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今度こそ脱してきた!鬱日記

こんにちは。
暑いほどの日差しに心地よい風が吹いて、梅に胡瓜と夏の気配が漂ってきています。もう6月なんですね。

ありがたいことにNPOあしおとでつながろうプロジェクトの方で採択された事業がいくつかあって、最近は日々そちらを考えて情報をまとめたり制作仕事をしています。
公開できるタイミングがきましたら、お知らせさせていただきます!

鬱から気づくこと

昨年鬱に取り込まれてしまってから、もう何度もこのタイトルで日記を書いています。
何度も(もう大丈夫!)って思うのですが、全然大丈夫ではなく(苦笑…)厄介でした。ヤルヤル詐欺のようです。

不安はどこから?

けれど着実に、抗不安薬の必要がなくなってきて、ポジティブに対処できる状態が戻ってきています。不安、ってものすごく邪魔なエネルギーですね。そういうことを実感できたことは、きっと今後の糧にできるでしょう。

カウンセリングを重ねて、私の不安は幼少期から長年にわたって蓄積してきたらしいことがわかりました。意思を尊重されないこと、皆気づいているのに無かったことにされること、そういう小さなことへの怒りが、きちんと表明できないまま残り、さまざまな不安に変わってしまう。
娘との楽しい子育てを通じて、解消してきたつもりでした。けれどまだ奥底に沈んでいたものが、人と適度な距離で出会えなくなったコロナ禍で、浮上してきてしまったのでしょう。

ともかく、不安は私の心が起こしている何かで、他者からもたらされているものではない、ということを感じ直すことが、私には必要なようでした。
そんな当たり前のことが、この一年は感じられなくなっていたのです。

そして改めて振り返り記録してみたのですが、昨年秋以降の記憶がかなりありません。
心が抱えきれないことを、人は覚えておけないそうで、それは生きるための仕組みらしく、都合の良い面もあるけれど、傷の原因も脇に置かれてしまい解消できないそうです。
心を十分に使うことができなくなる、その古傷の解消に向けて、カウンセリングの力を借りています。


愛情は本能

自分の言動に自信が持てず、他者の中に入ることが難しくなってしまう日々に、安らぎを与えてくれたのは植物と猫でした。あるがまま、そこにあり美しい。私は人だけれども、まずは自然物としてただそこにあるだけで十分、ということを自らに許す必要があったのかもしれません。

猫は誰にも教わらずに、ただただ日々子猫を慈しみ、躾をしていきます。大きくなった子猫も安心してママ猫にかぶりつく。お互いに不安はありません。出産直後だけ、ちらりとママ猫が不安な様子を見せ、焦って引っ越しをしましたが、その判断が良かったことで安心したようで、その後はおおらかに自信を持って子育てをしています。

不安は、できていることを壊し、大切なことを足元からすくっていってしまうのでしょう。でも愛情によって行動していれば、間違うことはなく、愛情とは最も大切な本能なのですね。猫親子が日々それを見せてくれています。

NPOあしおとでつながろうプロジェクトでも、不安の強い方はいらして、その度に、ひとつづつ解消していくことで表現の幅がどんどん広がってきました。新たなことに出会う時の小さな不安材料をひとつひとつ解消していくことは、深い鬱を体験した私が、今後より細やかにできるようになることかもしれません。

表現とは何か?

タップダンサーとしての表現も引き続き見直し中です。
世の中はあっけらかんと日常に戻っているように見えるけれど、私の戻る場所はないように感じており、新たな場所をみつけられたらと思います。

私が何を探し求めているのか?
つくっては観察しを繰り返してみています。
それを繰り返すことで、おそらくひとつの世界ができていく気がしています。

公開創作中です。毎週更新していますので、良かったらお付き合いください!

くつろぐ時間

友人宅でお茶をいただくなど、ふとしたくつろぎ時間がありがたい。
制作仕事の合間には、ママ猫と二人で焚き火パンなど焼いております。
ママ猫にとっても子猫の眠る間のくつろぎタイムです。

やっとここまで来れたのも、昨年を助けてくれた方々のおかげです。
記憶が曖昧ななか、色々失礼があったかもしれなくてごめんなさい。

表現という行為を日常に置きながら、落ち着いて、感覚をあらためていければと思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございます!
そろそろ蛍の季節です。
素敵な季節をお楽しみください!


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