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失態の責任追及をしないことでレジリエンス力を高める組織開発

レジリエンスとは、外力による歪みを跳ね返す力と定義されるようです。ここから、2つの“力”が想定されます。1つは外力以上の歪ませない力であり、もう1つは歪みを元に戻す力です。

大手自動車メーカー数社が、検査結果の改ざんで型式の停止を求められました。また、大手不動産会社は、景観を損なうマンションの取り壊しを決定しました。いずれも企業にとっては大打撃でしょう。しかし、だからといって当該企業がおかしくなってしまうとは、世間も、勤務している従業員も、思うことはないでしょう。だから“変わらず”に、これらの企業はこれからも健在で在り続けると、誰もが思っているのではないでしょうか。つまり、これらの企業は、外力以上の歪ませない大きな力を保持していると考えているわけです。

しかし、同じように大きな力を持っていると思われていたJALは、2010年1月に会社更生法の適用を申請(実質的に経営破綻)することになりました。その後、経営改善の成果から復活し、『奇跡の脱出』と称賛される企業姿勢を見せるまでになりました。それでも、子会社を含む安全配慮義務違反が複数指摘されています。この事態にあって社会は、あるいは当の従業員たちは、大きな力があるから大丈夫と思うのでしょうか。それとも、歪みを元に戻す力が必要だと考えるのでしょうか。少なくとも鳥取社長の姿は、後者であるように感じましたが…。

つまり、外力以上の歪ませない大きな力を持つということは、幻想に過ぎないように思われます。本質的には、自組織を歪めようとする外圧に対しては、頑なに反発するのではなく、柔軟に対処、すなわち新たにトランスフォームしていくことが、組織には必要であるように思われます。そして、それこそが、歪みを元に戻す力であると考えます。

『ブルーモーメント』で提起されている組織(SDM)は、レジリエンス力のある組織であるように思われます。ここで園部大臣が打ち出している組織の在り方が、「現場主義」です。すなわち、「意思決定は現場に、結果に対する責任は管理者に」という姿勢です。そして、そのような体制を支えているのが、“信頼”です。

では、現実の組織はどのようになっているでしょうか。例えば、合理化・分業化を進めると、人間関係は制度化されていきます。そして、制度という“カタチ”が生まれることによって、無形の“信頼”は追い出されていくのです。また、成長と拡大を同義と捉えた効率化は、組織を人と人との繋がりではなく、無機質なシステムに変容させていきます。「科学は、わかっている範囲内だけで正しい」という原則に立てば、想定外(わかっていない範囲)の事態に対して科学は無力だということです。したがって、科学的であることを根拠とする合理あるいはシステムもまた、想定外の事態に対しては無力であるということです。

また、人間の考える普遍的に正しいと思うことは完全ではないので、反論を踏まえつつ修正していくという行為(主張と対話)を永続的に行う必要があると考えるのであれば、人と人との繋がりにおいては、自己批判と赦しによって相互承認を獲得していくことが必要とされます。「反省ばかりで行動変容がない」との指摘は、よくなされますが、本質的には、指摘する前に赦しが必要だと言うことだと考えます。換言すれば、組織を人と人との繋がりであるとするなら、そこには赦しが必要だと言うことでしょう。

このように、信頼と赦しを基礎にした行動規範(組織文化)が、想定外の事態にスピード感を持って対処でき、自らを見失うことなく事業を継続させていけるのではないでしょうか。そして、このような組織を、レジリエンス力のある組織と呼ぶのだと考えます。

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