち、一念発起して、仕方なく、夜の街を徘徊することを再開し始めたところだった。
自宅の最寄り駅のあるその店に私が2度目か3度目かに訪問した時だった。
大学生だけどしっかりしているバーテンダーが数多く、私の好きなギネスも生ではないが飲めたので好んで通っていた。
土曜日の仕事終わり、24時過ぎに2階のその店へと続く階段を上がった。自動扉が開き、私はバーカウンターを眺め、馴染みのバーテンダーを見つけると安心して、一番端の席に座った。
私が座る際、隣の隣に座っていた男性が、私に会釈をした。反射的に私も会釈をした。
私と同じくらいの年代。ストライプのスーツにこじゃれたうすいストライプのシャツとパープルのソリッドタイ。髪は短く、清潔感にあふれ、銀縁の眼鏡をしていた。
「お疲れ様です」バーテンダーは私にそういうと、おしぼりを手渡してくれた。私は黙ってうなずくと、「ギネスを」と簡単に応えた。
薄暗い店内で私は黙ってギネスを口に運んでいた。
なくなると、「ギネスを」とバーテンダーにいい、黙って口に運んだ。当時私は煙草をやめていたので、何をするでもなく淡々とギネスを口に運び続けていた。
馴染みのバーテンダーは私の隣の隣の、先ほど会釈をした男性と話をずっとしていた。私は、その話を聞くでもなく、聞かずでもなくただ、印象で「癇に障る」でもなく「頭にくる」でもなく「気に障る」そんな感じだった。
「よくしゃべるやつだ」私はそう思った。私はおしゃべりは嫌いだ。ましてや、10も年下の大学生に向かっていろいろと偉そうに話をするなんてもってのほかだし、何時間もしゃべり続けるのも相手がかわいそうなものだ。
「いけすかない」という言葉を思い出したがそれがぴったりだ。
私は黙ってギネスを運び続け、4度目の杯を貰った時には2時を回る前だった。
ようやく、隣の隣の男性とバーテンダーの会話も終わったようで、私はようやくゆっくりと酒を飲める気分になった。
「よくこられるんですか?」
隣の隣の男性が声を出した。私は反射的に左側を向いた。私のすぐ左隣には誰もいない。その向こう側の男性がこちらを見ている。どうやら、今度は私に話しかけてきたようだ。
「こいつ、みさかいないのか」
「だれでもいいのかよ」
そう口には出さなかったが、態度には出ていたと思う。
当時の私は今よりも15度ばかり鋭角だったので、一人でゆっくりと酒を飲んで垢を落とす時間が貴重なものだった。
「3回目くらいです。」
「そうなんですか。」
男の顔を私は初めて初めて真正面から見据えた。
柔和な笑顔だ。少し酔いが回っている。しかし、眼が笑っていない。
そう、眼が笑っていないのだ。
(こいつ何者だ)
そう思った瞬間に、男は
「失礼ですが名刺交換して頂けますか?」
といった。
(お前頭湧いてんのか?)
酒場で名刺交換なんて野暮なことをするもんじゃない。
しかし、その男の職業に興味があったのも事実だった。私は、飴色になったヌメ革の名刺入れから仕事用の名刺を出すと男に渡した。そして、男の名刺も一枚もらった。
出てきた名刺に「某新聞社 記者」の文字。
僕は合点がいきすぎて笑ってしまったうえ、
「なんだ、ブンヤか」
と言ってしまった。
「お恥ずかしい」
そう言うと、男は頭を掻いた。そして、
「ブンヤと言われたのは2回目ですよ」と照れたように笑った。
卑屈な笑いではない。
本当に自分の仕事に誇りをもっている男の自信にあふれたさわやかな笑顔だった。
「失礼した」
私は素直に謝罪した。
男とはかく笑いたいものだ。
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