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サピエンスとカルマと遺伝子

人類の誕生は10〜20万年前と言われている。そして5万年前にアフリカから旅立ち世界に散っていった。彼らの行く先々でその後、数十万年続いていた先輩人類たちが次々と全滅。狩猟生活のターゲットだった大型哺乳類の多くも絶滅。始まりからそんな業(カルマ)を背負うホモサピエンスの私たち。

ジェネシス神話(アルガンザ独自の人類と地球の創生神話)や神智学から見るに、5万年前といえばアトランティスの末期。(物質であれ非物質であれ)人類を時代ごとに準備する「神々」は、アトランティス人種の業障を刻んでスタートする次の人種期の設定を行ったのかも.. と思ったりもする。

専門家の先生方の談で、食べる・生きる為だけではない『欲』を持った為に、他の種族と平和的に共存するよりも、自己顕示欲や所有欲、承認欲求などから環境や他の生命を破壊し始めたのはサピエンスだけ... という、考えてみるとご尤もな、チョット淋しくなるお話。


けれど『ジェネシス』的に考えればそれは最初からの(それまでの文明期のカルマを継承するため)プログラミングされたスタート地点であり。その課題を超えて行きなさいという人類への愛の眼差し・・なのでは。

神智学文献が伝えるに、アトランティスは人類の進化段階において、もっとも「重たい」(質として下がる)時代とのことで。そこでの宿題を最初から背負わされた状態で、次の時代、つまりサピエンス時代がスタートしたのかもしれないと、最新の人類学と神智学を合わせて考えてみる。

今の文明期を選んで「サピエンス」という人類体験をしている私たちの魂への、信頼と愛なのだと思うことも出来る。可愛い子には旅。冒険。チャレンジ、そして試練。恐れたり自分を見失ったりせずにこの試練を超えられるか。今とても大事な時代、まさに分岐点にあるのでしょう。

最近は日本列島における人類の始まり、に関する研究書を色々と読んでいますが、中国までは旧人の足跡は複数確認されているものの、日本列島の本州ではまだ、確定出来ていないのだとか。つまりネアンデルタールや最近の発見で話題になっているデニソワ人やフローレス人など、サピエンスではない「旧人類」のこと。日本にそれらが存在したのか否か。は、学術的にホットな話題のよう。

存在していなくても、例えば中国方面や沖縄方面、北海道方面から旧石器時代人(サピエンス)が渡って来た段階で、彼らがもしかすると既に旧人類と混血していた可能性も考えられるとか。そういえばネアンデルタール人の遺伝子がアジア人にも4~5%の割合で入っているという。

神智学ではアジア人、つまりモンゴロイドを「アトランティス人種」と書き残している・・旧型ということ? 前人種期の人類の情報をより多く搭載した、ハイブリッド型= 旧人類(ネアンデルタール)の遺伝子が濃いめ、で符号するのかもしれない。

それはそうと、最近あまりの暑さに駅に着くたびに、駅ビルに避難して書店を覗いたりしている。普段はネットで本を買ってしまうことが多いけれど、テレビも家に無いから把握しにくい時代の空気のようなものを、本屋さんの「新刊」コーナーで垣間見て、「ああ、時代は進化している」と実感する。

もちろん本屋さんの趣向にも寄るものの、ひいては出版社の皆さんが何を話題として送り出そうとしているか・・は、やはり世相を見る、感じる、ひとつの手がかりだと思うから。

それで、「人間とは何か」を、みんなが改めて知りたいと思っているのだな、と感じた。人間とは何か・・に通じる書籍が、多くリリースされているようだし、考えてみればここ10年くらい、人類史、地球史、宇宙史、という大きな括りでまとめられた欧米発の書籍がとても人気だし増えていますね。時代の変わり目とは、そういう雰囲気が盛り上がって来るものなのかな。

人類みなで共有している集合意識のフィールドで、この先も何とか生き延びようという模索、そのための進化という軌道に乗る知恵を、探している時なのかもしれません。

(2022 April Twitter に加筆)