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組織の縦割りの原因は「仕事の高度化」

仕事を高度化すること。専門性を高めることは一般的に望ましいとされる。社員一人ひとりがスキルを高めて、その能力を結集することで会社や組織を良くできると考えられるからだ。

一方、組織の縦割り、セクショナリズムは悪しき現象と言われる。組織間のコミュニケーションが減り、自組織の利益を追求に躍起になり、派閥が生まれて、おたがいに足を引っ張り合う。

偏った考え方かもだけれど、個人的には、組織の縦割りの原因は「仕事の高度化」なんじゃないか、と疑っている。実体験をもとに理由を述べたい。

広報業務のメイン担当者になった

若手社員のころに会社の組織再編があって、広報業務のメイン担当者になった。それまで先輩の指導の下で広報の仕事をしていたのだけど、頼る人がいなくなったので、自分ひとりでこなさなければ、とプレッシャーを感じていたように思う。

その心とうらはらに、心地よく感じてもいた。というのも、会社の中で自分が広報の専任家であり、一番くわしい人と見なされることで、自由に仕事ができると思えたからだ。

組織再編後は企画部門に所属することになり、当然に広報以外のミッションがあった。上司や先輩は多様な業務を担当していた。広報業務は会社の中でも傍流なので、部門ではぼくしか経験が無かった。

そうなると、コントロールが効かなくなる。プレスリリースを配信するとか、経営の偉い人から広報戦略を考えろ言われ企画書をまとめるとか、現場からホームページに製品情報を載せてほしい、といった広報に関連する仕事を優先し、それ以外の仕事は後回しにしていた。

仕事をしているフリをして、経験の無い仕事を避ける

今、振り返ってみると、あくせく働いていたように見せかけて、ただ素人が時間かかる作業をしてムダにリソースを消費しただけだったように思う。時間的にも品質的にも、満足のいくアウトプットではなかった。

そもそも、会社として広報の仕事が、あって無いようなものだったのだ。

横山秀夫が原作の「64(ロクヨン)」ドラマ版で、広報に関する印象的なセリフがあった。ドラマは地方県警の広報室と、それをとりまく記者クラブの対立がメインの話なのだけれど、広報室の若手である女性(山本美月)が、先輩の広報官であるピエール瀧に言った言葉だ。

「広報官から記者対応を取ったら、雑務しか残りません」

ほんとうの広報の仕事とは外部メディアに働きかけて自社の影響力を広げ、ブランドを確立し、ひいてはビジネス上の優位な立場へ押し上げることだ。広報戦略の実行には予算や人員、ノウハウなど潤沢なリソースがいる。

当時、会社はそういう本来の広報業務を期待していなかったと思う。ぼくは会社案内の制作とか、証券取引所への開示業務とか、コーポレートロゴ管理のような、最低限しなければならない雑務に従事していただけだった。

ある時期から自分でも気づいていた。「俺は上司や先輩から振られる経験の無い仕事を避けたくて、広報の仕事を高度化しようとしているのでは」と。重くない雑務と、誰にもとやかく言われないコンフォートゾーンを抜け出したくなかったのだろう。

「高尚な仕事への逃避」という現象

この実体験のように、人は時間を余らせると、こういう現象を起こす。中国の故事に「小人閑居して不善を為す」という言葉があるとおり、つまらない人が暇を持て余すとロクなことを思いつかない。

とくにコーポレート部門は、明確に数値化ができない仕事が多いので、成果が見えづらい。やろうと思えばいくらでも高尚なことができてしまう。ぼくはこの現象を「高尚な仕事への逃避」と名付けている。

本来は、こういうことが起こらないように、上層部がマネジメントをしなければならないのだけど、苦言を呈するのは骨が折れる。「あなたは仕事を高度化しているが、会社はそれを望んでいないし、他にやるべきことがある。こっちを優先してほしい」と言うべきだが、なまじ会社のリソースに余裕があると「何かやってんなァ」と放置されてしまうのである。

そして、仕事を高度化して高みにのぼっていくにつれて、その快適さを失いたくない気持ちが芽生える。同時に、ほかの組織との軋轢や折衝を回避したくなる。めんどうな横連携をして進める仕事より、高みにのぼっていく仕事のほうがカッコいいし心地よい。何より自部門の仕事に興味関心を持たれずに済む。こうして組織の縦割りが発生する。

まとめ。組織の縦割りと不幸な専門家を生み出さないために

こうして組織の縦割り、セクショナリズムが発生すると、自組織のメリットを優先して、全体最適を図ろうという意識が薄れていく。

所属する社員たちは特定の分野の専門家になるけれど、しんどい仕事を押し進めるときに必ず味わう不快への耐性が備わっておらず、ストレスの少ない限定的な範囲の仕事しかできなくなる。不幸な専門家の誕生である。

こういう事態に陥らないために、マネジメント層は、会社が求めている業務のレベルや優先事項を明確にして伝える必要がある。

また、余裕があると人は煙のように高みにのぼり出すので、余剰人員が生じないように注意が必要だ。とくに成果のわかりづらいコーポレート部門では気をつけたい点である。

そして、もっとも重要なことは、組織間のすり合わせを絶やさないことだ。これはコーポレート部門の内部でも、例えば営業部門と製造・開発部門などの間でも同じく大事なことだと思う。

すり合わせの軋轢によって、新しい工夫や価値が生まれる。組織の壁をつくり、人と人とのコミュニケーションを阻害していると、会社は目に見えて弱体化してしまうことを、リーダーの立場の人は認識しないといけない。

よって、究極を言えば、組織のマネージャーやリーダーは、目的の遂行のためにみずから苦痛や不快を引き受けなければならない、ということになる。

以上、組織の縦割りの原因について、小人たるぼくの実体験から話を広げてみた。さいごまで読んでいただき、ありがとうございました。

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