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中村倫也さん、ちょっと私と飲み行きません?Vol.1

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あれはいつだったか、何の時だったか、記憶があまり定かではない。休みの日の昼下がりだったような気がする。

「1人の女性に6回告白した」

BGMがわりにつけていたテレビから聴こえたこの言葉に化粧水を塗りながらぼーっとしていた私はその音を目で追った。

なに?誰が?

テレビ画面を見ると、くりっとした目で颯爽と話す男の人が映っていた。


「情熱的!6回振られたってことでしょ?いつの話?」
「高校1年生ですね」
「よく6回チャレンジしたね!どうしてもその子を振り向かせたいっていう?」
「好きって思ってるうちは好きなんで」



好きって思ってるうちは好きなんで

という言葉が私の頭の中でこだました。その行動に対して、情熱的だの、すごいだの騒ぎ立てる周囲の人からの声を気にも留めず、飄々と「好きって思ってるうちは好きなんで」と言いのけた。まるでそれが当たり前、と言わんばかりに。とても自然なこととして捉えていることがこちらにも伝わるほどに。

誰だ、これ?

と思った。と同時に、私はこの人のことが好きだ、と思った。絶対に好きだ、と思った。

テレビの画面を目で追うと「中村倫也」という文字がそこにはあった。ふぅん。中村倫也さん。そういえば友人がカッコいいと騒いでたな、こんな人だったのか。

普通の人は好きな人に「好きだ」と伝えること自体、大きな勇気と決意がいることだと思う。それを振られても振られても6回伝え続けた。確かに情熱的だし、すごいことだと思った。でも彼の様子は情熱的、という言葉とはかけ離れているように見えた。何者だ?気になる、と興味を惹かれた。

のちに、このエピソードは中村倫也ファンの中では非常に有名なものだと知る。何故この言葉を聞いて、好きだと自分が確信したのか。今振り返ると、私はこの言葉が中村倫也を推す決め手になったと胸を張って言える。ごめんなさい、最初の入りは演技じゃなかった。


私はかつて、倫也さんが6回告白していた時と同じくらいの年頃に、1年間で一人の好きな人に11回告白したことがある。正気か?病気か?この話を他人にすると、もう“ヤバい奴”として見られる。引かれる。なんなら当時、この行動をしていた時から親友ですら呆れて、変な奴、ヤバい奴認定をされていた。よく相手も懲りずに毎回付き合ってくれたな、と今になれば思う。ありがとう。

1年間で11回。これはもう毎月のイベントと化していた。「好き」っていう気持ちが溢れ出て、相手に伝えずにいられなかった。本当に相手のことが好きだし、愛おしいとすら思っていた。尊い気持ちだったと思う。とってもピュアだった。

でもこういうことを人に話すと引かれるから言わない。だって“ヤバい奴”愛に飢えてる可哀想な子、みたいなレッテルを貼られる。なんならストーカーなの?なんて言われちゃう。でも私はシンプルに好きだから、その気持ちを伝えたいだけ。それなのにな…ってずーーーっと思っていた。とはいえ、あまり誇れることではないから、私の中では黒歴史のように封じ込めていた。その人のことを好きだったことは誇るべき感情なのに。

でもテレビの中の彼はそれを飄々と言ってのけた。倫也さんは4ヶ月で6回、私を上回るペースで気持ちを伝えていたのに飄々と。もしかしたら倫也さんはこれをヤバいこととは思ってないかもしれない。そのくらい自分に自信があるのかもしれないと過った。なんならモテ男の発言か?と。でもその後に出てきた言葉は「好きって思ってるうちは好きなんで」だ。この言葉を聞いて、きっとこれはこの事実に対して、ヤバいと思ってる思っていないとか、自信の有無とか以前に心の赴くままに生きてる人なんだと感じた。カッコいい、そんな気持ち以上に私と価値観やスタンスが合う人に人生で初めて出会えた、と思った。何かはわからないけど言葉にできない、ビビッときたものがあったのだ。

こうなれば、話は早い。元々オタク気質な私のことだから、そこから「中村倫也」という人間についてひたすら調べた。俳優だということは重々承知しているが、そこは今は大丈夫、後から見るから、今は人間性を教えて、と言わんばかりに。もっと「中村倫也」という人間を知りたかった。もしかしたら「中村友也」を知りたかったのかもしれない。


そして2つのインタビューに出会った。ここではそれを紹介したい。(※一部抜粋&要約)

まず1つ目は中村倫也、“最初の本”、『童詩』に掲載された恋愛にまつわるインタビューだ。

(前述した6回の告白について)
- 6回、ですか?
(笑)。だから、「好き」という想いはすぐに伝える男です。僕は。今も昔も、前世も来世も
- 4ヶ月で6回ですか。
いや、もう好きになった気持ちはどうしようもないですから。
- 1回の告白では諦めない男なんですか?
諦めないというか、想いがあるうちは
- (女優さんは美しすぎてゾンビのようで現実感のない生き物というお話の後)そういう人を好きになる可能性もありますよね?
わからないですけど、最初から避けようとは思わないですよね。出会って惚れたら、“惚れた”って言うだけ。やっぱり、大切なことは心が教えてくれると思っているので
- 口説くんですよね?
(笑)。口説きますよ、口説きまくります。惚れたらの話ですけど。惚れなきゃ、口説かない。
- 結婚に対する意識は?
大人になってからは、つき合いたいと思って口説く人は結婚前提のつもりです。逆に、そうじゃない恋愛の仕方がわからないです。恋愛と結婚は別じゃないと思っているので。その都度、結婚を踏まえて口説きますね。
- 結婚願望はあるほうなんですね?
具体的に、その願望を意識してる、していないじゃなくて、“つき合うってそういうことじゃないの?”と。つき合っても、結婚してもこっちの時間と向こうの時間を費やす訳ですから


そしてもう1つのインタビューは雑誌『Oggi』のWEBインタビュー記事だ。

- 本誌インタビューでは、好きになった相手へ「惚れた!」と宣言する、というお話をうかがいました。それは…、成功率はいかほどなのでしょうか?
「そんなに惚れないですからね。成功率は…、どうでしょう? 『口説きます』って、宣言してからすべては始まって、あきらめが悪いのでそれを言い続けるタイプです」


もうそれが恋愛感情でもなく、これまで推しに抱いてきたどんな感情でもないことは明白で、でもそれが何なのかはわからないけれど、「私はこの人だ」と思った。何かがビビッときてしまったのだ。もちろん画面の向こうの人だということは重々承知している。それでも彼はいとも簡単にその画面という隔たりを越えて、私の心に侵入してきたのだ。

私は世の中で言われている「駆け引き」というものがよくわからない。LINEはすぐに返しちゃダメとか、好意はすぐに見せちゃダメとか、1回目のデートの別れ際はどうする、とか。わからない。

相手に好意があるなら、早めに言っちゃえ、と思う。だってお互いにそこに時間と労力を費やす。お互いに好意を持てる可能性が低いのに、そこに費やすのってどうなの?と思ってしまう。たとえ自分が良くても、相手に申し訳ない気持ちになる。だからこそ、「この人いいな」と思ったら、相手に「私はあなたに対して好意を持っているから、もし今後あなたの中で私に対して好意を持つ可能性があるなら、これからも会ってほしい」とハッキリ伝える。なかなかこのスタンスが受け入れられないということを私は知っているが、自分から惚れてしまった場合はこういうスタンスであることが多い(もちろん相手のペースに呑み込まれたら、ちょっと違ってくる)。恋人はパートナーであり、対等であるからこそ、相手の気持ちや状況を尊重した結果、こういうスタンスになった。よく聞く「男性から告白してほしい」という気持ちも一切ない。好きと思ったら好き、なのだ。「素直な人」と言われることが多いが、それこそ「大切なことは心が教えてくれる」と思っている。

だけど、これまで同じようなスタンスの人とは出会ったことがなかった。そんな時に中村倫也さんに出会った。表舞台に立つ人だから、すべて本音とは限らない。作っている部分もあるだろう。でも世の中には自分に近い感覚を持つ人がいるということを知ることで、安心感を与えてもらったような気がした。

以来、私は倫也さんを推し始めた。倫也さんの言葉への向き合い方が変わった。この間、この話を知人にしたら、「結婚相手を見つけた時と同じ感覚だね」と言われた。これまで画面の向こうに推しができたことは何度もあるけど、こんな気持ちが芽生えて推しになったのは初めてだった。いつもだったら無い物ねだりから始まるのに、今回は自分との共通点から始まった。そこから「中村倫也」という人を知りたくて解釈したくて、必死だ。


倫也さん、何故そんな恋愛観が出来上がったのか教えてほしいので、ちょっと私と飲み行きません?🍻




おけい

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