見出し画像

武士道に憧れずVUCAを乗り切る組織開発

合戦に臨む武士を奮い立たせた概念は、「命を惜しむな、名を惜しめ」だったと言います。つまり、後世の人が「意味のある死だった」と認めるような死に方をすることが、武士の生きる目的だったわけです。「武士道とは、死ぬこととみつけたり」という言葉も、そのような発想から生まれてきたように思います。

人が何かを作るときには、必ず目的があります。だから、今、在るものには、すべて存在理由があるはずだと考えます。武士であれば、自身は主君のために存在していると考えたでしょう。そしてその理由とは、周囲に何らかの好影響を与えるためのものであるはずだと考えます。だから武士は、死を賭して主君を守ること自体に価値を見出そうとしたのではないでしょうか。しかし、なぜ“死”なのか…。おそらく、戦うことが武士の本分だと考えていたからだと思います。

確かに、自らの“分”をわきまえた生き様には、強い信念が感じられます。そして、強い信念を持つことは、ある種の幸福感あるいは高揚感をもたらすのだとも想像します。しかし、それが与えられたもの、あるいは選択の余地のなかったものであると考えた時、果たしてそのような幸福感ないし高揚感は持続するのでしょうか。借り物の“分”は、移ろいやすく、覚めやすいように思います。

何を美しいと思うか。そこには、その人の“生き様”があると思います。しかし、美しいと感じるのに、理由はありません。なぜなら、それは感情だからです。つまり、本来、“生き様”に“分”は必要ないのだと思います。換言すれば“分”とは、後付けに過ぎないものなのではないでしょうか。

組織にいる以上、自己効力感(自分は組織の役に立っているという感覚)は必要だと思います。しかし、その根拠たる“分”は、後付けなのです。すなわち、自らが評価を下していけば良いものです。にもかかわらず、「私は役に立っていない」と思うのは、他者評価に依存しているからでしょう。他者評価の根源は、対価の査定にあります。つまり、働きと報酬が釣り合っていないと、「私は役に立っていない」と思うのだと考えます。そうであるなら、自己効力感が報酬に依存していることになります。自己効力感と報酬が釣り合うことは素晴らしいことだとは思いますが、現実には、そのような例は稀でしょう。だからこそ、自己効力感を自分自身に取り戻すことが必要だと思うのです。

ジョブ型雇用では、確かに“作られた”組織の歯車として、組織を作った人が想定する働きをしていなければ、自己効力感を得ることは難しいでしょう。なぜなら、ここでは自己効力感が他者評価に依存するからです。しかし、メンバーシップ型雇用の場合は、すでに在ることを前提にしているので、自己効力感の源泉は自分自身にあるはずです。だからこそ、予定調和を前提にするジョブ型雇用では実現されない何か、例えばイノベーションが期待できるのだと思います。

アップル社を解雇されたスティーブ・ジョブズがネクスト社を創設したのは、ジョブ型雇用の発想だったと思います。単にアップル社で実現できなかったことをしようという、予定調和的発想下にあったと考えるからです。しかし、ルーカスフィルム社のCG部門買収(ピクサー社の設立)は、メンバーシップ型雇用の発想だったように思われます。だから、そこには予定調和的未来ビジョンはなく、「何かができるはずだ」という漠たるイメージしかなかったでしょう。そしてネクスト社は失敗し、ピクサー社は大きな発展を遂げました。

科学に対する妄信、あるいは論理に対する絶対性という発想から離れることが、今、必要だと思われます。すなわち、何かのために在るのではなく、今、在ることから思考することです。これが、VUCA(volatility:変動性、uncertainty:不確実性、complexity:複雑性、ambiguity:曖昧性)時代の組織なのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?