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オタクである自分を認められたあの日まで #8

#8  自分の足で立ちたい

これまで更新してきたこのエッセイのタイトルは過去形だった。というのも過去に抱いてきた気持ちだったから。でも今回のエッセイは現在形、現在進行形である。私の今の気持ちを書き残していきたい。



これまでたくさんの推しを推してきて、いろいろな世界を見てきた。夢の世界を見せてくれたり、自分の居場所を与えてくれたり、自己表現の楽しさを教えてくれたり、夢を叶えることの難しさを教えてくれたり、夢を追うことの素晴らしさを教えてくれたり。推したちはいろいろな場所に連れて行ってくれたし、いろいろな景色を見せてくれた。そしてたくさんの人に出会わせてくれた。自分の成長とともに推しが変化していくことで、知ったたくさんのこと。大人になって、自分が天性の何かを持っているわけではないこと、何者かになれる力を持っていないということもしっかりとわかった。

しかしそんなことがわかったからといって、絶望に浸る暇はない。毎日は一瞬で過ぎていく。生きていくためにはお金が必要であり、働かなければならない。この「働く」というのはなかなかつらいものがある。嬉しいことややりがいを感じられることがある一方で、嫌なことや苦しいこともたくさんある。新入社員の時に出会った社長は「仕事なんて95%嫌なこと。残りの5%のためにやるんだよ。」と言っていたが、本当にそうだと思う。私の仕事は自分の希望にマッチしていた。でも心のどこかでエンタメの仕事に就けなかったこと、“好き”を仕事にできていないことを自分の中で引きずっていた。

「好きじゃないからつらいことも頑張れないのかな」
「好きなことだったら、もっと楽しくできるのかな」

いつも心のどこかでそう思っていた。昔、その話を自分の上司にしたことがあった。そしたら「『好きなこと』を仕事にできるなんて、プロのスポーツ選手くらいやろ。甘えてんな!」と鼻で笑われた。この言葉をかけられた時、すごくショックだった。(今思い出すだけでも改めてダメージを喰らう威力がある。)どうして好きを仕事にしたいという想いを馬鹿にされなきゃならないんだろう。悲しかったし、苦しかった。同時にやっぱり普通に考えたら、無理なことなんだ、とも思った。「好き」を仕事にできたら、自分は変われる、もっとできる、そう思っていた自分が打ち砕かれた瞬間だった。


それを引きずりながら、日々を過ごす中で、私はある俳優と出会う。テレビの中で彼が話す言葉が耳に入り、視線を向けると、それは中村倫也だった。出会いはテレビで話している言葉に惹かれたことであったが、そこから彼に興味を持ち、のめり込んでいった。『半分、青い』でブレイクした当時、朝ドラ好きの母から話は聞いていたし、存在は知っていた。そして、遅咲きの俳優であるということも。しかしのめり込んだ結果、わかったことがあった。中村倫也は本当に苦労人であるということ。そして現在の彼が在るのは、彼自身の努力の賜物であるということに。


私にとって、中村倫也という人は夢を叶えた人であり、「好き」を仕事にしている人だと認識している。
高校時代、それまでずっと続けていたサッカーをやめ、そのタイミングで受けたスカウトをきっかけに俳優の道に入った。それ以来、今日までお芝居を続けている。売れない時代も長くあり、アルバイトと両立しながら仕事をしていた時期もあったという。きっとつらいことも苦しいこともあっただろうけど、好きなことだから続けてこられたんだろうな、と私は安易に考えていた。好きなことだったら、どんなことがあっても諦めずにやれるんだ、そう信じていた。現実の自分から逃避するかのように。

でもそれは単なる幻想であることに私は気付いた。中村倫也の言葉でハッとさせられたのだ。

中村倫也という人は、すごく人間味のある人だ。画面の向こうの人なのに飾らない、カッコ悪い話も泥臭い話も語ってくれる。過去の私の推しの中にそんな人はいなかった。どちらかというとみんな作られた世界の中で人間味を出さないようにしている人が多かった。自分の在りたい姿を演じているような。でも彼は違った。昔からそうではなかったと思うが、良いことも悪いことも感じたことも考えたことも、言葉を丁寧に選びながら、話してくれる。(見せ方、伝え方、内容にちゃんと留意しながら)そんな人を好きになったから知ることができた「好き」を続けることの苦しさがあった。

きっとどんなことでもそうなんだと思うが、好きを続けている中でも、どうしても頑張れない時ややめてしまいたくなる時がある。好きなことだからこそ、自分が思い描く理想があり、それに向かって努力をしても結果が得られなかった時、その苦しみは計り知れない。何かうまくいかないことがあった時、私が抱いていてた「好きなことじゃないからうまくいかないんだ、頑張れないんだ」と思っていることは単なる言い訳であって。逆に好きなことでうまくいかなかった時、その悔しさや苦しみはむしろ簡単に、2倍にも3倍にも10倍にもなりうるのだということを中村倫也の言葉たちで感じた。

ああ、私はバカだったとおもった。物事に対して、自分の思い入れや意志が強くなれば強くなるほど、そうなることは分かっていたじゃないか。もちろん踏ん張る力は強くなる。でもその分、打ちのめされる力も強くなる。きっと、とことん落ち込み、それでも諦めきれないからまた這い上がる。それに気付いてから、今目の前にあることすら満足にできない人間が好きを仕事にして耐えられるわけがない。まずは今の自分にできることをやらなければ、と思うようになった。


そう思いながら再び日々を生きる中で、心の支えになったのが中村倫也の言葉たちだった。壁にぶつかった時、それをどう捉えるのか、物事をどう捉えるのか、人の感情をどう捉えるのか、倫也さんの捉え方にリスペクトを抱き、拠り所にしていた。でもG-DRAGONの時とは違い、それを鵜呑みにして、自分の価値観にコピペするのではなく、哲学のような存在になっていた。あの偉人がこういうことを言っていた、というような心の支えになる言葉。適度な距離のある存在として。

ここで倫也さんの言葉をいくつか紹介しようと思う。

「僕、そういうプライドとか誇りとかっていうの、いらないんですよね。間違っているとは言わないけど、自分は、外向けのプライドみたいなものは極力削いでいきたいタイプ。きっとそっちの考え方の方がシンプルだし、自分にとって都合がいいんですよ。行動原理においてスムーズなんです。『中村さんちの自宅から』に寄せられていた質問にも『自分に自信が持てないんです』っていうものがあったけど、その“自信”って必要なのかね?今、雑誌の誌面などでは、この業界の良さを伝えていかないといけない時期でもあるだろうけど。でもそれは僕の美学では、“他者から判断されること”だから。自分の口からは言わないです。商売なんて“必要とされるかどうか”じゃないですか。どうしたって生活にかかってくるわけだから、誇りだけでは仕事していけない。」


自分に自信がなく、誰かに価値を返せていると実感できない限り、自分の存在意義を感じられない私からすると、この言葉は救いだった。「自信がないことは良くないこと」とされるような雰囲気がある中で、プライドも自信も必要なの?自分がやることなんて他者が判断するものなんだから、それでいいじゃない、とスパッと言葉として放つ倫也さんは強いと思った。自分のブレない軸があるから、ブレない考えがあるから、こう言い切れる。そしてこのブレない軸や考えの裏にはきっと数々の葛藤がある。その葛藤に裏付けされた言葉なのである。

(この言葉については1本書いておりますので、気になった方がいればどうぞ。)


「最近、自分で逃げ道を作る人と、作らない方法を見つける人の差って出るなと思ったんですよ。仕事で話していてもわかるんですけど、僕は逃げ道を作らないことが大事だなと思います。逃げ道とは違う、自分の心を救済してくれるような指針というものが必要で。それが信念に行き着いて、自分の心が喜ぶものを理解できれば、言い訳とか逃げるとかしなくてすむようになるから。自分もそう考えるようにしています。」

ああ、そうか。その通りだと思った。自分の心を救済してくれるような指針を見つけることが必要なのか、それが今後の私の人生の課題だ。これは去年のインタビューだが、知名度が上がり、各所に引っ張りだこになっている今でも倫也さんは日々思考を続けている。私も逃げ道を作らない人間でありたいし、自分の信念を持って生きていきたいとこの言葉を受けて改めて思った。


“推しが好き”という感情は、もちろん中村倫也に対してもある。でもそれだけではない。弱った時に倫也さんの言葉があるだけで救われる。優しい言葉だけじゃなく、厳しい言葉もあるが、努力を積み重ね、ひとつのことを成し遂げている倫也さんだから、スッと入ってくるものがあるのだ。

私のスマホの中には心に残った倫也さんの言葉が記録してある。つらいことがあった時、読むと救われるのだ。

“好き”を貫き、夢を叶えている人であっても、これだけの葛藤をしている。私の日々の悩みや葛藤よりも、もっと強い意志とこだわりの間で苦悩しながら。
であれば、私も彼のように自分の思考を深めて、自分の哲学を持ちたいと思う。そのためには自分の足で経験を積まなければいけない。挫折やつらいことも自分の力で乗り越えていかなければならない。でもその先に自分にしかブレない信念があるのであれば、逃げるのではなく、向き合い続けたい、と倫也さんの背中を見て思うのだ。

推しの存在になんだかんだ想いを馳せ、依存していた私が、初めて自分の足で立ちたいと思うようになったのだ。そんなきっかけをくれたのが、中村倫也という男なのだ。ありがとう。




おけい

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